夕焼けの空の中で2〜足掻き〜
疾走する二つの影が、長い屋上の床で交差する。
執事の男は、爪を優雅に操りながら、命の繰り出す凶器の一撃一撃を捌く。
俺は、その間を縫うように男の正面に肉薄ーー下から、叩き上げるようなアッパーを繰り出し、男は顎を引き顔すれすれでそれを避け…瞬間的に俺は伏せる。
俺の首を刈り取るような、容赦の無い鉈の凪ぎ払いが、髪の毛先だけを綺麗に切りながら、男へと振り抜かれ…男は、それすらも後方に跳び、避ける。
俺は床を蹴り、その鉈の刃を頭上に感じながら、床すれすれを前進。男の足が、床に着地するか否かの刹那のタイミングでーー俺は一気に上体を起こす。
男の顔を目前に捕らえ、肩から胴体目掛けーータックルのようにぶつけ、すぐに肘を折り曲げ…渾身の力で男の鳩尾へと叩き込む。
衝撃に揺らぐように、執事の男は体制を崩す。
「チェックメイトね」
そんな声が俺の耳元で聞こえ、横へと滑り込むように、命は走り込み…即座に鉈が閃きーー
「ーー温いですね。姫」
鉈の刃が空気を裂き、首へと綺麗に線を描き…刹那、触れるのは執事の男のーー
「まさかーー純銀牙」
口から突き出るように伸びた二本の大牙。男の顎をしのぐ長さの特大の牙が、迫る鉈の刃を…口を開き、僅かな閉口で噛み砕く。
「ええーー温いですね…私が浴びる…好きな…この雨よりも遥かに温い」
執事の男はそう言い、口を開きながら後方へ跳ぶ。
「ククク…もう少し…私の時間が来る前に、決着がつきそうですが…それでは意味がない」
牙に異様なーーカメレオンの舌かと思うような…そんな長さの舌を、唾液と共になめつけ、高笑いが屋上に木霊する。
「姫…今宵、貴女の全てを貰い受けます。…脆弱な人の子よ、足掻くなら足掻いてみせよ」
「あら?そんなに余裕でいいのかしら?…気づいてない…ならーー」
執事の男に命はそう告げーー俺の喪失した腕は、一瞬の後に再現、修復を終える。
「この場で死になさい。千本乱舞ーー」
「ーー三本守護剣」
俺の体が、爆発するように熱を帯びる。メリメリと嫌な音が鳴り…次いでーー
「ぐ…来…い!!俺のーー一部を持っていけ!!」
刹那、背骨がーー体を突き破り、一気に宙へと躍り出る。右手、左手が…腕の根元から吹き飛びーー現れるのは、銀の切っ先。
「ぐ…あ…い…ぐ…顕現せよ!い…つ…我が守りてよ!!」
剣は揺るやかに宙へと舞い上がる。背骨が、変形しーー巨大な大剣へと姿をかえる。
倒れ込みそうになる体はーーしかし、既に修復を終え、元の俺へと再生を果たし…目の前にいるであろうーー敵を睨みつける。
「零司…まだ唸る癖が直らないの?大丈夫かしら…」
そんな事を淡々と命は言いながら、体から生える剣が既に臨戦態勢を終えるように、宙へと群れを作っている。
「おやおや、境界を跨いだ…ようですね。さてーー脆弱な人の子よ。姫を守るならば、私を殺すがいい」
にやけた顔が俺を真っ直ぐに見つめ…剣が呼応するように、駆ける。
「そうだ…それでいい。ククク……褒め称えてやるぞ、守りて。手土産を渡してやろう」
執事の男は、迫る三本の剣に対し、ただーー腕を横に大きく振るう。
それはあまりに唐突に現れた。まるでマジックのように、男はーー濃い紫の髪をした、未来という少女を抱き抱えていた。
「さあ、喰らえーー我に歓喜の瞬間を!!」
急制動ーー方向を失うように、三本の剣は互いにぶつかりあい、男と少女の横を落下し…床を抉りながら再度宙へと舞い上がる。
「命!!」
叫んだ拍子に、群れをなす剣に対し…俺の剣を叩き込むように正面へと向かわせーー男と未来に飛来する剣を、片っ端から弾く。
「ククク…さて、こちらは一度引きますよ。この女は預かる。私の力を…感知する場所で、お出迎えの準備をしておきますよ」
「貴様は黙れ!!命!!もう止めろ!!お前にも無駄だと解ってる筈だろ!?」
執事の男は、ゆっくりと背中から屋上のフェンスへと跳びーー当然のように追従する剣と剣の群れを…眺めながら、フェンスを再度蹴り…
「では、また逢いましょう…姫もーー人の子も、必ず…来るでしょうから」
笑い声を響かせ、執事の男は、器用に腕を頭上に動かしーー消えた。
「零司…貴方ね…」
ようやく剣は、互いに宙へと停滞し、命はそんなぼやきを言いながら、俺へと近付く。
煙草に火をつけーー紫煙を吐き出すと、命へと向き直り、同時に命の頬に向け平手を見舞う。
「ーー命…彼女を、殺す気なのは…よく解った。だがーーお前が死ぬ事になり得る事は許さない」
「……あの男はーー危険過ぎるわ。純銀牙、それにーー」
命が頬を撫でながら、視線を向けるのは空。
夕焼けは終わりーー次に来るのはーー闇の色。
「……予想が正しいなら、アレは…私の手には…終えないかもしれないわ」
煙を吐き出す俺を、真剣な眼差しで命はーー見やる。
「…かもな。だがーー俺には、やらなくてはいけない理由がある」
命へと背を向け、煙草を床に捨てると、フェンスへと向かいーー俺は一点を見つめる。
ーー神之門寺ーー
「……零司ーー明らかに、罠よ。あそこにはーー」
「知ってるさ。知ってるが……行くしかないだろ。俺はーー全てを守ると、決めたんだからな」
髪を軽くかき、俺は煙草に火をつける。さてーー
「……行くしか…ないわよね?」
命の声が迷いを含めて聞こえ、俺は命の方を見ずに片手で頭を撫でる。
「覚悟はいいさ。だから、命ーー俺と来い」
そう言い、屋上の床を蹴りつけーー夜空の星を見ながら、落下。
アスファルトの塗装が見え、音も無く着地すると、駆ける。
神之門寺、学園から向かえばーー遠い距離だな。あそこは、住宅街を経てーー山の中にあるからな。
視界に映る建物が、過ぎ去る程の速度で進む。
全力でーー最速でーー
風を切る感触に合わせ、体がギシギシと唸る。それすらも無視するように、跳躍。
屋根へと跳び、また屋根を蹴りつけ、再度跳ぶ。
衝撃に揺らぎ、触れた屋根の一部が、砕けるのを視界に映しながら…速度は緩めない。
次第に建物が少なくなり、見えるのは巨木の数々。
この木々を抜けた先にーー奴はいる。少女ーー未来という、彼女と共に。
「もうすぐだ…命…俺は、間違ってない…よな」
木々の枝を蹴りつけ、衝撃でへし折れるのも幾本かあるが、俺は構わず前へと突き進む。
どれ程の距離か…ようやくーー赤い、巨大な鳥居を視界におさめ、再度跳躍ーー
不意に、遠吠えーーのような鳴き声が耳を叩く。宙に踊る俺はーー唐突に木々から、俺へと飛ぶように現れた…銀色の毛並みの、巨大な腕によりーー
鳥居目掛け、吹き飛ばされた