11 山下翔
[11 山下翔]
「自分とキスしてくれませんか」
放課後プリ☆プリミーティングで桜川が発した言葉だった。
頭を下げてお嬢様にそう言うが、勿論エミカお嬢様はぽかんとした表情でそんな桜川を見つめている。こいつほんとに頭大丈夫か。
「……えーっと、私とキスしたいって事?」
「はい、そうです師匠」
「翔ちゃんの方が良くない? 今の高等部第一学年で一番モテる男だよ」
「山下君とキスするくらいなら……死にます」
きりっとした表情で桜川がそう答えた。
「死にます」という言葉の前に妙なタメがあった事に尚更腹が立ち、頬がぴくっと揺れた。
何度も言うけれど、別に俺は「自分超モテるワ」なんて調子に乗っているわけじゃない。ただ、ただちょっとこの学園がおかしいだけだ。
まず、俺が学校に行けばファンクラブなのなんだのよく分からない集団に絡まれる。
前は全てスルーしていたが、最近はお嬢様が嬉々とした表情で、その人達と「お喋りしたい」なんて言うから逃げられなくなってきた。
一週間に何回も告白を受けて。全部断っているのに、なおやってくるという鉄人ばかり。
……なんかやっぱりおかしくないかこの学園の奴ら。普通の学園でファンクラブなんかあるか?漫画とかでなら見たことあるけど。
まぁ考えてもしょうがないか、そんな事。
「俺もあんたとなんかしたくないし」
「あーもうほらー翔ちゃんはまたすぐにそういう言い方するー。小百合さんごめんね?」
「あ、いえ別に。それより自分は師匠としたくて……」
何故かにた、と笑った桜川がそう言った。
可愛い顔してんのに何でこいつこんなにも気味が悪いかな。
「あ、えっと一応ちゃんとした理由あるんですけど言ったほうが……?」
「いや、もういいよどうせまともな理由じゃないだろうし」
グラウンドからはテニス部のやけに大きい声が聞こえる。お嬢様が「ちょっと翔ちゃん」と何故か俺を咎めるような声を出した。
桜川は視線を落として黙ってしまった。
小学校の給食時間を彷彿とさせる、机と机をぴったりとくっ付けて座るそんな座り方。隣に座っているお嬢様が、あわあわとした様子で俺と桜川を交互に見ていた。
俺は、少し壁側に体を預けて、教室の窓から外に視線をやる。
耳につくのは「ファイットー」というテニス部の掛け声。
ぼんやりと外を見ていると、ぐい、とお嬢様にシャツを引っ張られたので視線を戻す。翔ちゃん、という事だろう。
前を見ると桜川の長い睫が、顔に陰を落としていた。
「エ、エミ別にいいよ? 小百合さんは女の子だし、それに減るもんじゃないし!」
「良くないです、俺が許さない却下」
「はは……ですよね……」
急にしおらしくなった桜川の態度に罪悪感がむくむくと湧いてきてしまう。
でも、俺は悪くないし。お嬢様とキスしたいなんて、ほんとお前の頭どうなってんだよ。
*
帰り道、校門までの石畳をいつも通りお嬢様と歩いていた。
後ろを見れば、にゅうっと長い二つの影が伸びている。
「翔ちゃん」
「……はい」
後ろからお嬢様の声が聞こえたので、少し歩くスピードを緩めて斜め後ろに視線をやる。
「昨日ね、ヒー子に『小百合さんと仲良くしちゃダメ』って言われたの。……エミ、ヒー子の言う事聞いた方が良いのかなぁ」
……あのカルト野郎。
お嬢様は眉を下げて困ったように笑った。俺の足はぴたり、と止まってしまってお嬢様はそれを見て自分の足も止めた。
「あんな奴の事なんて聞かなくて良いです。だいたい、緋紗子は使用人のくせにエミカお嬢様に口出しとか何様だよ」
「……翔ちゃんもよく私に口出ししてくるけどね」
「しょうがないじゃないですか! あそこでキス阻止しない奴の方がおかしいですって!」
なんとなく、緋紗子と同類にまとめ上げられた事に腹が立ってそう言い返すとエミカお嬢様は嬉しそうに笑った。
