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10. ヨーロッパ史入門 神聖ローマ帝国 1495-1806 ~ カトリシズムの倫理と領邦主義の精神

あなたの幸せは一変するかも知れず、あなたは自分の至らなさのためにこの上ない不幸に陥るかも知れないのです。

それはこれまで恐るべき享楽欲に身を任せ、王妃として身を入れてするべきことに時間を割かなかった結果です。


――マリア・テレジアからマリー・アントワネットに宛てた手紙より

 おやつの時間は終わり。さて、次は神聖ローマ帝国とは何か。その主要制度と役目について少し長めに見ていく。ただし、ここでは皇帝も諸侯も名は出ない。国制に個人名は不要だからである。



「ヨーロッパ史入門 神聖ローマ帝国 1495-1806」著:ピーター・H・ウィルスン 訳:山本文彦

https://www.iwanami.co.jp/book/b257743.html


 「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と評された神聖ローマ帝国は、ドイツ人自身によっても失敗した体制として論じられてきた。ドイツ統一を成し遂げたのはプロイセン王国あるいはナチス・ドイツであり、オーストリアを中心とした帝国は政治的に無能だったと。いわゆるプロイセン中心主義的解釈である。


 本書ではこうした従来の否定的な評価に対して、帝国に一定の再評価を与える研究を論じる。これらの内容を十分に理解するにはドイツ史の知識が必要である。本書はヨーロッパ史入門と訳されているが、原題はStudies in European Historyであり、訳に反して初心者向けの内容ではない。



 近世の大国、フランスやスウェーデンは絶対君主制を敷いて国家の中央集権化を図った。中央政府主導の度量衡の統一や徴兵による常備軍が主な政策といえよう。一方で小国、オランダやスイスは連邦共和制を取り入れた。領邦同士が一定の自治権を持ち、互恵的な関係を保つという統治体制である。では神聖ローマ帝国は?


 帝国に絶対皇帝制は存在しなかった。封建制度は崩壊し、領邦君主は領地を世襲化。その中で絶対君主として振る舞い始めたからである。領邦君主は帝国税の名目で課税を正当化して利益を拡大した。このため帝国国庫は形骸化していき、皇帝位を世襲化していたハプスブルク家も帝国に幻滅、オーストリア大公として領地での絶対君主制の推進を図った。



 帝国で最初に突出した領邦君主は選帝侯だった。中世以来続いてきたローマ王(次期皇帝)の選挙は、その票を持つ選帝侯の権力を強めた。最初の選帝侯は聖界からマインツ大司教、トリーア大司教、ケルン大司教の三名、俗界からベーメン王、ライン宮中伯、ザクセン公、ブランデンブルク辺境伯の四名である。


 文弱で腐敗した聖界領邦という一般のイメージに反して、マインツ大司教領は帝国議会議長を務めるとともに改革を断行し、武装領邦化の道を歩んだ。ブランデンブルク辺境伯のホーエンツォレルン家はポーランドのプロイセン公領を手中に収めて王位を手に入れ、1701年にプロイセン王国として武装領邦の筆頭となった。また、ベーメン王冠領は1526年からハプスブルク家に支配された。


 結果、領邦間の軍事力に大きな偏りが生まれ、連邦共和制への道は妨げられた。この領邦君主の台頭を帝国の領邦化と呼ぶ。最終的にプロイセンとオーストリアの二大ドイツへと帝国は解体されていくことになるが、それでも帝国全体としては帝国議会や帝国裁判所の制度によって領邦間の緊張関係を解消する機能の正常化に腐心した。


 その制度は多くの妥協を孕み、改革の機運を削ぐものだったかも知れない。しかし、それらは帝国の平和に貢献し、体制の存続を可能にした。



 皇帝が権威の象徴であるならば、帝国議会は権力の源泉といえる。帝国議会を構成したのは皇帝と政治参加を許された諸侯、高位聖職者、帝国自由都市――いわゆる帝国等族だった。


