20. 図説スペイン無敵艦隊 エリザベス海軍とアルマダの戦い ~ 国際宗教戦争の始まり (上) 英西冷戦
女王陛下の国家とその支配権に敵対するいかなる企ても未然に防ぎ、阻止せよ。
――フランシス・ドレイクへの命令
そろそろ戦史に関する書籍を加えても良い頃合いではないかと思う。近世では中世から続く継承戦争だけでなく、宗教対立から生じる内戦が目立ってくる。
ドイツ農民戦争、シュマルカルデン戦争、そしてユグノー戦争。ルターの思想に端を発するプロテスタントとカトリックの対立は各地で内戦を勃発させた。宗教対立は八十年戦争の開始によって、いよいよ国家間の戦争へと波及していくことになる。今回はまず国際宗教戦争の緒戦、英西戦争(1585~1604年)からご紹介したい。
「図説スペイン無敵艦隊 エリザベス海軍とアルマダの戦い」著:アンガス・コンスタム 訳:大森洋子
http://www.harashobo.co.jp/book/b368726.html
アルマダの海戦。レパントの海戦でトルコ海軍を退け、当時最強と謳われたスペイン無敵艦隊が、イングランド海軍に屈辱的敗北を喫した戦闘として、多くの日本人には知られていると思う。しかし、アルマダの海戦でスペインの艦隊は大きな損害を受けていなかった。実際には戦闘後、スコットランド経由で帰投する途中、大嵐に遭って艦船の多数を消失したのである。
スペインの当初の作戦は、リスボンから5万5千もの兵を運びイングランド本土を攻撃するという、陸海軍による大規模上陸侵攻作戦であった。また、16世紀当時、海上戦術の理論は確立されていなかった。異なる戦術を準備した英西の両軍、果たしてどちらが優位なのか、過去の時点で判断する材料を誰も持っていなかったのである。
本書では1588年8月8日のアルマダの海戦――フランスはグラヴリーヌ沖の海戦に至るまでの両国の詳細な動きを描いている。本書により、スペイン無敵艦隊の不名誉な敗北は、宗教対立と植民地支配を巡る歴史の巨大なランドスケープの中の、ほんの小さなランドマークの一部に過ぎないことが分かるだろう。
まず、英西戦争に至るまでの政治的背景を予め整理しておこう。
1570年代当時、スペインはフェリペ二世、イングランドはエリザベス一世という歴史に名だたる君主によって統治されていた。カトリックの盟主とプロテスタントの女王、両者の宗教的立場は違ったが双方とも国内で宗教対立に関わる問題を抱えていた。
スペイン領ネーデルラントはプロテスタントの反乱が激化。オラニエ公ウィレム一世が支援する反乱者たち「海の乞食団」が各地でスペインの補給船団を襲っていた。ウィレム一世の反乱政府はイングランドとフランスの新教徒から密かに援助を受けており、代理戦争の様相を帯びていた。
しかし、エリザベス一世の足元では継承問題の火が未だに燻っていた。彼女の従姉メアリー・スチュアートは前スコットランド女王だったが、フランス王室育ちの熱心なカトリックであり、ヘンリー八世の姪としてイングランド王室の継承権も持っていた。エリザベス一世はスコットランドを追われたメアリーを幽閉したが、それが国内外のカトリック勢力から大きな反発を招くことになったのである。
この間、海上では奴隷商人ジョン・ホーキンズと私掠船船長フランシス・ドレイク、イングランドの二人の海の猟犬が大西洋を荒らし、スペインの海上輸送網に大きな影を落としていた。ホーキンズは奴隷の密輸によって利益をあげながら、抵抗するスペインの守備隊には容赦なく攻撃を加えた。
ドレイクはシマロンと呼ばれる混血児や逃亡アフリカ人奴隷、そしてフランスのユグノーたちを仲間に加えて、1577年にプリマスから出港した。狙いはペルー沿岸での略奪である。スペインの輸送船団を襲い、太平洋回りで世界一周の後に1580年に帰国。スペインに打撃を与えた国家的英雄として騎士に叙せられた。この時点では宣戦布告していなかったものの、その活動は最初からスペインの妨害を狙ったものであった。
スペインはこの時、ポルトガルを併合して太陽の沈まない帝国となり、その主たるフェリペ二世はポルトガル王位も併せ持つことになった。スペインはポルトガル支配の仕上げとして、最後まで抵抗を続けるアゾレス諸島に海軍を派遣する。アゾレス諸島総督はフランスと同盟を結んでおり、60隻の艦隊が守備を固めていた。だが、スペインは2倍近い隻数のフランス艦隊をサンミゲル島の戦いで打ち破ることに成功し、無敵艦隊はその自信を強める結果となった。
ポルトガルを支配下に置く一方、ネーデルラントの反乱を鎮圧するため、パルマ公爵アレッサンドロ・ファルネーゼが自費を投じてネーデルラントに赴いた。1585年、パルマ公爵はアントウェルペンの攻略に成功。これを見たイングランドは最早、ネーデルラントの新教徒に資金援助するだけでは反乱政府を助けられないと考えるようになる。そして同年、イングランドはネーデルラントとノンサッチ条約を結んで反乱政府を支持し、部隊も派遣することを決定した。
海上でも陸上でも二国間の関係は最悪の状態に陥っていた。どう頑張ってみたところで、戦争を回避することはできない状況だった。
1585年、ドレイクの艦隊はカリブ海へと出港する。25隻の艦隊のうち4隻は王室所有の軍艦だった。つまり彼の艦隊はエリザベス一世の援助を受けており、事実上、海賊の続行は開戦の狼煙となったのである。