翔ちゃんが焦ってるの、可愛いなぁ。なんて嬉しくもなんともない言葉を添えてくすくすと笑っている。
俺は気恥ずかしさから緋紗子sageの会話をする事でお嬢様の気を逸らそうと口を開いた。
「あいつほんと何なの。未来でも見えてるんですかね」
「……ヒー子って預言者なのかなぁ? じゃあヒー子に助言貰って株でも始めてボロ儲けしようよ翔ちゃん!」
「お嬢様にしてはナイスアイデアですね」
「でしょ! ヒー子を利用してぼろ儲けしちゃおうよ!!」
緋紗子が本気で未来が見えてるかどうかはよく分からないし、気味も悪いから深入りしたくないけど、株で儲けるってのはありだな。
俺も高校卒業したら山下家を出るし、自分で稼がなくちゃならないし。それまでに自分の貯蓄として緋紗子予言貯金なんていうのもいいかもしれない。
そんな風に考えていると俺を見上げたお嬢様が少し物憂げな表情を見せた後に口を開いた。
「ねぇ翔ちゃん、エミの事バカだって思わないでね」
「大丈夫です、毎回言ってますけど常に思ってるんで」
もう、と言いつつお嬢様は少し笑う。
そしてまた口を開いた。
「……エミ、小百合さんが初めての友達なの。だからね、エミね、ヒー子になんて言われたって友達やめたくないの」
「あんなカルトの言う事なんて信じなくて良いですって」
「……カルトってヒー子の事?」
「あいつ以外にカルトって言葉が似合う奴いますか?」
そう言うとお嬢様はこそっと携帯で「カルト」という言葉の意味を調べてから「なるほどね!」と声を上げた。
こんな所から香るお嬢様のバカ臭に乾いた笑いが出てしまう。
「エミね、ヒー子に…………あ、やっぱり良いやぁ」
「ちょっと、そういうの一番気になるんですけど」
もういいもーん、とケラケラ笑いながら俺をからかうようにお嬢様が俺を見る。
緋紗子に何言われたんだよ!という事よりも、俺をからかうような態度を取るお嬢様を見て俺も少し笑ってしまった。
翔ちゃんが笑ってる、なんてお嬢様はまるで流れ星を偶然見たみたいに目をまんまるとさせながらそう言う。そんなに珍しい事じゃないと思うんだけれども。
そんな時、校門近くに目をやるとたまたま緋紗子と礼司が居た。
車を待っているであろう二人を見てぴた、とお嬢様の足が止まった。
さっきまであんなに笑っていたお嬢様の顔から笑顔が消えて、見ているだけで胸が痛んでしまうような、そんな表情になってしまう。
緋紗子と礼司は何を話しているかまでは聞こえないが、緋紗子が何かジェスチャー交じりに礼司と話していた。
礼司はポケットに手を突っ込みながら、適当に緋紗子の言葉に返事をしているのだろう。
そんな様子にいつも通りの「ちょっと礼司様私の話ちゃんと聞いてますか!」という緋紗子テンプレワードが聞こえてきそうな、そんな表情で緋紗子が礼司の肩を叩く。
礼司は緋紗子に叩かれた肩を「痛い」とアピールするかのように撫でている。
でも、その横顔はとても穏やかで。少し目を細めて緋紗子を見つめるその表情は「緋紗子の事が好き」だとダイレクトに語っているようで。
俺は自分の横に居るお嬢様の顔が見れなかった。
「……ねぇ翔ちゃん」
「……はい」
そう答えた時、お嬢様とぱっと目が合った。
泣いていてくれたら、まだ気が楽だったかもしれない。
でもお嬢様は泣かずに、ただ少し困ったように笑って口を開いた。
「やっぱり、エミって幸せになれない『運命』なのかなぁ」
『運命』というのは山下緋紗子の口癖。
お嬢様のその言葉から、山下緋紗子がお嬢様に何を言ったのか。という事が何となしに予想できてしまった。
人の「運命」とやらを鼻高々に語る、山下緋紗子の事が嫌いだ。
でも「幸せになれる人」と「幸せになれない人」がまるで生まれた時から決まっているような。そんなこの世界の事は、もっと嫌いだ。




