夕焼けの空の中で〜招かれざる者〜
血のように、真っ赤な色が世界を包む。
俺は、命の長い話を聞き終えーー屋上を照らし出す夕焼けを座りながら、視界に収め。
まるで血塗られた空だな…などと考え、紫煙を静かに吐き出し、もう入りきらない空き缶に無理矢理押し潰す。
溢れて、山のようになった吸い殻を横目に、夕焼けの空になったことから…どれくらいこうしていたのか…などとくだらない事を思いながら、横に佇む命をみやり。
「彼女と契約を交わした事はわかった。だが…お前は何故ーー彼女を巻き込んだ?」
そんな問いに、彼女は俺を見やり、視線をそらすと…夕焼けを見つめながらコンクリートの壁に背中を預け、何気なくこう言った。
「私の話を聞いていたわよね?彼女は…生き残る事を選んだ」
「違うな、お前ならーー殺して終わる筈だ。選択など…余程の理由が無ければ与える訳がない」
軽くなった箱から煙草を取りだし、食わえ火をつける。
紫煙に揺られ、その先にいる彼女は笑みを浮かべながら、髪を片手で掬うように払うと、俺へと向き直りーー
「ええ、殺すわよ。彼女を殺してーー」
俺へと近づき、髪を片手で撫でる。彼女がーー命が何かをしようとする際の、癖のようなものだ。
「私と零司の命の糧になってもらうわ」
煙を吐き出し、成る程…命が、彼女に時間を与えた理由がーーそういう事かと理解し、同時に…俺にはそれは出来ない。
「零司は、出来ないしーー容認しないし、理解はしないでしょうね」
命が俺の髪を優しく撫でながら、そう言い…俺は静かに紫煙を吐き出す。
先端から灰が重力に引かれ、落ちーー緩やかな風にたなびき、夕焼けの空に舞う。
「……俺の為か?お前の為か?」
煙草を指で床に投げると、フィルター付近まで来た熱を指で感じながら、命へと視線を投げる。
「……さあ?零司には解らないわ。どちらの可能性もあるかもしれないし、零司の事なんか…考えてすら、いないかもしれない」
そっと頬に、冷たい指先が当たり…撫でるように動かしながら、彼女はーー俺の唇に指を這わせる。
「何時もの事よ。何ら変わらないーー私と貴方の在り方よ」
……何も、変わらない。俺も命も、この世界もーー
夕焼けに照らされたこの世界は、俺達にとってーー
「壊れた世界はーー何をしても、壊れたままよ。それを修復しようとするのは、貴方の意思。私の在り方は、貴方と私のーー」
血だまりに染まる空。壊れた世界ーー俺には、何も出来ない。
指が、白い人形のような冷たい指が、俺の頭を後ろから押さえる。
頭を押さえながら、命が俺の顔を覗きこみ…
「終わりの無い世界を、永遠にーー殺しあいましょう」
微笑む命。俺は、息を止め…命の顔をただ見つめる。
優しく微笑む命。優しい顔をしながら、その裏はーー常に泣いている。
俺には、それが解る。命と共にどれくらいの時間を…日時を…過ごしたか解らない程の俺には、命の事が解る。
「……それを望むなら、俺に出来る事はそれだけだ」
多分、俺はーー命と誓約を交わしたあの日からーー
いや、違うな。命と出逢ったあの日から…俺はーー
「おやおや。お二人共ーーどうもこんにちは」
唐突にーー声が聞こえた。
「いや、捜しましたよ。気配はあるのに…まるで行方がわからない…雲を掴むようなーーそんな捜索でしたから」
夕焼けを背に、金色の短い髪が俺の視界に映り。漆黒のタキシードに身を包む長身の男が…屋上のフェンスに音も無く、両足を乗せる。
まるで死人のように白い顔で…にこやかな笑みをこちらに向け。
どこぞの執事のように、優雅に片手を肩に添え、腰を折るように挨拶をする。
