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山下緋紗子の人生を笑うな  作者: 佐伯琥珀
第3章 山下緋紗子になりたい
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22 山下翔




[22 山下翔]





「ちょっと翔」



 そう言う緋紗子を見て、素直にイヤだと思った。

 俺がお嬢様の部屋に行こうとした時、緋紗子は俺を呼び止めた。



「……なに、お嬢様のとこ行くから簡潔によろしく」

「翔は酷いわ」


 そういう緋紗子に、背筋が凍ったのは言うまでもない。

 俺と緋紗子が今突っ立っている廊下には、使用人の人が多く通る。それでも俺と緋紗子の雰囲気を察してか、ぺこと頭を下げて無言でそそくさと横を通っていった。



「翔は、エミカお嬢様の事を何にも考えてない」

「エミカお嬢様に幸せになってほしくないの?」


 大げさな手振りで緋紗子がそう言う。

 幸せになって欲しいなんて、俺が世界で一番思ってる。

 緋紗子が言っているのは、桜川とお嬢様が仲良くしている件だろう。緋紗子が、どうしてあの二人を近づけないようにしたがるのか、俺には分からない。



「悪いけど、お嬢様の事なんて俺が一番知ってるし、緋紗子に色々口出しされる覚えはない」

「何回も言ってるわよね。翔、私の言う事は正しいの。いう事を聞きなさい。エミカお嬢様はこのままだと幸せになれない」


 ……でも、エミカお嬢様と桜川を引き離したって、お嬢様はきっとひどく悲しむ。「運命だから」だなんてきっとまた困ったように笑うだろうけど。


 緋紗子は相当イラついているようで、声を荒げた。


「翔、いい加減にしなさい。翔は私が嫌いだから『緋紗子のいう事なんか聞きたくない』なんて反抗しているだけでしょ。それでもなんでもいいから私のいう事を聞いて。私は、お嬢様に傷ついて欲しくない」

