(if)マッチ売り少女の夜想曲
夜想曲というよりは、狂詩曲の様な気もする。
初めてマッチ売りの少女のお話を読んだのは何歳の時だっただろう?
数年振りに読み終えた私は、本を机上で静かに閉じて、そっと離れてベッドの上へダイブすると左右に寝転がっていた。
「ぅー……」
残り火という、物語の余韻が未だ残っていた。
早く消さないとまた大きく拡がっていきそうな気もする。
一度読んだ事がある、悲しい結末をもう一度辿る事になろうとは。
英文で書かれたマッチ売りの少女のお話を和訳するという、学校の冬休みの宿題が出された。机上にある本は英語版のものだ。
勿論、お話は日本語版の方では何度も読んだ(というよりは読まされた)事がある。あらすじも分かるから、和訳するにはそんなに難しくはないのだけれど……、バッドエンドのお話は何年経っても悲しい事は変わりなかった。
「……やっぱり、バッドエンドのお話は凄く悲しいし、ハッピーエンドに変えてしまいたいなぁ」
――少女は寒空の下、かごいっぱいに入ったマッチを見て
ため息をついています。
これを全て売らなければ、家にいる父親に叱られます。
けれど少女はそんな事を嘆いてため息をついているのではありません。
父に叱られるよりももっとひどいことが今日、
自分の身に降りかかることを嘆いているのです。
「……はぁ。もう無理……」
私は溜め息をついて、お話を振り返るのを止めた。
未だノートの方で、英文のお話を日本語に書き直してる途中で、先がどうなるのか分かっていると考えたくない。
それでも進めなければならない。宿題だから。
「……お話、作ってしまおうかなぁ」
そう考えたくなる。
気付いたら私は、ベッドから起き上がると再び机に向かって、雪の様に真っ白なノートを広げた――。
※ ※ ※
――起きたら、
寒かった。氷の様に。
え、何でこんなに寒いの? 部屋の中に居る筈なのに?
というか、いつの間に寝てたの??
直ぐに目を開けた――。
其処は部屋の中じゃなかった。暗い灰色の空からは白いモノが舞っている。
白銀の西洋な街並みで、見覚えの無い景色……。
私はその真っ白な道の上に立っていた。
古いエプロンを身に纏っていて、その付いていたポケットの中にはマッチが数え切れないくらいにたくさん入ってて、右手に一束持っていた。また足はとても大きな靴を履いているのが視界に入った。
これはまるで――
其処に馬車が猛スピードでやって来た。
「わわっ!?」
慌てて右の方へ避ける。間一髪というところでホッと一息。
そう思いきや、もう一台の馬車も猛スピードでやって来た。
「うそーっ!?」
これには道の隅の方へ飛び込む様に避けた。しかしその弾みで――
「っ……! 冷たい……」
吐いていた靴が両方、脱げてしまったみたいだ。
しかしまた他に馬車が来そうだったので、靴を取りに行くのは後でにしよう……。
ぼんやりと馬車が通り過ぎるのを眺めて待って、
暫くして道に何も通らなくなってから、脱げてしまった靴を探しに向かった。
何処にいってしまったのだろう、とても大きな靴……。
探して探してやっと片方の靴だけ、大分離れたところで見つけた。
其処へ見窄らしい格好をした子供が走って来た。
片方の大きな靴を見ると直ぐに手に取られて、『良いの見つけた! これでいつか自分に子どもができたらゆりかごにできる!』とかそんな事呟いてた気がする。そしたらそのまま持ち去られてしまった……。
「……もう、このまま歩こ」
靴探しは諦めて仕方なく、裸足で真っ白で冷たい雪の絨毯を踏み歩いた。
※ ※ ※
「やっぱりこれって……」
“マッチ売りの少女”。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンが書いた世界そのものみたいだ。
そして私は今、童話の少女になっている。
……ユメだ。
そう自分に言い聞かせても、雪の冷たさを感じられる以上、ユメではなく現実みたいだし。
どうしよう……。私、このままお話の通りに最後、死んじゃうの……?
片手に持っていた、未だ火の点いていないマッチ棒をぼんやりと見つめた。
あの悲劇を何としてでも回避しなくちゃ。
その為にはどうすれば良いのだろう?