「……零司、あれはーー」
そう言いながら、命は執事の格好の男を険しい表情で見つめーーほんの一瞬腰を落とす。
「ーー姫は、お嫌いでしたか?」
にこやかな笑顔を向けながら、フェンスを蹴りつけーー既に、いつの間にか正面にいる命の…繰り出す拳を片手で薙ぐように払い。
瞬間ーー執事の男は、床に着地するまでのほんの僅かの間に、命の顔を目掛け、右の拳を振り抜く。
命はーー宙を舞い、振り抜いた拳と共に執事の男は床に着地…次いでーー
「ふ…遅いですね」
嘲笑うかのような小言を述べ、命の横を疾走し、目前に迫る俺をゆっくりと視認しながらーー
拳を執事の男目掛け、最速の一撃。威力など完全に無視。それを執事の男は、当然のように手の甲でいなす。
上体が一瞬横に反れ、開いた胴目掛け、男は正面蹴り《フロントキック》を放つ。
当然のように、胴に深々と入り込む、黒の革靴の底から衝撃が走る。
吹き飛ぶ俺はーーしかし、笑う。狙いはーー
俺の肩を蹴りつける衝撃。それに合わせ、既に俺の後ろから迫る命が宙に踊る。その蹴りの反動で床に俺の体は吸い込まれーー両手で床を、全力で叩くと…勢いを殺さず、前面へと無理矢理体を進ませる。
宙を舞う命は、ぐるりと全身を駒のように回し、執事の男の頭部目掛けーー風を切るような回転踵落としーー正面に迫る俺は、勢いを殺さず、前進。
「…攻撃と防御…陽動にーー追従ーーですか。何とも…素晴らしい連携攻撃ですが……」
迫る猛攻に対し、男は優雅に両手を胸の位置へと移動。クロスを描きーー
刹那ーー執事の男の綺麗な白の指先から、異常な爪が生える。
長さはレイピアの穂先ほどーー軽く30センチ以上の、鋭利な刃のそれがーー
命の足目掛け、振り払われーー
「な!零司!?」
「ーー黙ってろ…お前になど、触れさせる訳がない」
自分の腕と、命の蹴りを弾くようにしてぶつけさせ…命はぐるりと宙を旋回。
俺の腕は当然のように…易々と切り裂かれ、床に血の雨を降らせながら落下。
「身を挺して盾になりますか…成る程…しかしーー脆弱だな。人の子よ」
歯を剥き出し笑うと、愉快そうに一歩を踏み出し…鋭い刃のような爪が俺へと踊る。
視認出来る限界の速度で、銀の閃光が光ーー上体のみを後ろに後退しながら、床を蹴りつけ、次いでくる下からの切り上げが、太股を浅く薙ぐ。
僅かの攻防戦を経て…時間的に、5分にも満たぬような僅かな間で、打開策すら見出だせずーー俺の体は、既にボロボロになる。
目前に迫る爪を避け、刹那の間隔で来る回し蹴りを無事な腕で防ぎーーしかし、上段から繰り出される…鋭い爪の突きが腕の肉を貫通。
笑うように獰猛な笑みが視界を埋めーー強烈な頭突きを受け、体が後ろに仰け反りーー
「終わりだよ。人の子よ」
両手の爪が…下から交差するように振り抜かれーー
「あら?私は混ぜてくれないの?」
そんな陽気な声を弾ませーー彼女はーー
迫り来る爪を易々と弾き返す。たたらを踏み、男は後退。
「遅いぞ命…さっさとーー」
「準備運動はーーいいわよね?」
今度は、こちらが獰猛な笑みを浮かべる番だ。
彼女はーー床に落ちた俺の腕を肩に担ぐとーー
その腕がーー巨大な鉈へと姿をかえーー
「さて、お前には悪いがーー死んでもらうぞ」
片手で胸ポケットをまさぐりーー器用に箱をとりだすとーー蓋を開き、煙草を口へと飛ばす。
命は、肩に担ぐ子供のような長さの鉈を…前面に向け、手をこいこい…とするように動かしーー俺は、煙草に火をつける。
「さあ、本番といこう」
俺と命は、床を蹴りつけーー走り出した