9. ハプスブルク家のお菓子 プリンセスたちが愛した極上のレシピ ~ 苦い歴史は甘美なるスイーツの裏側へ…
ケーキを食べればいいじゃない。
――あるたいへんに身分の高い女性(ジャン=ジャック・ルソー『告白』)
弟が製菓学校に通っていた頃、私は来る日も来る日も実習成果と称するスイーツの処理を任されていた。そのお陰で、私の歯の半分はセラミックに置き換わっている。
庶民でも貴族でも皇帝でも、いつの日か過去は清算される。だが、その日が来るまでは過酷な現実から目を背けよう。そして、せめて砂糖とスパイスをまぶした甘い夢を味わおうではないか。
「ハプスブルク家のお菓子 プリンセスたちが愛した極上のレシピ」著:関田 淳子
https://www.kadokawa.co.jp/product/201216008538
本書は「別冊歴史読本 67 ハプスブルク プリンセスの宮廷菓子」の改訂、文庫版である。また、同著者による「ハプスブルク家の食卓」の姉妹本でもある。宮廷の食事全般に興味があるなら、こちらもお試しあれ。
さて、本書では近世から近代までの、ハプスブルク家所縁の宮廷菓子について解説している。神聖ローマ帝国において皇帝の座を世襲化し、王侯貴族との政略結婚によってヨーロッパ各地で君主号を恣にした君主一族、ハプスブルク家。彼らが愛した宮廷菓子とはどのようなものだったのか。
ハプスブルク家の皇后や皇女だけでなく皇帝をも魅了した宮廷菓子には、世界中から集められた材料がふんだんに用いられた。砂糖は言うまでもなく、香辛料やコーンスターチなど、新大陸の作物は宮廷菓子には無くてはならないものだった。宮廷の晩餐会は着色した砂糖芸術によって彩られ、百皿にも及ぶ菓子が食卓に並んだ。菓子はまさしく富と文化のシンボルだったのである。
人類が初めて利用した甘味は蜂の蜜だった。古代エジプトまで遡るが、その頃には既にハチミツと小麦粉、果物、香辛料を用いた焼き菓子の原型が生まれていたとされる。太古の昔から甘味への飽くなき嗜好は人類共通の性であり、時代が移っても人々は新しい甘味を求め続けた。
中世におけるサトウキビによる製糖業は地中海沿岸のアラビア人が中心となって行っており、砂糖は超がつく高級品。貴族にとっても簡単に手に入る代物ではなかった。口寂しい中世の時間は、そのまま虚しく流れていった。
だが、15世紀が終わりを告げるその時、ポルトガルに幸運が訪れた(「5. 大航海時代の日本人奴隷(以下略)」参照)!
モロッコから西に500kmのマデイラ島で小規模なサトウキビ栽培に成功していたポルトガル。マデイラ島から新たに発見したブラジルへとサトウキビ栽培の軸足を移し、黒人奴隷を使ったプランテーションに成功したのだった。ポルトガルによる砂糖独占体制の開始である。
すると、当時はパッとしない一地方領主でしかなかったハプスブルク家にも神の奇跡が舞い降りた!
領袖のフリードリヒ3世がハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝に選出されると同時に、ポルトガルから皇妃エレオノーレを迎えることになったのだ。フリードリヒ3世は使者の路銀を出し渋るほど困窮していたが、エレオノーレが故郷から携えてきた結婚持参金と大量の砂糖のおかげで、ハプスブルク家の経済状況は持ち直した。
エレオノーレは故郷の砂糖を用い、子供にも菓子をよく食べさせたという。息子で後の皇帝マクシミリアン1世が好んだ菓子は「レープ・クーヘン」。これは砂糖と多数のスパイスで作ったクッキーで、大航海時代を代表する富の塊だった。今でもニュルンベルクの郷土菓子としてレープ・クーヘンは食されている。
皇帝となったマクシミリアン1世も父に倣って政略結婚を進め、息子のフィリップ美公とスペイン王女ファナを結婚させた。二人の間に生まれたのがカール5世である。父フィリップと母方の祖父フェルナンドの死によって、カール5世は弱冠16歳で統一スペイン国王カルロス1世となった。1519年、日の没しない帝国の誕生である。
カール5世は広大な領土を統治することを諦め、弟のフェルディナント1世をオーストリア大公に就かせ、中欧を任せることにした。フェルディナント1世のウィーン入り後、義兄でハンガリー王兼ボヘミア王ラヨシュ2世が1526年、モハーチの戦いでトルコ軍に討たれる。結果、2つの王冠はフェルディナント1世の頭上に移動。ボヘミアの宮廷からボヘミア菓子がウィーンにもたらされた(ハンガリー? イスラムに占領されたわ、あいつ)。
それでもフェルディナント1世はスペイン宮廷の菓子の味を忘れることができなかった。そこでスペインから菓子職人を招聘。さらに1560年に宮廷菓子専門学校まで設立してしまう。ウィーンには欧州各地から菓子職人が集まり、洗練された食文化の基礎が作られることになっていった。
ここでは皇帝による帝国と菓子文化の基礎について述べたが、本書には13の宮廷菓子のレシピも記載されている。本書を手に取った際には是非、宮廷菓子の味を再現してみて欲しい。
面倒なら「トルテ オーストリア 菓子」で検索して出てきた菓子を買って食べよう。多分、失敗はしないと思う。