「確か最初は……、火を点けると、あたたかいストーブの幻が見えるんだったっけ?」
今は兎に角凄く寒いけど、火を点けなければ、何も始まらない筈。
という事は、火を点けなければ良いんだ! 開き直って、マッチを売りに行く。
……ちょっと、色仕掛けもしてみよう。
よく考えたら、このお話の少女は見た目も可憐だし、何より少女の髪は長くて金色の色をしてて、首のまわりに美しくカールして下がっているし、この特徴を活かさない手は無い。
若い男の人を一人見つけると、自然な笑顔を作ってセールストークしてみた。
「そこのお兄さん♪ 寒い日にマッチ一本……、いかがですか?」
男の人は笑わず、マフラー越しながら答えた。
「生憎、今は特に……マッチ、必要ないんでね」
……
なに、その雪の様に冷たくてクールな眼差し。そんなのアリなの……?
多分、この瞬間に悲劇を回避出来た。気がする。
このお兄さんに恋してしまった。私の心に火が点いた。
消したくない、この思い! もっと燃え燃えで行きたい!
よし、追い掛けよう。
先程のお兄さんは未だ遠くまで行かれていなかったので、直ぐに追い付いた。
「あ……、あの、お兄さん……」
お兄さんは振り返った。
「……何? 未だ何か用があるの? しかしマッチは要らない」
そして私は意を決して告白した。
「マッチはもう良いです! お兄さんと……、デートしたいです……」
「……は?」
お兄さんは真顔で首を傾げた。
後半はしどろもどろになってしまったせいか、伝わらなかった気がする。
よし、もう一度……!
「お兄さんの事……、好きになっちゃいました……。付き合って下さい!!」
「……ガキには興味ないな。もう少し身体つきが女らしくないと……」
「え?」
「さぁさぁ、ガキはもう寝る時間だ。あっち行った行った」
ガーーン。
私の心の火は消えた。
そして、クソ野郎は闇の中へ消えて行った――。
※ ※ ※
うーん……、大失敗。
多分、色仕掛けしてもダメなんだろうなぁ。
今度はどうしようかな……。
兎に角、さっきの恋に破れてしまって余計に寒く感じるから、マッチに火を点けようか。
これは避けられないね……。
……そうだ! 違う幻を見れば、何とか死を回避出来ないかな??
例えば……そう。
私がアイドルとして歌を歌うステージとか。
「わ゛た゛し゛は゛ー゛ う゛た゛う゛ー゛よ゛ー゛」
私は懸命に歌う。キャンドルの火たちに囲まれたステージの上で。
「……」
観客の方は無関心だった。人に寄っては耳も塞がれてる。
それもその筈だ。どれだけ良い声を出そうとしても、自分でも耳を塞ぎたいくらい、これは酷い……。
マッチの火はとうとう消えてしまった。短かった。
一分も経ってないんじゃないかな!!
マッチ売りの少女の声は可愛らしい癖に、歌は致命的に下手だった。
これは新発見だ……。歌が歌えないのか……。
でも困る。これじゃあ、私、死から回避出来ないよっ!!
※ ※ ※
うーん……
それから色々、火を使ってジャグリングしたりしてみた(危な過ぎて怖かった)けど、結論からしてダメだった。
……もう、諦めようか。
「お話の通りに幻を眺めよ……」
それからはお話の通りに、順にあたたかいストーブ、歩く七面鳥の丸焼き、聖なる夜のクリスマスツリーの幻を眺めた。
もちろん、途中には流れ星も流れた。
その中で私はふと思う事があった。
「でもよく考えたら、マッチ売りの少女はこの話の最後では死ぬけど、最期は"幸せじゃなかった"とは書かれていない。だから、きっと――」
いよいよ、クライマックスのおばあちゃんの幻の番が来た。
「……」
知らないおばあちゃんの姿だった。
でも見ていて何故か懐かしい気分だった。
「……おばあちゃん」
現実の私のおばあちゃんはご健在だけど、見ていて悲しくなってきた。
現実の方も亡くなったらきっと、こうして泣くんだろうなぁ……。
しかし現実のおばあちゃんより先に私はきっと、
このまま知らないおばあちゃんに連れられて、天国へ――
私は眩しくてあたたかな光に包まれた。
白銀の西洋な街並みに積もる、雪の下で深い眠りについた――
※ ※ ※
……
……あたたかい。
でも、何かずっと……
心臓の辺りに手を伸ばしてみる。
何故か……、鼓動を感じる――?
――目を開けた。
「……あれ?」
起きたら、私の部屋だった。いつからか机上に寝そべっていた様だ。
そして雪の様に真っ白なノートの上で。
机上で寝そべっていたのに、何で心臓の辺りを触れられたのかは分からないけど。
ただ、何か違和感を覚えた。
特に、身に纏っているモノが――。
「……えぇぇぇぇっ!!?」
私の服はあの時の古いエプロンのままだった。
もちろん、その付いていたポケットの中にはマッチが数え切れないくらいにたくさん入ってて、右手には一束が確かにあった。