「……緋紗子、お前ってほんとカルト」



 普段なら緋紗子のSEKKYOUにイラついてぎゃあぎゃあとここから口論が始まるのだが、俺はそれをする気分になれなかった。

 「カルト」という言葉だけを残して、緋紗子に背を向けた。

 緋紗子が俺の手首を掴んだが、それをばっと振り払う。


 今日、お嬢様の涙を見てしまったからか。

 それともお嬢様に俺との関係は「ビジネス」だと言われたからか。

 形容しがたいもやもや感が胸を占めていて、カルトとこれ以上話す気になんかなれなかった。



 俺との関係をビジネスと考えていただなんて。

 でも、しょうがないか。俺がずっと昔から「もう高校を卒業したらやめる」と言っていたんだから。











 こんこん、と部屋をノックする。そして「あ、待って!」という声が聞こえる前にがちゃと扉を開く。

 お嬢様は、一人用にしては広すぎるベッドの上に座ってごしごしと目をこすっていた。


 俺を見て「あ、翔ちゃん!」なんてニコニコ笑うお嬢様の姿にまた胸が痛む。


 俺がぼふ、とベッドに腰掛けると、お嬢様も俺の横に座る。

 俺は余裕で足が床に付くけど、お嬢様は深く腰掛けているからか。それとも身長が低いからか。足が床に付かないのでぷらぷらさせている。



「泣いてましたか」

「あはは、泣いてないよ」

「目ぇ真っ赤」

「……ちょっと、ほんのちょっとだけ泣いてた」

「何で」


 そう言うと、隣のお嬢様は黙った。

 俺が横目でちら、と見るとお嬢様と目が合う。何故かばっとお嬢様は俺から目を逸らすと、またいつもみたいに困ったように笑うのだ。



「……なんか、なんか自分の不甲斐なさにちょっと泣けてきちゃって……ごめんね、でも翔ちゃんの顔みたら元気でたよ! エミ明日からも頑張れそう!」


 いつもなら、この笑顔と言葉に騙されていた。

 ふーん、まぁ大丈夫って本人が言うならいいけど。と。


 お嬢様の頬を親指の腹で少し撫でる。

 それだけなのに、お嬢様の目からは急にぼろぼろと涙が零れてきた。



「うそつき」


 俺が少し笑ってそう言うと、お嬢様はふるふると首を横に振った。

 エミ、うそなんかついてないもん。という表情で俺を見るが、とりあえずそんな顔は、涙を止めてから見せた方が良い。説得力0だし。



「あんたが何で泣いてるかなんて、大体見当つくけど、これ以上突っ込んでほしくなさそうだからやめときます」


 そう言うと、お嬢様が首を縦に振った。

 ほんとに、何でこの人はこんなにも素直かな。なんて苦笑する。


 多分、お嬢様が泣いているのは「エミは翔ちゃんに迷惑ばっかりかけてる」なんて事だろう。



「でも、俺の知らない所で泣くのはやめて貰えますか、困る」

「ご、ごごめん! エミ、翔ちゃん困らせてるよね」


 ごしごし、と目をこすって、手をぶんぶんと振りながらお嬢様がまた急に、にぱと笑ってそう取り繕った。



「日本語通じてます? 泣くなら俺の前で泣け、って言ってるんだけど」


 そう言うと「じょう゛じゃん゛」と鼻水をずるずるとさせながら、お嬢様が俺の名前を呼んだ。

 急に泣きすぎだろ、なんて苦笑しながら頭の後ろからぽんぽん、と頭を叩く。



「エミ、翔ちゃんに迷惑ばっかりかけてるよね、ごめんね」

「謝るくらいならサッサと泣き止んで」

「んんー……ごめん、ほんとごめん」


 ごめん、って謝るくせにお嬢様は泣き止まない。

 本人もそれに焦っているようだが、涙は止まらない。



「カレーなら、俺が頑張って美味しいの作ってあげます」

「……エミ、翔ちゃんが料理へたっぴーなの知ってるよ」

「俺の言いたい事、分かってます? 迷惑だ、なんて思ってないから『留学行く』なんて言わないで貰えますか」


 顔を覗きこみながら、そう言うとお嬢様がぎゅうと俺に抱き付いてきた。

 「翔ちゃん、翔ちゃん」なんて何度も何度も俺の名前を呼びながら。



 お嬢様との関係はビジネス、と思っていたのは俺の方だった。

 ずっと小さな頃から高校を卒業すればもう専属使用人をやめる、と高々と宣言していたし。


 でも、実際今日お嬢様から「私たちの関係はビジネスだ」と言われると、どうしようもない位に虚しかった。

 自分は今までエミカお嬢様に何度も何度も数えきれないくらいそんな言葉を言ってきたのに。実際自分が言われると、こんなにも胸が痛むのか。


 お嬢様の背中に手を回して、ぎゅと力を込める。

 こんなにも細くて、すぐ折れてしまいそうなそんな体。


 俺の右肩を濡らすお嬢様。嗚咽の音がやけに耳について離れない。



「エミ、エミ幸せになれないのかなぁ」


 そんな言葉に尚更胸が締め付けられる。


 どうして、この人はこんなにもいい人なのに、

 幸せになれないのが運命づけられているような、そんな「人生」なんだろう。



 俺はこの人が好きだよ。

 誰よりも傷ついているくせに、誰よりも優しいエミカお嬢様の事が。



 もぞ、と少し顔の位置を動かしたお嬢様と目が合う。

 こつん、とお互いのおでこを合わせて少し笑った。


 身分違いだなんて分かっている。

 


 シンデレラの話がうまく行ったのは、王子様がシンデレラを好きになったから。

 シンデレラが王子様を好きになったって、上手くいくとは思えない。


 礼司の恋が上手くいきそうなのは、礼司が緋紗子の主人だから。

 跡継ぎで、この家で一番大事にされている礼司が「緋紗子以外好きになれない」なんて言えば、きっと誰だって「しょうがないなぁ」なんて頷くだろう。


 でも、エミカお嬢様はどうだろう。

 きっとこのままでは、いつか朝比奈家の為にどこかの坊ちゃんと政略結婚するだろう。

 礼司と違って、エミカお嬢様はこの家にとって事業を拡大させる為の一つの駒でしかない。


 そして、エミカお嬢様は礼司が好きで。俺の今の気持ちなんか気づいてくれないかもしれない。



 この世の中のありとあらゆる最低なシチュレーションをかき集めたような、そんな気分だけれど。それでも、俺はこの人が好きだよ。

 

 生産性なんて一つもないけれども、それでも俺はこの人が好きだよ。



 エミカお嬢様は「幸せになれない」なんて言っていたけど、ハッピーエンドに会えないのは俺も一緒だ。

 それでも唇を塞いでしまって、このままベッドに押し倒してしまいたい衝動は、恋以外の何物でもないと俺は思う。

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