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見えない私

作者: アキラ
掲載日:2017/12/05




私は私を見失った。


それはもう10年近く前の話。


でも、今でも探し中。


たった1人で苦しんだ5年間と


人との間に探している5年間。


きっと見失うキッカケはなんてないこと。


例えば、真ん中っ子で、頼られる上が羨ましいとか、甘やかされる下が羨ましいとか。


お店に買い物に行っても、お母さんにベッタリな下に比べて、ふらぁ〜と居なくなる子で、気付けば1人で戻ってくる。


例えば、切り分けたケーキの一番小さいのを取るとか。


美味しいからみんなにも味わってもらいたいのは嘘じゃない。


でも、一番の理由は「優しい子」って褒めてもらえるから。


気付けば出来てた遠慮癖。


小さい頃はそれでも自由だったから、友達が居ない割に目立ちたがりだった。


いや、友達が居ないから目立ちたかったのかな?


授業では毎回、手を挙げて


学校の発表会では、台詞が一番多い役を選んだ。


まるで私はここに居るよ!と叫ぶように。


一番好きな教科は道徳だった。


違います。がない教科。


私の思いが、気持ちが、全部認められるから。


そう、小学校の時に友達が出来なかった。


「遊ぼう」って言ったら断られた。


何度かあって諦めた。


誰だったのか、忘れちゃった。


誰か分かんないからみんな怖くなっちゃった。


居場所がなかった。


だから習い事をした。


「遊ぶ人この指とまれ〜」と言う輪の中に入る勇気は小学校の中学年になる頃にはもう無かった。


でも、「遊べる子が居ない」なんて認められる程、私の心は強く無かった。


だから習い事をした。


友達が居ないから「遊べない」んじゃない


時間がないから「遊ばない」んだと。


あの子達みたいに私は暇じゃないんだ、と。


私は自分の心の傷を見て見ぬ振りをした。


時折遊ぶようになっても私がクラスメイトを信用することは無かった。


私が好きで遊んでくれたんじゃない。


友達が遊べなかった時、一緒に入れない時、1人にならないための保険だ。と。


そう本気で信じていた。


もう、人を信じれなくなっていた。


高校生になっても、友達に対して、私は1人にならないための保険、嫌いな友達なんだと本気で信じていた。


失礼極まりない人間だった。


でも、そうしないともう私の心は保てなかった。


中学校に入って、中学デビューして、心機一転した。


明るくて些細な事で笑って、オーバーリアクションで、大食いな最近は少年漫画を好む女の子。


クラスの中心の近くに居た。


たった1ヶ月の無茶だった。


最初は五月病だったんだと思う。


でも、それから行きにくくなった。


理想の私は儚く散った。


その時は、何で行けないのか分からなかった。


只々自分が情けなかった。


元々嫌いな生きる価値のない私は、普通の事すら出来ないのかと絶望した。


今思えば、偽りの自分が好かれて嬉しいわけが無かった。


息苦しいわけが無かった。


対して面白くない事で笑うのは大変だった。


お腹いっぱいなのに食べるのは辛かった。


でもそうしないと嫌われる気がした。


そんなに息苦しい生き方は必要なかった。


自分の生きてる価値が分からなくて


死にたいと切望した3年間。


やっと抜け出す兆しが見え始めた最近。


今でも死にたいと思う事がある。


でも、生きたいとも思う。


まだ、夢も希望もあるはずなのに目の前は闇しか見えないけど


それでも死にたいと泣く事は減った。


二十歳を過ぎて、社会で働くようになって、子供の頃に少しずつ戻れてる気がする。


まだまだ怖いけど、昔の私に、まだ愛情を信じていた私に戻れてる気がする。


小さい頃は、すぐに声をかけて友達を作れる子だった。


最近、声をかければ、合う合わないは別として、一時は仲良く出来るのだと理解した。


見当たらない私を探して、死にたいと闇をさ迷っていた。


闇はとてもとても深くて、周りの愛情すら隠していた。


今なら分かる。


勇気をふりしぼって入れば良かったのだと。


楽しくないことを楽しくないと、


お腹いっぱいの時にはお腹いっぱいだと、


大きいケーキが食べたい時には食べたいと、


「辛いよ」って、


「苦しいよ」って、


「愛して」って、


「私を一番愛して」って、


そう言えば良かったんだ。


離れていく人は私とは合わなかっただけ。


そう言えば、「愛してるよ」って返してくれる家族に気付かなかったのは、私だけ。


誰が悪いわけではなかった。


運が悪かった。


例えば、指しゃぶりをする大人しい子だったとか。


例えば、ふらりと消えても泣きもせずにひょこっと自分から両親の元に帰る子だったとか。


例えば、一番大きなケーキを下の子に譲っちゃうとか。


手のかからない子に手をかけなかった結果、愛情が上手く伝わらなかっただけなんだ。


それでも確かに愛されていたのだと今になって分かる。


だから気を付けて欲しい。


手のかからない子は、すでに遠慮を覚えて、親の愛情を独占するのを諦めているが、羨ましくないわけでも、愛されたくないわけでもない。


逆に他の子より愛情に鈍感で、深くて愛されたいと切望している事がある。


そして、愛されていないと思う子は、一度勇気をふりしぼって言ってみればいい。


「私は大好きだけど、私のこと愛してくれてる?」


って。


そうすれば、世界は意外と好転するかもしれない。


私にとって、世界は息苦しくて愛おしい。


見えない私の探し方。


それは我が儘になること。


どうせ自分を見失う人間の我が儘なんてたいしたものではないのだから。


幼い頃から自分を殺して他人に合わせることを覚えてしまうお人好しなのだ。


そうしたら何故だろう、子供の私が戻ってきた。


それがまだ模索中の私の私の見つけ方。





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