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32. 中・近世ドイツ鉱山業と新大陸銀 (上) ~ やまおとこたちのゲヴェルクシャフト

鉱山は全キリスト教国の中で、とりわけ神聖ローマ帝国ドイツに全能なる神が与えられた大きな贈り物であり、金、銀、錫、水銀、鉛、鉄その他の年々の産額は、200万グルデンにも上っていて、老若男女10万もの労働者が、採鉱や冶金の仕事に従事しているのである。


――神聖ローマ皇帝カール五世の勅令より

 シルバー三連休なので銀とその他の貴金属および卑金属の話をする。一山当てたとして、そこにどれだけの富があったのか。どのように鉱夫を組織化し、生産形態を維持し、鉱山を運営していたのか。知られざる鉱脈が眠っている。



「中・近世ドイツ鉱山業と新大陸銀」著:瀬原義生

http://www.bunrikaku.com/book1/book1-779.html


 あらゆる鉱物が揃ったドイツの鉱業は神聖ローマ帝国各地を支えた一大産業であり、十万ともいわれる鉱山労働者を養った。鉱山が都市形成の原動力となり、商業都市、金融都市を生み出していった。その一方、新大陸から産出された貴金属の奔流は、ヨーロッパ経済に凄まじい変動をもたらした。



 銀に先立ち、まずはヨーロッパでどのように鉄が産出していたのか概観していく。中・近世ヨーロッパの鉄の年間生産量は全体で60,000トン。そのうちドイツが30,000トンを生産していた。他、フランス10,000トン、スウェーデン5,000トン、イングランド5,000トン、その他10,000トンという分布である。


 ドイツの鉄山はオーバーファルツのアムベルク、シュタイアーマルクのユーデンブルク、南ティロルのトリエントなどが挙げられる。特にアムベルクとズルツバッハの産出量は莫大で、ヨーロッパの鉄生産の六分の一を占めていた。ズルツバッハでは1406年に二万トン、1543年には5万4000~6万2000トンも産出した。


 アムベルクの興隆を受け、アムベルクとドナウ川で繋がるレーゲンスブルク、そしてニュルンベルクでは鉄産業が花を開く。付近で錫が産出したニュルンベルクでは金物の生産が盛んに行われた。武具、鉄砲、農具、刃物、鉄線、縫い針、食器などあらゆる製品が製造され、ヨーロッパ各地に輸出された。


 中世ニュルンベルクのツンフト、いわゆる手工業ギルドの数は50業種あったが、そのうち20業種が金物業者だった(胸甲作り師、鉄製篭手作り師、鉄鎖頭巾作り師、ビン・鉄線鍛冶師、刀剣鍛冶師、ブリキ容器加工、鉄兜鋳物師、錠前師、鉄製たが作り師、釘作り師、錠前取り付け師、武具鍛冶匠、蹄鉄鍛冶匠、鍋鍛冶匠、鋳掛け屋、金細工師、刃物業者、鐘鍛冶匠、錫容器鋳物師、刀剣磨き師)。


 他の鉱物はどうだったのだろうか。

 中部ドイツのゴスラール、ザクセンのマンスフェルトで銅が産出している。この二つの銅鉱は1525年に最盛期を迎え、年4,000トンの銅を産出した。

 海の無い内陸では塩鉱も重要だった。リューネブルク、チューリンゲンのハレ、南バイエルンのライヘンハルなどが挙げられる。


 中世の銀山はフライベルク、シュネーベルク、アンナベルク、マリーエンベルクが挙げられる。これらの鉱山は中世末から1540年代まで好調な産出量を得た。また、ボヘミアでは1512年にヨアヒムスタール銀山が発見される。鉱山学者アグリコラが住んでいたのもヨアヒムスタールだった。



 鉱山は鉱山師が鉱脈を発見した時から始まる。

 鉱山師はナップザックに金槌一つで鉱山を探索したが、彼らには自由通行権、自由居住権、放牧権、家屋建築権、炭焼のための森林伐採権、そして武装権まで認められていた。近世最強のソロ職業、スローライフを楽しむなら鉱山師になるしかない。


 鉱脈が発見され、採算が取れると判断されると、フライベルクでは発見箇所を中心として幅14メートル、長さ294メートルの鉱区が設定された。これは銀含有地層が板状に地中に存在するからである。発見者以外に伯、式部官、官房長官などに鉱区は分配された。


 坑口が深くなり、作業が増えると分業が進んだ。坑道造り、採鉱、搬出、砕鉱、精錬、排出などの作業は6時間労働、4交代制で8人以上の労働者が必要となったようである。また、坑口の深化とともに浸水が問題となる。そこで横坑が掘られ、鉱山の麓まで横坑を伸ばして排水を行っていた。横坑によって採鉱の範囲は拡大し、さらに産出量は増加した。



 当初、鉱山を経営していたのは土地領主で、彼らの名代としてミニステリアーレ、いわゆる「非自由民の騎士」たちが鉱山を管理していた。そして、ミニステリアーレの下で農奴が鉱夫として賦役労働にあたっていた。


 鉱山の経営体をゲヴェルク、実際に採鉱を行う鉱夫たちの組織を含めた集団をゲヴェルクシャフトという。ゲヴェルクシャフトは定期的に集会を開き、賃金支払いや労使交渉などを行った。この集会を鉱夫組合と呼んだ。しかし、集会は時を経るに連れて回数を減らし、支払いも少量の銀に銅を混ぜた質の悪い小銭、グロッシェンやヘラー貨、ペーニヒ貨だった。これらの施策は鉱夫たちを苦しめた。


 一方で経営体も立坑の深化に伴って、出水による排水施設の追加費用、鉱脈の枯渇による破産などの問題に突き当たることが増えていく。それでも鉱山は富の象徴であり、都市を生み出し、領邦の威信を高める存在だった。領主たちは鉱山を維持するために補助金を出し、貧困坑口の救済を試みた。


 ミュールベルゲ鉱山では1499年には33の坑口に対して3万8245グルデンの補助金が支払われたが、銀産出額は2万5380マルクだった(銀1マルク=7~8グルデン)。利益は16万グルデン程度だが、賃金、精錬費用、10分の1税、20分の1税などが差し引かれ、収支はトントンといったところだった。



 鉱山管理は官僚組織として洗練されていった。その編成は鉱山長官、鉱山支配人、鉱山書紀、鉱区台帳書紀、税徴収官、精錬所長、銀灰吹き人、品質鑑定人、境界計測員、参審人などから成った。彼らは貴族であり、会計監査や補助金徴収などを管理した。


 その下にいる鉱区長、鉱夫支配人は実務を管理した。鉱区長は賃金支払い、労働者数の管理、坑口の収支決算書の作成を行った。鉱夫支配人は鉱区長を補佐する他、鉱夫に道具や灯火を渡すという仕事があった。

フライベルクにおける鉱山労働者の分業体制


鉱区支配人 1名

鉱区長 1名

下級鉱夫支配人 2名

坑道板張係長 1名

揚水係長 1名

坑道板張工 7名

揚水係 1名

鉱山鍛冶 3名

左官 2名

先山採掘夫 4名

つるはし採掘夫 53名

採掘夫 33名

同下働き 24名

粉砕工 8名

手伝い 18名

巻き上げ機操作係 2名

同手伝い 2名

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