 1495年、私闘(フェーデ)禁止令が発布され、法的秩序への一歩が踏み出された。帝国裁判所の介入により、領邦君主は帝国内部における暴力を控え、交渉を重視するようになった。例えば、領邦君主の新たな課税に対して、裁判所を通じて差し止め命令を取り付けるなど、貴族や農民も法的権利を手にしたのである。農民は反乱から訴訟へと対抗手段を換え、積極的に裁判所を利用した。


 帝国は共通通貨の導入には失敗したが、1731年の帝国通商条約など、帝国議会を通じた処理を行うことで帝国議会の重要性を維持した。条約は領邦君主の権力を担保しつつ、同時に権力の弱い帝国自由都市でもギルドが保護される法的根拠となった。



 帝国はオスマン・トルコを始めとする外的脅威にも対応する必要があった。その基本方針は防衛システムの構築である。従って敵地を占領する常備軍ではなく、緊急時に対応する動員組織の準備が優先された。これを担ったのは帝国を10の地域に分けた行政区、帝国クライスだった。


 当初、帝国クライスは地域の平和維持、法の執行、貨幣制度の監視が主な任務だった。弱小領邦や非武装領邦にとってこうした任務は重責であり、クライス内での分担や調整は不可欠だった。クライスが活発化すると次第に防衛のためにクライスが活用されるようになり、それに伴ってクライスも帝国議会に参加。領邦の常備軍を促すと同時に、弱小領邦や非武装領邦も発言権を得た。



 最後に帝国教会について。帝国独自の叙任権を獲得した皇帝にとって帝国教会は重要な存在だった。聖界領邦に属する帝国教会は聖職禄に基づいて多くのポストを提供し、貴族の収入の拠り所となったからである。


 だが、1517年から宗教改革によって諸侯が次々とプロテスタントに改宗。ヘッセン方伯やザクセン公らが改宗すると1531年に彼らを盟主とし、プロテスタントの帝国等族はシュマルカルデン同盟を結成して反皇帝の態度を顕にした。


 1555年にアウクスブルクの和議が成立し、宗派は領邦君主や都市が各自で決めることになった。しかし、その後も小競り合いは続き、対抗宗教改革やカルヴァン派の存在は事態をさらに悪化させた。1618年、ボヘミア全土で大規模な反乱が起こる。デンマーク、フランス、スウェーデンを巻き込んだ三十年戦争の始まりだった。


 1648年にヴェストファーレン条約が締結され、戦争は終結した。領邦君主の改宗や、空位になった聖界領邦が俗界領邦に編入されたことで、帝国教会は大きく数を減らした。しかし、その妥協によって帝国内の宗教的不和は解決され、弱小領邦を保護したことで、帝国の延命に繋がったと見ることもできるだろう。



 結局、近世における神聖ローマ帝国とは何だったのか。未だ分からない部分は多い。帝国は皇帝、選帝侯、諸侯、聖職者、修道院、騎士、都市、村落の連合体であり、国家の枠組みでは説明できないのかも知れない。いずれまた機会があれば、各論の詳細を書こう。

