タイムリープ講座
池梨乃と名乗る女の子は、人差し指でこめかみを押さえ首をカクカク横に倒しながら「うーん、うーん」と悩んでいた。
目の当たりにする天然ぶりっ子を抱きしめたくなった。
彼女のことはまったく思い出さないし、懐かしさも感じない。
だけど、彼女のような可愛らしい女の子は大好物で、友達にならないわけがない。
とりあえずヨシヨシしたい、その一心で彼女を信じても良いと思えた。
「手っ取り早い話、足見てみ」
彼女はこめかみを押さえてた人差し指を、私の足元に指し直す。
人差し指につられ目線を足元に落とす。
「あ、足がない」
「ね、ビックリしたでしょ?あたしもだよ」
「死んだ?私、死んだ?」
「うーん、わかんない。けど、もう少ししたら治るよ」
「治るって、足が生えるってこと?」
「足の感覚はあるでしょ?見えないだけだと思う」
確かに足は在って、ただ見えないだけだった。
原理は解らないけど、これを見るのは2度目。
梨乃が消えていく姿にそっくりだった。
見えない足を見ていると全てを受け入れたくなる。
こういうのを何て言うんだっけ。
そうだ、思考停止。
わけわからないけど、全部そうなんだって受け入れたら楽なのかもしれない。
「えー、混乱中のところ失礼しますよ」
彼女の声にふと視線をあげると、夏休みの自由研究発表会かと言いたくなるような大きな模造紙を彼女は「うんしょ、うんしょ」と言いながら欄間に引っかけていた。
「て、手伝おうか?」
「うぅん、大丈夫。涼ちゃんはそこで座って、はい、注目!あっと、やっぱり待って」
彼女は慌ただしく何かの準備を進め、忘れ物でも取りに行ったのか私を残して部屋を出て行った。
模造紙には【え救を来未】と右から左に達筆な筆遣いで書かれてあった。
著者は池梨乃と勝海舟らしい。
見たところ結構な量の紙芝居を読み聞かせられそうな気がする。
しばらくして彼女は誰かを連れて戻ってきたようで、部屋の襖の向こう側で企みを披露する。
「サヤカちゃんはここで待っててね。合図したらカッコよく登場してね」
私にサヤカちゃんを紹介したいらしい。
けど、未来を救うのとサヤカちゃんにどんな関係があるのだろうか。
どうやら紙芝居に付き合わないといけないようで、思わずため息が出た。
「お待たせしました、梨乃のタイムリープ講座。はい、拍手」
彼女は声を張り上げながら部屋に入ってきて、未来を救えと書かれた模造紙を思いっきり引きちぎろうとして、多分失敗した。
無言で破れ残った模造紙をビリビリと破っては丸め足元の篭に投げ入れている。
模造紙の上部でバインダー代わりの板を利用して、メモ帳のように切り取りたかったのだろうけど、紙が大きすぎた。
破かれた紙の下には、細かい字で年表が書かれていて盗み読む気にはなれない。
彼女の説明をじっと黙って待っていた。
「とりあえず、今は多分1864年です」
「多分?」
「先生、あっ、勝麟太郎先生が言ってたから多分合ってる」
「それでも多分なんだ」
「先生が言うには、今年は何か起こる都市伝説のせいで改元して、確か元治元年」
「なるほど、それでここが海軍操練所(仮)ってわけか」
「流石、歴女の涼ちゃんは二十歳になっても健在だね」
「ところで、先生はほんとのほんとに勝海舟?」
「多分ね」
彼女はイチイチ「多分」と付け加える。
聞いてるこっちが不安な気持ちになるけど、彼女も全てを信じているわけではないのかもしれない。
彼女は私と同じ、過去にタイムリープした未来人、池梨乃ということか。
「ここで紹介したい人がいます。サヤカちゃんです、どうぞ」
さっきからずっと襖にシルエットを映していた女の子が、モジモジ照れながら部屋に入って来た。
「去年、千代田城に童の幽霊が出るって公方様から先生に相談されてね、まぁ、お察しの通り先生はサヤカちゃんを連れて帰ってきたの」
「いや、何も察してないけど……」
「鈍いなぁ、タイムリープしてきた足のない童の幽霊さんです」
「まさか、あの、やっぱり誘拐じゃなかったんだ」
「誘拐?」
梨乃が消えてから3つの失踪事件が神隠しだと騒動になったと彼女に説明した。
そしてサヤカちゃんの母親と私の記憶が消えていくことも話した。
「そっか、で、30代のサラリーマンってどこいったの?」
「こっちに来てないの?」
「先生?おっさんの幽霊の噂ってある?」
大きな声をあげながら、また彼女は部屋を出て行ってしまった。
