09 山下翔
[09 山下翔]
「翔ちゃん、翔ちゃん! 小百合さんからメール来たよ!」
家に帰り、エミカお嬢様の部屋で今日の宿題をしていた時だった。エミカお嬢様は勉強する気などないらしくベッドでごろごろと携帯を触っていたが。
ふーん、と言い数式に目を滑らせるがお嬢様は俺が無視した事にムカっとしたようでわざわざ勉強机に座っている俺の所まで来てメールを見せに来た。
「わー本当ですねー凄い凄いー」
「棒読み!! 『また今度一緒に勉強会をかねて遊びに行きましょう』ですって! 凄い!遊びに行く時に翔ちゃんも連れてきてね、って言われなかったのはじめて!!」
確かに。
「自分を女にしてほしい」なんていう意味不明な申し出だったが、ガチでエミカお嬢様と仲良くなる事が目当てらしい。なんかそれはそれで怖いけど。でも、過去の経験からして大体疑ってかかった方が良いって事は学んだし。
「小百合さんと仲良くなれてうれしいなー! しかも私師匠だよ!」
「あんな呪いかけられたとか言ってるよく分からない人、信じ過ぎるのもどうかと思いますけどね」
エミカお嬢様の今までの騙されヒストリーが頭に走馬灯のように流れてきて頭が痛くなった。何でこの人はこんなにも不幸体質で、しかも礼司が好きとかいうトンチンカンな人間なんだろう。
「……でも翔ちゃん以外に、エミお話できる人いないし……小百合さん悪い人そうじゃないし……」
「緋紗子は?」
「……ヒー子は、いっつもエミが相談しても結局『そういう運命だ』って丸め込むもん」
「流石カルト系人間」
緋紗子の口癖は「そういう運命だ」である。
そしてその言葉のおまけが、「私の言う通りにすれば全て正しくなるのよ!」という教祖宣言。
大体礼司もよくあんなカルト人間によく付き合えるよな。
「……まぁ悪い人では無いと思いますけれど。怖いんで、出来る限り俺がいない所で二人であったりしないでくださいね」
「うん! 分かった!」
エミカお嬢様がまた騙されて、緋紗子に専属使用人としての役目がどーたらこうたら言われたら面倒だし。
「翔ちゃん、今日は私もう寝るね!」
「あ、ほんとですか」
「明日はもーっと小百合さんと仲良くなれると良いなー!」
「……だからあんまり信じ過ぎないで下さいってば、あんな変人……」
はーとため息をつきながら、机の上の勉強道具をまとめていく。
四年間も自由に何にも縛られずに生きていたあの時代が懐かしい。部屋から出ていこうとする俺に手をふらふらと振るお嬢様に、俺はまたため息をついた。
*
「翔!」
山下家に戻って、風呂にも入り冷蔵庫を物色していた時だった。
振り向くと、そこにはやはり緋紗子の姿が。っつーかいつまで制服着てんだお前。
「……なに」
「小百合さんとエミカお嬢様、どうして仲良くなってるの?」
「……はい?」
何言ってんだこいつ。
一旦冷蔵庫の扉を閉めて、まだ生乾きの髪をタオルでぐしゃぐしゃと拭く。
あーそういや、今日緋紗子が呼びにきた時ちょうどお嬢様と桜川のプリ☆プリ同盟が生まれたもんな。そんな事を思い出しながら口を開いた。
「……お嬢様が誰と仲良くしてようが緋紗子に関係ねーだろ」
「あるわよ」
緋紗子がやけにきりっとした表情でそう言った。今まで緋紗子がこんな風にお嬢様の事に干渉する事はそこそこあった。……四年ぶりだから余計にウザく感じるな。
それでもいつも「翔は専属使用人としての自覚が足りない」と基本俺を責める内容であるのに。
「仲良くなっちゃだめよ、うまくいかなくなっちゃう」
緋紗子と俺は仲があまり良くない。
でも同じ専属使用人だし、ビジネスパートナーとしてはそこそこ付き合う。「礼司がこう言ってた」とか「お嬢様の体調がどうだの」の情報を共有したり。
だけど、こんなにも背筋がぞっとするようなお願いをされるのは初めてだった。
「小百合さんは、お嬢様と仲良くなるべきじゃないの」
昔から、緋紗子の事が好きじゃなかった。
「そういう運命なのよ」なんて言葉でいつも片付けるし。
「……緋紗子、お前何様なわけ」
「私の言う通りにすれば全て正しくなるのよ!」
ふん、と誇らし気に緋紗子がそう笑う。いつも通りの教祖宣言なのだが。
お嬢様と桜川が仲良くなるべきじゃない?何を思って緋紗子はこんな事を言っているんだ?何を根拠に?というより、なんでこんなにもこいつは必死になってるんだ?