神聖ローマ帝国オマケ付録「等族いえるかな?」


1. アーレンベルク公

2. アイヒシュテット司教

3. アウクスブルク司教

4. アウレンドルフ家

5. アルトワ伯

6. アンハルト侯領

7. アンホルト家

8. イーゼンブルク=ビューディンゲン=ビューディンゲン伯

9. イーゼンブルク=ビルシュタイン伯

10. イルゼー修道院

11. ヴァイセナウ修道院

12. ヴァイセンブルク修道院

13. ヴァインガルテン修道院

14. ヴァルデック伯

15. ヴァルテンベルク伯

16. ヴァルトブルク=ヴォルフェック=ヴァルトゼー家

17. ヴァルトブルク=ヴォルフェック=ヴォルフェック家

18. ヴァルトブルク=シェール=シェール家

19. ヴァルトブルク=ツァイル=ヴルツァハ家

20. ヴァルトブルク=ツァイル=ツァイル家

21. ヴァルトブルク=ツァイル=トラウフブルク家

22. ヴィーゼンシュタイク家

23. ヴィーゼントハイト家

24. ヴィート伯

25. ヴィックラート家

26. ヴィッテム家

27. ヴィンネブルク家およびヴァイルシュタイン家

28. ヴェッテンハウゼン修道院

29. ヴェルツハイム家

30. ヴェルデン修道院

31. ヴェルトハイム伯

32. ヴェルニゲローデ伯

33. ヴォルムス司教

34. ヴュルツブルク司教

35. ヴュルテンベルクおよびテック公

36. ウルスベルク修道院

37. エアバッハ伯

38. エーバーシュタイン伯

39. エーレンフェルス家

40. エグモント伯およびトゥルネー伯

41. エクリンゲン家

42. エゴルフス家

43. エスターライヒ・ウンター・デア・エンス大公

44. エスターライヒ・オプ・デア・エンス大公

45. エッセン女子修道院

46. エッティンゲン=ヴァラーシュタイン伯

47. エッティンゲン伯

48. エノー伯

49. エルヴァンゲン修道院

50. エルヒンゲン修道院

51. オーデンハイム=ブルクサール修道院

52. オーバーディシンゲン家

53. オクセンハウゼン修道院

54. オストフリースラント侯領

55. オストフリートラント伯

56. オスナーブリュック司教

57. オルテンブルク伯

58. オルデンブルク伯

59. オルブリュック家

60. カイスハイム修道院

61. カステル伯

62. カミン侯領

63. カレンベルク侯領

64. カンブレ司教

65. ギムボルン家

66. ギムボルン侯領

67. クヴェートリンブルク修道院

68. グーテンツェル修道院

69. クール司教

70. クライン公

71. クリーヒンゲン伯

72. グルーベンハーゲン侯領

73. クレットガウ方伯

74. グロンスフェルト伯

75. グンデルフィンゲン家

76. ケーニヒシュタイン伯

77. ケーニヒスエック家

78. ゲーメン家

79. ゲルツ伯

80. ゲルデルン公

81. ケルペンおよびロンマーズム伯

82. ケルンテン公

83. ゲルンローデ修道院

84. ケルン選帝侯

85. ゲンゲンバッハ修道院

86. ケンプテン修道院

87. コルヴァイ司教

88. コルヴァイ修道院長

89. コルネリミュンスター修道院長

90. コンスタンツ司教

91. ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ヴィトゲンシュタイン伯

92. ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク伯

93. ザインスハイム家

94. ザイン伯

95. サヴォイア公

96. ザクセン=アイゼナハ公

97. ザクセン=アイゼンベルク公

98. ザクセン=アルテンブルク公

99. ザクセン=イェーナ公

