33 山下緋紗子
[33 山下緋紗子]
「父さん、私は翔と専属使用人を交代しようと思うの」
自分の父親はこの朝比奈家の旦那様に幼少期から仕えている、旦那様の専属使用人である。
母さんと翔のいない食卓で、ばさと父さんが新聞をめくる音が耳につく。
父さんの顔は読んでいる新聞に隠れていて見えない。
「どうして急に」
「翔とエミカお嬢様が、恋人ごっこなんかしているから」
あの二人の関係はもう「ごっこ」じゃない。そんな事自分が一番分かっているけれど。
私は、正当化したかった。ここで自分の親である前に大先輩である父親に「主人と関係をもつなんてありえない」とバッサリ切り捨てて貰えば、自分の気持ちに蹴りをつけれるような気がしたから。
そんな自己満足の為に自分の弟を使うなんて。本当に我ながら最悪な姉である。
「ああ、その事か」
「その事って……父さんは知ってたの」
「当たり前じゃないか。あいつも知ってるよ」
あいつ、というのは朝比奈家の旦那様の事だろう。
また父さんがばさ、と新聞をめくる音が耳につく。
「翔も緋紗子も、大人をなめちゃいけない」
はは、と父さんは軽く笑う。
知ってたなら、どうして言わなかったの。使用人と主人が恋なんかしちゃだめだって。そんなの許される事じゃないって。
「緋紗子の自由にしなさい。翔と交代したいならすれば良い」
父さんの言葉はそれだけだった。
父さんの考えは分かっている。もう高校生で子供じゃないんだから自分の事くらい自分で何とかしろ、という事なんだろう。
分からない。
翔とエミカお嬢様の恋は許されるものなの?
だったら私も、主人である礼司様に恋してもいいの?
ああ、そういえばこの世界は乙女ゲームの世界だったんだ、と自嘲。
朝比奈礼司は、桜川小百合とゴールインするのがハッピーエンド。
バッドエンドしかなかったお嬢様を幸せにすると誓った翔とは違う。
礼司様には、原作に存在しない山下緋紗子抜きでも幸せな未来が待っている。
*
携帯を見れば礼司様から「来て」という二文字だけが送られてきていた。
扉の前に立ち、がちゃとノックなしで入ると礼司様は枕を人に見立てて何かの練習をしているようだった。告白の練習でもしているのだろうか。
「……ヒー子、ビビった。ノックしろって」
ぼふ、とベッドの端に腰かけた礼司様がそう言った。
すみません、と小さく謝る。私はよっぽど酷い顔をしていたのだろうか。礼司様が不安そうに私の顔を見る。
「ヒー子、最近マジで元気ないよね」
「……そうですか?」
「うん、心配」
そんな嬉しい事、さらりと言わないでほしい。
ふつふつと溢れ出す礼司様への気持ちを何とか抑えながら、私はいつも通りあまり表情を変えずに礼司様の前に立っていた。
「ヒー子があまりにも元気なくてコワキモいから、俺ヒー子の事元気にしようと思って」
「……一発芸でも披露してくださるんですか」
「え、そっちの方が良かった?」
私の冗談を間に受けた礼司様が真顔でそう言う。
そんな礼司様に少し笑ってしまうと、礼司様は少し驚いたような表情を見せた後に嬉しそうに笑った。
ヒー子が笑った、なんて呟きながら。
私だって別に笑いますよ。
でも、私なんかが笑っただけでそんな嬉しそうな表情をして下さる礼司様を見ると胸が張り裂けそうになる。
「エミカが、前に四人で遊園地に行きたいって言ってたからその、俺チケット四枚用意したわけ。でもさーその、なんていうか……やっぱ、翔とエミカは二人で行きたいだろうし」
「……まぁそうでしょうね」
「ヒー子最近元気ないし、俺がちょっとでも元気づけられたらなーって。だからさ、その、俺と二人で遊園地行かないかなーみたいな……」
財布からチケットを二枚出した礼司様がそう言う。
自分の分の一枚をすっとお札の横にしまった後に、礼司様が「ん」と言って私の分のチケットを私に差し出す。
