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11. 南北アメリカの500年 第1巻 「他者」との遭遇 ~ ハンパないチート作物で異世界交易の美味しい商売しようと思ったら、繋がってたのはブラック・アフリカでした (上) 滅びた帝国編

わがエスパニョーラの島民たちは、黄金時代に生きております。

彼らは衣服をまとわず、度量衡も必要とせず、生命とりになるお金も持たず、法や書物にも無縁で、相手を陥れる役人は見当たらず、自然が与えたもので満足し、これからどうなるのかを思い煩うこともなく生きている。


――ペドロ・マルティル『デカダス』第1篇第2巻

 ここまで近世史の文献を律儀に読んだ賢明な読者であれば、世界を一つに繋げた作物について簡単に思い当たるだろう。そう、砂糖だ。

 近世に形作られた経済ネットワーク、「近代世界システム」は砂糖から始まった。やがて植民地を介した製糖業の国際分業体制は世界を飲み込み、最後には近世そのものを終わらせたのである。



「南北アメリカの500年 第1巻 「他者」との遭遇」著:歴史学研究会

http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002214708-00


 本書は近世以降の南北アメリカの通史の第1巻。南北アメリカの発見と征服、そして植民地社会の建設と発展を解説している。消費税3%という表記からお分かりの通り本書の情報は若干古いため、以下の書籍から最新の情報を補いながら、全3回に渡って南北アメリカの近世史を明らかにしたい。


「植民地化の歴史 征服から独立まで(13~20世紀)」著:マルク・フェロー 訳:片桐祐、佐野栄一

http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1054-0.html


「ヨーロッパの帝国主義 生態学的視点から歴史を見る」著:アルフレッド・W・クロスビー 訳:佐々木昭夫

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097897/


 1回目の今回は滅び去ったアステカ、マヤおよびインカ帝国と北米インディアンについて触れ、南米とヨーロッパの邂逅から歴史を紐解いていく。ヨーロッパ中心主義的解釈によれば彼らはゴミ同然に征服され、帝国と民族の歴史を中断しただけに見える。しかし、それは南北アメリカの真の姿だろうか。



 これまでも本連載ではウォーラステインの「世界システム論」について述べてきた。要するに、国家や民族などの文化体が政治的に分離したまま、国際的に分業が行われて経済的には一体化している状態である。


 最初にその扉を開いたのはクリストファー・コロンブスだった。1492年、彼の探検隊はルカヨ諸島、バハマに到達した。その功績は白人による初のアメリカ到達として教科書に記されているが、実際は貿易風と偏西風を利用した航海、その実践と成功に尽きる。欧州人は経験的に得た航海術によって、聖地から離れて世界の淵へ進むと奈落へ落ちるという、平面的世界観から脱却したのだった。


 さて、南北アメリカではメキシコ中部にアステカ、メキシコ南東部にマヤなどのメソアメリカ文明、ペルーのアンデス高原にインカのアンデス文明が栄えていた。カナダの極北にはイヌイット、北東森林地域のイロコイ族、南東地域のチェロキー族など数え切れないほどの先住民が住んでいる。その全人口は研究者によって幅があり、5千万とも1億人ともいわれる。


 南北アメリカは未開の地でも無人の荒野でも無かった。先住民は多彩な統治体制や農耕技術を持っていたが、初期の先住民のイメージはカリブ諸島によって代表された。即ち、自由を謳歌する「ユートピア」の人々である。


 しかし調査が進み、植民が容易ではないことが分かると、先住民のイメージは食人文化を持つ野蛮な敵性集団、カリベへと変化していく。ユートピアの不在に気付いた欧州人は、先住民に対して軍事行動をとり、キリスト教の宣教という精神的征服を仕掛ける方針へと舵を切った。



 1519年、エルナン・コルテスはキューバ総督に逆らい、ユカタン半島に無断で侵攻した。そして1521年、アステカ帝国を滅ぼした。一つの帝国の呆気ない最期だった。この征服について記したコルテスの「報告書簡」は次々に翻訳され、スペインの威光を世界に知らしめることになった。コルテスに続いて1531年にはピサロ兄弟がインカ帝国へと侵攻し、スペインの支配下に置いた。


 スペインは征服者に対して、先住民を労働力として使役させる代わりに保護と改宗を義務化するエンコミエンダ制を採用し、あくまでも先住民を温存しようと考えていた。旧国家機構を破壊しつつも、農耕技術を持つ先住民を利用するのが得策だと考えたのである。しかし、征服者による虐殺や過酷な労働、欧州から持ち込まれた疫病は免疫を持たない先住民に死をもたらした。


 ブラジルを手にしたポルトガルも先住民を労働力として捉えていた。1570年、先住民の奴隷化は規制されたもののブラジルにはサトウキビ農場が約60あり、そこで先住民を働かせていた。しかし、先住民には農業は女性、狩猟や戦争は男性が分担するという価値観があり、それを変えることは困難だった。そこでポルトガルは男性先住民を改宗させると、黒人奴隷の監視役や兵士として利用する。彼らを同盟者として支配構造に取り込んだのである。


 1580年にポルトガルがスペインに併合され、オランダがポルトガルを攻撃し始めるとポルトガルの地位は大きく低下した。1648年、ポルトガルはブラジルを取り戻したが、撤退したオランダはカリブに製糖業をもたらした。この動きが今後の奴隷制興隆の予兆だったとも言える。



 当初、スペイン、ポルトガルともに先住民の完全排除を望まなかったし、彼らの価値観を理解した上で歩調を合わせようともした。しかし、征服者の野心と疫病は遠い本国の制御を外れ、多くの先住民を死へと追いやったのだった。

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