100. ザクセン=ヴァイセンフェルト=クヴェールフルト公

101. ザクセン=ヴァイマル公

102. ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公

103. ザクセン=ゴータ公

104. ザクセン=コーブルク=アイゼナハ公

105. ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

106. ザクセン=コーブルク公

107. ザクセン=ザールフェルト公

108. ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公

109. ザクセン=マイニンゲン公

110. ザクセン=ラウエンブルク公

111. ザクセン=レムヒルト公

112. ザクセン選帝侯

113. ザルツブルク大司教

114. ザルマンスヴァイラー(ザーレム)修道院

115. ザルム=キルブルク伯

116. ザルム=グルムバッハ伯

117. ザルム=シュタイン=グレーヴァイラー伯

118. ザルム=ダーウン伯

119. ザルム=ライファーシャイト伯

120. ザルム伯

121. シェーンブルク伯

122. シャウムブルク伯

123. シュヴァルツェンベルク家

124. シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯領

125. シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯領

126. シュヴェーリン司教または侯領

127. シュタイアーマルク公

128. シュタインフルト伯

129. シュタウフェン家

130. シュタブロ=マルメディ修道院

131. シュッセンリート修道院

132. シュテルンシュタイン伯

133. シュトゥーリンゲン方伯

134. シュトラスブルク司教

135. シュトルベルク伯

136. シュパイアー司教

137. シュピーゲルベルク伯

138. シュポンハイム伯

139. シュライデン伯

140. ズルツビュルク=ピルバウム家

141. ゼーラント伯

142. ゾルム=ホーエンゾルムス伯

143. ゾルム=ラウバッハ伯

144. ゾルム=リッヒ伯

145. ゾルム=レーデルハイム伯

146. ゾルムス=ブラウンフェルス伯

147. ダクシュトゥール家

148. タラスプ家

149. タンハウゼン家

150. チロル伯

151. ツヴィーファルテン修道院

152. ディープホルツ伯

153. テックレンブルク伯

154. テットナンクおよびアルゲン家

155. テンゲン伯

156. ドイツ騎士団アン・デア・エッチュ管区

157. ドイツ騎士団オーストリア管区

158. ドイツ騎士団コブレンツ管区

159. ドイツ騎士団フランケン管区

160. ドイツ騎士団マインアウ管区

161. トゥルン・ウント・タクシス伯

162. トリーア選帝侯

163. トリエステ市

164. トリエント司教

165. トルン女子修道院

166. ナッサウ=ヴァイルブルク伯

167. ナッサウ=ウジンゲン伯

168. ナッサウ=ザールブリュッケン伯

169. ナッサウ=ディレンブルク侯領

170. ナッサウ=ディレンブルク伯

171. ナミュール伯

172. ニーダーイーゼンブルク伯

173. ノーメニー辺境伯

174. ハーク伯

175. バーゼル司教

176. パーダーボルン司教

177. バーデン辺境伯(バーデン=ドゥルラハ)

178. バーデン辺境伯(バーデン=バーデン)

179. ハーナウ=ミュンツェンベルク伯

180. ハーナウ=リヒテンベルク伯

181. バール方伯

182. バイエルン公

183. ハイタースハイム侯領(ヨハネ騎士団/マルタ騎士団)