胸がぎゅっと痛んで、何故だか泣き出しそうになってしまった。
本当なら今すぐこのチケットを手にして、あわよくば礼司様の胸にそのまま転がりこみたい。
「礼司様、私そんなの貰えません」
「あ、お金なら気にしなくていーよ」
大した金額じゃないし。と礼司様が付足す。
「私なんかじゃなくて、小百合さんをお誘いなさった方が良いのではないでしょうか」
自分の本心からかけ離れた言葉だった。
見たくなかったけど、礼司様の顔を見れば目を丸くしていた。でもそんなのは一瞬で、礼司様はすぐに不機嫌そうに眉を寄せた。
そんな顔しないで。不機嫌そうな礼司様の表情は私の胸の痛みを加速させる。
「……いや、俺はヒー子を誘ってるんだけど」
「使用人が主人と遊びにいくなんて、」
「俺の妹は使用人と恋に落ちたけどね」
荒い口調で礼司様がそう答えた。
いつもぬるーい、ゆるーい喋り方をする礼司様からは想像できなくて体をびくと揺らしてしまう。
「……使用人が主人と恋に落ちるなんて、ありえません」
どうしてか分からないけれど、礼司様は酷く傷ついたような表情をしていた。
礼司様は「ああ、そう」とだけ呟くと私に差し出していたチケットを財布の中に突っ込んで、ごろんと自分のベッドに横になってしまった。
「礼司様」
「なにー」
私に背を向けたまま、いつもの口調で礼司様はそう答えた。
「私と翔は、専属使用人を交代しようと思います。翔とエミカお嬢様は少しお互いに盲目的過ぎるでしょう、このまま付き合うとしても少しは距離を取る方が良いと思うんです……」
本音半分建前半分だった。
翔とエミカお嬢様がお互いに盲目的になっているのも本当。
しかし本音は、私が好きな人とずっと一緒に居るのに結ばれない、なんていう苦痛過ぎる現状から逃げ出したかったから。
「緋紗子は、翔とエミカの邪魔がしたいわけ?」
「そ、そんなつもりじゃありません」
「……あんまりいじめないであげてね、翔もエミカも」
礼司様がそう言う。
前にも言われた事がある。エミカをあんまりいじめないであげてね。と。
私そんなつもりじゃ。と反論しかけた時礼司様は私に背を向けたまま、ぽつと呟いた。
「ま、そんなの建前で。緋紗子の本音は『俺の専属使用人をやめたいから』でしょ」
「そんな」
「緋紗子、もういい」
礼司様は私に背を向けたままそう言った。
自分から嫌われるような言動をとっているくせに、私の全てが「私の事嫌いにならないで」と叫んでいる。
本当は礼司様の事が好きで好きでたまらなくて、でも私じゃきっと礼司様を幸せにできなくて。
礼司様のハッピーエンドの相手は小百合さんだと決まっていて。
私はこんなにも礼司様の事が好きなのに。
「明日からはエミカをどうぞよろしく」
「礼司様、私」
「……緋紗子、もう出てって」
背を向けられたまま放たれた言葉が私の胸に刺さった。
自業自得だ。でも、でもこんなのいや。弁解したいのに。どうしよう、どうしよう、なんてうろたえていれば、「はやく」と礼司様が付け足した。
山下緋紗子は本当にバカな人生を送っている。
自分でもそう思うのだから、第三者から見れば笑える事間違いなしだろう。
次の日、言われた通りきちんと礼司様の部屋をノックしてからドアを開けた。
でもそこには礼司様の姿は無かった。
私が起こしにこなくても自力で目を覚ましたのだろう。
これで良かったんだ。
私はこの世界では単なる礼司様のサポートキャラで一丁前に恋なんてして、メインヒロインから礼司様を奪えるようなそんなポジションの人間ではないし。
私なんかいなくても、きっと礼司様と小百合さんはくっ付く。そんな運命なんだから。
ぱ、とたまたまゴミ箱に目が行く。
そこには昨日礼司様が私に渡してくれた遊園地のチケットが、ぐちゃぐちゃに丸められて捨てられていた。