「あと、お嬢様が礼司様の事を好きにならないようにちゃんと見張っててね」
緋紗子がウザいドヤ顔をかましながらそう言う。
いや、そう言われましても、今日お嬢様に「礼司の事がまだ好きだ」ってカミングアウトされたばっかりなんですけど。
俺は、ぶうん。と鈍い音を立てる冷蔵庫の音を聞きながらゆっくり口を開いた。
「緋紗子様はエミカお嬢様の交友関係に口出しできるくらい偉いんだね」
「翔、私はお嬢様の事を思って言っているのよ」
緋紗子はそう言った。
お前が礼司の事が好きだからそう言ってんの?なんて冗談を言いたくなったが、目の前の緋紗子は思ったよりカルト丸出しな笑顔を見せていたので、そんな言葉は俺の口から発せられる事もなく、ただ体の中へ沈んでいった。
「……とにかく翔、よろしくね」
そう言って緋紗子が俺の肩を叩いた。どうにも俺と言い争いをするつもりは無いらしい。
自分の部屋に向かう緋紗子の背中を見て、「きもちわる」とぼそりと呟く。
……大体、桜川はあんなに友達が出来なかったお嬢様に対してガチで友達になりたがっているみたいだし。
さっきもエミカお嬢様はあんなにも「小百合さんと仲良くなれて嬉しい」と喜んでいたのに。
……そんなの今さら「仲良くするな」とか言えるわけないし。言うつもりもないし。
また冷蔵庫を開けて、ペットボトルの蓋をあけ、ごきゅと水を飲む。
冷蔵庫のひんやりとした冷気のせいなのか。それとも緋紗子の発言のせいなのか。どちらかは分からないけれど、寒気が止まらなかった。
――大丈夫ですよ礼司様、きっとすぐにまた新しい家族が増えますから――
どうして緋紗子は、母親が亡くなって泣く礼司にそんな気が狂っているとしか思えない発言をしたんだろう。
あの時は礼司と同じくぼろ泣きしていた俺は「何言ってんだ、奥様が亡くなったのに新しく家族が増えるわけなんかないだろ」って緋紗子にキレたっけ。緋紗子は何故か笑ってたけれど。
実際、緋紗子の言った通りその数年後新しい奥様とエミカお嬢様が朝比奈家にやってきた。
――エミカお嬢様は、きっと礼司様の事を好きになるわ――
どうして緋紗子は出会ったばかりのエミカお嬢様を見て俺にそう耳打ちしたんだろう。「兄弟で恋愛とかあり得るか?」と俺は確か緋紗子にそう言ったっけ。緋紗子は何故か笑ってたけれど。
実際、緋紗子の言った通りエミカお嬢様はみるみるうちに礼司の事を好きになっていった。
気味の悪い姉だとは思っていた。いつも自分が正しい。自分に付いて来れば正しい道を歩めるというそんな言葉を常に吐いている。
しかし緋紗子の言う事は合っている。緋紗子の言う未来は合っている。
――小百合さんは、お嬢様と仲良くなるべきじゃないの――
――お嬢様が礼司様の事を好きにならないようにちゃんと見張っててね――
さっきの緋紗子の声が頭からついて離れなかった。
緋紗子の忠告を聞かずに、お嬢様と桜川が仲の良いままだったら一体将来に何が起こるというのだろう。お嬢様がこのまま礼司の事を好きなままだったら一体将来に何が起こるというのだろう。
山下緋紗子は一体何を知っているんだろう。
「きもちわる」ともう一回小さく呟く。
冷蔵庫のぶーん、という機械的な音に負けてしまうようなそんな小さな声で。