184. ハイリゲンベルク伯

185. バイルシュタイン家

186. バイント修道院

187. ハウゼン家

188. ハウゼン家

189. パッサウ司教

190. ハッツフェルト侯領

191. ハッハベルク辺境伯

192. ハラームント伯

193. ハルバーシュタット司教

194. バルビー伯

195. バンベルク司教

196. ヒルデスハイム司教または侯領

197. ピルモント伯

198. ヒンターポンメルン公

199. フィルネブルク伯

200. ブーヒャウ女子修道院

201. フェルデン侯領

202. フェルデン司教

203. フォアポンメルン公

204. フッガー伯

205. プファルツ=ジンメルン公

206. プファルツ=ズルツバッハ公

207. プファルツ=ツヴァイブリュッケン公

208. プファルツ=ノイブルク公

209. プファルツ=フェルデンツ公

210. プファルツ=ラウテルン公

211. プファルツ選帝侯

212. フライジンク司教

213. ブライテネック帝国伯

214. ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領

215. ブラバント公

216. フランケンシュタイン伯

217. ブランケンハイムおよびゲーロルシュタイン伯

218. ブランケンブルク侯領

219. ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯

220. ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯

221. ブランデンブルク選帝侯

222. フランドル伯

223. フリースラント家

224. ブリクセン司教

225. プリュム修道院

226. ブルグント公

227. ブルグント自由伯

228. フルダ司教

229. ブレーメン公

230. ブレーメン大司教

231. ブレダ家

232. ブレッツェンハイム家

233. ブロンクホルスト家

234. ペータースハウゼン修道院

235. ヘックバッハ修道院

236. ヘッセン=カッセル方伯

237. ヘッセン=ダルムシュタット方伯

238. ベルー家

239. ヘルスフェルト侯領

240. ベルヒテスガーデン修道院

241. ヘルフォルト女子修道院

242. ベントハイム伯

243. ヘンネベルク伯

244. ホーエンヴァルデック伯

245. ホーエンエムス伯

246. ホーエンゲロルツエック伯

247. ホーエンツォレルン=ジクマーリンゲン伯

248. ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン伯

249. ホーエンローエ=ヴァルデンブルク侯領

250. ホーエンローエ伯

251. ホーヤ伯

252. ホールン伯

253. ホーンシュタイン伯

254. ホラント伯

255. ホルシュタイン=グリュックシュタット公

256. ホルシュタイン=ゴットルプ公

257. ホルツァッペル伯

258. ボンドルフ伯

259. マース侯領

260. マインツ選帝侯

261. マクデブルク大司教

262. マルヒタール修道院

263. マンスフェルト伯

264. マンデルシャイト伯

265. ミュンスター司教

266. ミレンドンク家

267. ミンデルハイムおよびシュヴァーゲック家

268. ミンデン侯領

269. ミンデン司教

270. メールス伯

271. メクレンブルク=ギュストロー公

272. メクレンブルク=シュヴェリーン公

273. メスキルヒ家

274. メッヘレン家

275. メンスフェルデン城およびその村

276. ユーリヒ公およびベルク公

277. ユスティンゲン家

278. ユトレヒト司教

279. ラーフェンスベルク伯

280. ライニンゲン=ヴェスターブルク伯

281. ライニンゲン=ハルデンブルク伯

282. ライネック城伯

283. ライヒェルスベルク家

284. ライヒェンシュタイン家

285. ライヒテンシュタイン侯領

286. ライポルツキルヒェン家

287. ラッツブルク司教または侯領

288. ランツァウ伯

289. リートベルク伯

290. リーネック伯

291. リエージュ司教

292. リッペ伯

293. リムプルク家

294. リューネブルク侯領

295. リューベック司教または侯領

296. リンゲン伯

297. リンダウ女子修道院

298. ルクセンブルク公

299. ルステナウ・ライヒスホーフ

300. レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム侯領

301. レーゲンシュタイン伯

302. レーゲンスブルク・オーバーミュンスター帝国修道院

303. レーゲンスブルク・ニーダーミュンスター帝国修道院

304. レーゲンスブルク・聖エメラム帝国修道院

305. レーゲンスブルク司教

306. レックハイム伯

307. レヒベルク家

308. ロイス伯

309. ロイヒテンベルク方伯

310. ローテンフェルス伯

311. ロート修道院

312. ローラ家およびクレッテンベルク家

313. ロッゲンブルク修道院

314. ロッテンミュンスター修道院

315. 帝国都市アーヘン

316. 帝国都市アーレン

317. 帝国都市アウクスブルク

318. 帝国都市イスニー

319. 帝国都市ヴァイセンブルク

320. 帝国都市ヴァイル・デア・シュタット

321. 帝国都市ヴァンゲン

322. 帝国都市ヴィントハイム

323. 帝国都市ヴィンプフェン

324. 帝国都市ヴェッツラー

325. 帝国都市ヴォルムス

326. 帝国都市ウルム

327. 帝国都市エスリンゲン

328. 帝国都市オッフェンブルク

329. 帝国都市カウフボイレン

330. 帝国都市カンプテン

331. 帝国都市ギーゲン・アン・デア・ブレンツ

332. 帝国都市グミュント

333. 帝国都市ケルン

334. 帝国都市ゲンゲンバッハ

335. 帝国都市ゴスラー

336. 帝国都市シュヴァインフルト

337. 帝国都市シュヴェービッシュ・ハル

338. 帝国都市シュパイアー

339. 帝国都市ツェル・アム・ハルマースバッハ

340. 帝国都市ディンケルスビュール

341. 帝国都市デュースブルク

342. 帝国都市トゥルネー

343. 帝国都市ドルトムント

344. 帝国都市ニュルンベルク

345. 帝国都市ネルトリンゲン

346. 帝国都市ノルトハウゼン

347. 帝国都市ハイルブロン

348. 帝国都市ハンブルク

349. 帝国都市ビーベラハ

350. 帝国都市ブーヒャウ

351. 帝国都市ブーフホルン

352. 帝国都市フェルデン

353. 帝国都市プフレンドルフ

354. 帝国都市フランクフルト・アム・マイン

355. 帝国都市フリートベルク

356. 帝国都市ブレーメン

357. 帝国都市ヘルフォルト

358. 帝国都市ボプフィンゲン

359. 帝国都市ミュールハウゼン

360. 帝国都市メミンゲン

361. 帝国都市ユーバーリンゲン

362. 帝国都市ラーフェンブルク

363. 帝国都市リューベック

364. 帝国都市リンダウ

365. 帝国都市レーゲンスブルク

366. 帝国都市ロイトキルヒ

367. 帝国都市ロイトリンゲン

368. 帝国都市ローテンブルク・オプ・デア・タウバー

369. 帝国都市ロトヴァイル

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