表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/45

4. 奴隷船の歴史 ~ この痛ましい地獄に救済を!

神はわれらに負い目の償いを課したもう。

刑罰の形に心とむるな。

あとに何が来るかを思え。最悪の場合でも、

最後の審判の先までは、それは続かぬ。


――ダンテ『神曲 煉獄篇』第十歌

 ろくでもない近世の暗黒史。糞尿の次は奴隷の話をしておきたい。今回は奴隷貿易を担った奴隷船についてである。

 それは水に浮かぶ地獄であり、黒い奴隷と白い奴隷を満載し、残忍、悲惨、搾取を取り揃えた最悪の監獄だった。



「奴隷船の歴史」著:マーカス・レディカー

https://www.msz.co.jp/book/detail/07892.html


 新大陸の富を利用するにあたって、ヨーロッパ各国は現地のアメリカ原住民を征服すると、アフリカの黒人を奴隷としてアメリカ各地へと運搬し、そこでプランテーションの無賃労働に就かせることにした。本書はそこから400年に渡って続く奴隷貿易によって、1240万人もの奴隷が運ばれた悪夢のシステムを白日の下に晒す。


 奴隷貿易に関わる人々は一口に奴隷商人だけとは言えない。現地の黒人仲介商人は、現地の民族紛争を焚き付け、戦争捕虜となった人々を白人に売り払った。奴隷船の船長は商品である黒人奴隷をできるだけ慎重に扱う一方で、白人水夫に対しても逆らえば容赦なく暴力を振るった。


 水夫たちはたかだか数十人だけで200トンもの巨大な帆船を動かし、200、300名以上の奴隷を運び、大西洋を行き来した。その途中で死んだり、身動きできない状態となって港に棄てられたりした水夫の割合は奴隷をも上回る。


 奴隷船はまさにブラック企業ならぬダークネス企業。水夫の墓場だった。



 イングランドのリヴァプールを出発した奴隷船の航路は三つに分けられる。ヨーロッパの武器や商品をアフリカへと運ぶ航路、アフリカで奴隷を乗せてアメリカ大陸へと向かう航路、そしてアメリカ大陸で砂糖やラム酒をヨーロッパへ持ち帰る航路である。このうち、奴隷を乗せて航海する航路は中間航路と呼ばれた。


 この中間航路において、200万人の黒人奴隷が死んだと言われている。その原因は飢餓、病気、反乱など様々であるが、あらゆる悲運がそこにあった。


 年代によって奴隷の運搬先は植民地戦争とともに移り変わったが、その貿易のシステムには大きな変更はなかった。徐々に奴隷船は洗練されていき、策具の機械化などによって少ない水夫の人数で運用できるようになった。また、奴隷船自体の数も需要に応じて増え続けた。


 奴隷船の材料となる木材はイングランド国内だけでは賄いきれず、アメリカでも伐採された。その木材を伐採したのも奴隷だった。奴隷が奴隷を再生産するというシステムが完成されていたのである。


 奴隷の再生産が進むと、奴隷の価格は落ちていく。そうなると、奴隷商人は一度の航海でさらに大量の奴隷を運ぼうとする。奴隷貿易廃止運動のポスターに描かれた奴隷船ブルックスの断面図のように、奴隷船の内部は満員状態で、奴隷貿易後期には身体がすれ違う隙間もないほどのすし詰め状態だった。


 奴隷船の下甲板からは奴隷たちの発する体温によって蒸気が昇り続けた。内部はおびただしい汗、悪臭、嘔吐物、鎖でこすれた肌から流れた血、糞尿の悪臭が混ぜこぜになり、呼吸すらも困難だった。



 必要な数の奴隷が集まるまで、奴隷船はアフリカ沿岸に停泊し、仲介商人と駆け引きを続ける。それには何か月もかかる場合もあり、奴隷たちはいつまでも下甲板に閉じ込められた。奴隷船に乗せられた黒人奴隷は全員番号が振られ、以後はずっと番号で呼ばれた。


 彼らは人ですらなく、単なる物だった。根本的に価値観の違う世界が白人と黒人の間には横たわっていた。白人たちは黒人が人を喰うと思っていたが、黒人たちもまた白人に逆らえば腸を喰われると信じていた。



 アフリカ停泊中にも、多くの奴隷は赤痢などの病にかかったり、水夫の指示に従わなかったために鞭打たれたり、うつ状態で自ら死を選ぶことで命を落とした。奴隷船からは常に大量の糞尿が捨てられ続けるため、その周囲には常に鮫が泳いでいた。逃げる場所はどこにも無かった。


 時には黒人奴隷たちの反乱が企てられたが、鎮圧されることが多かった。その場合、首謀者たちは軒並み虐待され、最終的には見せしめに殺されることになった。奴隷商人たちも反乱を恐れ、できる限り奴隷同士の協力を防ぐため、別々の言語を話す異なる地域から奴隷を買い、家族や部族を分断するなどの対策を立てていた。


 そうして黒人奴隷たちは人としての人格を奪われ、労働の商品として作り替えられていくのである。



 それでも、巧みに反乱を成功させた奴隷たちは、水夫たちを皆殺しにして海を漂うか、奴隷船を奪ってアフリカに舞い戻ることを目指した。あるいは、水夫が船長に逆らって船長を殺し、海賊の道に進むこともあった。


 結局、どのような視点からも奴隷船では暴力と恐怖、そして死が蔓延していた。船長や航海士など幹部たちは平均3、4回の航海を終えると、悟ったように早々と奴隷貿易から足を洗うのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