30 山下緋紗子
[30 山下緋紗子]
「聞いて、大ニュース。俺エミカと翔がキスしてるとこ見ちゃった」
ベットに寝転んだ礼司様が、読んでいた雑誌から目を離して何故か少しニヤニヤしながらそう言った。
礼司様は、私があの時翔の話を外で盗み聞きしていたという事を知らないのだろう。
俯いたままの私を見て、「あれ?知ってた?」と言う。
「……知りませんでした。翔とエミカお嬢様がそんな関係だなんて、私には見えませんけれども」
嘘をついてしまった。
多分、私は翔とエミカお嬢様の関係を知りたくなかったからだと思う。
さっき翔が私に「エミカお嬢様が好きだ」と言った。
その後、翔はエミカお嬢様に気持ちを伝えたのだろう。礼司様がキスした所を見たと言っているのだから。
心の底では、本当は上手くいってほしくないなんて考えていたと思う。
自分の恋が上手く行く可能性が少しでも多くなるから。
私はなんて嫌な人間なんだろう。
それでもしょうがないじゃないか。人間なんてこんなものでしょう。自分の幸せと人の幸せを選べと言われて、他人の幸せを選ぶ人間なんていないのよ。
そんな事を考えていると、自分が少しずつ崩れていくようなそんな気分になってしまう。
「翔もエミカも、俺たちの知らない間に大人になってた。俺的には翔とエミカはいつまでも妹と弟って感じだったんだけれどなー」
苦笑交じりに礼司様がそう言う。私は何も答えられなくて黙っていた。そんな様子を見てか礼司様が、ぽつりと呟く。「もうあの頃には戻れない」と。
恋愛感情なんて一つもなくて、私たちはとても良い友達であり、とても良い家族でもあった。
もうあの頃には戻れない。そう思っているのは四人共だろう。翔とエミカお嬢様は男女の関係になってしまって。私は礼司様の事が好きになってしまって。
小さな頃からいつも私は「礼司様の為に」と考え行動していた。それは見返りなんて必要としていなくて、ただ単に「この人の為になりたい」と素直に思っていたから。それでも今となっては、「この人に私を見てほしい」という気持ちが私の中に渦巻いている。
私はいつも完璧主義で「自分の人生ほど人に褒めてもらえるものはない」と自負していた。しかし残念な事に、今となっては山下緋紗子の人生ほど笑えるものはない。
完璧使用人は、ただの女に成り下がってしまったのだ。
*
次の日、礼司様がまた宿題をやっていなくて職員室に呼び出されていた間、私は図書館にでも行こうと思って廊下を歩いていた。
窓の外からは謎の花畑が見える。そう言えばお嬢様と小百合さんがプリプリ同盟がなんちゃらとか言っていた時にもこの花畑をぼんやりと見ていたなぁなんて。
今、目をやるとそこには翔とエミカお嬢様の姿があった。
初等部の頃から変わらずに黙々と二人で花冠を作っている。私はなんとなくそんな二人をこれ以上見ていられなくて、階段を走るように駆け降りていた。
羨ましい、ずるい、もう私はどうしたらいいのか分からないのに、なんて思いながら。
その花畑に出れば、翔とエミカお嬢様の唇が重なった。
胸が痛くて、涙がこぼれそうになる。
恥ずかし気に、お互いを見るその仕草。本当にお互いの事が好きなんだろう。
好きで好きで、どうしようもなくて。お互いの気持ちを確かめあうように重ねる唇ほど甘くて、愛おしいものはないのだろう。
「翔」
そう呼ぶと、私の存在に気が付いた翔が嫌そうに眉を寄せた。
エミカお嬢様は申し訳なさげに私を見る。
「ありえない。使用人と主人が恋に落ちるなんて、ありえない」
ぱちん、と翔の頬をぶつ。
翔は赤くなった頬を指でなぞる。舌打ちでもされるかと思ったが翔は何も言わなかった。
自分の言葉が胸に刺さる。しかし、これは正論なのだ。そして完璧使用人山下緋紗子が言う言葉としては正しいのだ。
「翔、恥を知りなさい」
エミカお嬢様がおろおろとした表情で、「翔ちゃんほっぺ大丈夫?」と言う。
それに特に返事をする事もなく、翔は私を見ていた。
「ヒー子。怒るのは分かるよ、でも翔ちゃんの事ぶっちゃだめ。翔ちゃんとヒー子はほんとの兄弟なんだから」
「別にいいです、ほんとの兄弟だからぶたれてるんです」
翔は淡々とそう答えた。
ここでまだ、普段みたいに「このクソカルト野郎」って怒鳴り返してくれるほうがずっと良かった。しかし翔は黙ったままだった。
「エミカお嬢様、お嬢様は朝比奈家の令嬢で。だからきっとこれから貴方に相応しい人に出会える。翔みたいな使用人と違って」
自分の発する言葉全てが自分にブーメランとして返ってきている。
自分の言葉が自分の鼓膜を揺らすたび、涙が零れそうになった。
「ヒー子、ヒー子の言ってる事は何も間違ってない。エミもこんなの間違ってるって一番分かってる。でも、でもエミは翔ちゃんの事が好きなの……」
ごめんなさい、と誰に対する言葉か分からない謝罪の言葉をエミカお嬢様は涙ながらに述べる。
赤い頬の翔は今まで黙っていたが、ようやく口を開いた。
「緋紗子、多分俺が世界で一番お前の気持ちを分かってる」
翔が口にしたのは、そんな意外な言葉だった。
私はそんな翔の言葉と、悲し気な表情を見てうろたえてしまう。
また赤くなった頬に指を滑らせながら翔は口を開いて「ごめん」とエミカお嬢様と同じ謝罪の言葉を述べるのだ。
「……誰かが犠牲にならなきゃこの世界は回らないみたいな、そんな気分になるよね」
ぽつ、と翔がそう言った。
その言葉に、私の目からも涙が落ちた。
どうして涙が落ちたのかは、自分の胸に聞いても「分からない」という返事が返ってくるだけだろうけれど。
「それでも俺はこの人を幸せにしたいし、エミカお嬢様を幸せにできるのは俺しかいないと思う」
ごめん、と翔がもう一度そう言った。
私は「はは」と俯きながら少し笑ってしまう。
私はこんなにもひたむきに人を愛せる自分の弟が羨ましい。
私は好きな人と想いが通じ合っている自分の弟が羨ましい。
山下翔になれたら、なんてどうしようもない事を考えながらただ涙を零していた。