また取り残されてしまった部屋でサカヤちゃんの気配を感じながら、同時に時間間隔のギャップに苛立ちを感じ始める。
私がこの場所に現れてからどのくらいの時間が経ったのだろうか。
思い返してみるとそれ程長い時間が経っているとは思えないけれど、足がない状態でじっと座って待っている時間を長く感じる。
例えるなら入院して暇を持て余すような感覚に近い。
そして非効率的な池梨乃の言動も時間間隔を狂わせている気がした。
私は言われるがままに何を待っているのだろうか。
「涼おねぇちゃん、歩けるよ」
「えっ?!」
「足ないけど歩けるんだよ」
ない足を見ながら考え事をしていたから落ち込んでる風に見えてしまったのだろうか。
サヤカちゃんが余りに一生懸命励ましてくれるので思わず笑みがもれる。
ゆっくり腰を上げてみると、すんなり立ち上げれてしまった。
サヤカちゃんは嬉しそうに持参した篭から包帯を取り出している。
「包帯まくと足生えるよ。巻いてあげるね」
やっと立ち上がれたのに、また座るようにサヤカちゃんに言われ素直に包帯を巻かれた。
ただ後でやり直さないといけない下手さだった。
太ももから巻かれた包帯は足の指まで巻かれ、まるでミイラのよう。
勝先生が包帯を巻いてくれたら足が生えたとサヤカちゃんは言っていたけど、恐らく包帯にそんな効果ははなく人の目を気にしてのことだったように思う。
これなら歩き回っても、足を怪我した人にしか見えない。
しばらくして池梨乃が部屋に戻って来た。
一瞬、難しい顔をしているように見えた彼女の顔は、次の瞬間には難しい顔を装う顔になっていた。
「どう説明しようかな?」
少し楽しそうに言う彼女の悩みは、何かを隠しているように見えた。
思わず立ち入ろうとしてやめた。
いまだに彼女が見ず知らずの他人という感覚が抜けない。
彼女を受け入れようとする感覚とそれを拒む感覚が胸を締め付けた。
「結論から言うとわからない、でも、辻褄は合う」
「どういうこと?」
「これが物語なら私たちにはタイムリープした理由がある。だけど私たちはカリスマ外科医でもなければ自衛隊でもない。なんの特技も持たない一般人が過去に送られた。さて、私たちに課せられた使命とは?」
「うーん、知識はあるから歴史改変とか」
「ブッブー!実は既に歴史は微妙に変わっちゃってるのでーす」
「待って、歴史が変わったってどう認識してるの?」
何かを隠しながら話す彼女の地雷を私は踏んでしまったのだろうか。
彼女は少し考えこんだあと【未来を救え】の年表を見ながら「仮説でしかない」と前置きして話し始めた。
「この年表は先生の力を借りてまとめてみたんだけど、気になるところはある?」
「細かすぎて読み切れないけど、ざっと見た感じ特にはないかも」
「それじゃ次のページの年表と見比べて欲しい」
今度は紙を破かないように彼女は慎重に年表を切り剥がす。
見比べてという年表が徐々に見えてきて、細かすぎる字を読むまでもなく飛び込んできた見出しに目を疑った。
「幕末ってどういうこと?」
紙を切り剥がす手を止め振りむいた彼女も私の問いに驚いていた。
私の名を呼び何かを聞こうとしたが「そっか」と自分の中で納得して紙を切り剥がす作業に戻った。
紙を切り剥がしきるまで考えを巡らせてみたけど答えなど出るはずはなかった。
心なしか彼女の慎重さが過度に見え、彼女もまた時間稼ぎをしているのかもしれない。
「まず見て欲しいのがここ」
彼女は私の問いに答えることなく文久2年(1862年)の欄を指す。
「坂本龍馬が脱藩していない」
「えっと、坂本龍馬が誰だか分からない」
「ごめん、ちょっと想定外で動揺してる」
「あ、私こそごめんなさい。とりあえず口挟まないから説明して」
「うん、私がここに来てから歴史が変わったと認識したのはこれだけなの。情報を入手するのが難しいってのもあるけど、恐らく私がここに来る以前の歴史は既に変わった後だと思ってるのね。他にも改変された歴史はある。私が思うに、歴史が改変された瞬間に私たちの存在は消えたんじゃんじゃないかなって。確証はないけど、歴史が元に戻れば私たちは戻れるんじゃないかって考えてる」
「それが未来を救え?」
「かもしれない」
「かも?」
「本来いた私たちの未来は、取り戻す価値あるものなのかなって時々思うことがあって」
「それは私の知らない未来」
「そうだね」
「けど未来を取り戻せば少なくとも私たちは友達に戻れるんだよね」
そう言うと彼女は満面の笑みで何度も頷いたけど、その目には涙が滲んでいた。