第40話 おいしいチーズケーキの作り方
弟はリビングのソファテーブルの上をじっと見ていた。テーブルに穴が開きそうなほど見ていた。
「なんだ…これ」
A5サイズ程度の本が置いてあった。厚さは1センチほど。それを弟がゆっくりと持ち上げる。
不思議そうに見ているところを見ると弟の物ではないようだ。
「俺のじゃない…けど………姉貴のか…?」
弟が確信を持てずにいるのも無理はない。表紙には可愛らしいイラストとともに本のタイトルが躍っている。『おいしいチーズケーキの作り方』と…。
「姉貴のじゃないでほしい!」
いや、姉のではなかったらこの家に弟の知らない人物が住んでいるというホラーのような展開になってしまう。
「むしろホラーの方がまだいい!」
まあまあ。中身は違うかもしれないのだから。
「だといいな…」
弟がその本の表紙をぺらっとめくった。またあのタイトルが躍っている。さらに1ページめくると…。
「クリームチーズ…200グラム………砂糖…」
そんなに苦々しい表情をしながらチーズケーキのレシピを読み上げないでほしい。
じーっと一点を見つめているが、弟よ、そこに私はいない。そして睨まれても困る。
「困れ…。食べ物を食べられない人…のようなものなんか困っていればいいんだ」
ナレーションなのに食べ物を食べられたら、見ている弟が困惑すること請け合いだ。
それになにもお姉様が弟に食べさせると決まっているわけでは…。
「姉がいつの間にかお姉様になってるぞ」
………。もしかしたらいつの間にか恋人が出来てその人に食べさせるのかも!
「休みの日は家でゴロゴロしてるのに…?」
友人に持っていくとか…。
「姉貴は友達であっても貢ぐより貢がせる派」
………父…。
「ありえない」
父よ、弟から全否定されている…!
じゃあ弟が食べるしかないわけか。
「………」
弟がゆっくりと本を持ったまま立ち上がって、テレビ脇のごみ箱へ。怒られても私は知るものか。
弟がごみ箱の上に本を翳したところで止まった。
「怒るか…?」
それは怒るだろうな。例によって恐ろしい笑顔を浮かべて『しゅーちゃん、この部屋の家賃払ってるの誰だと思ってるの?』とでも言うに違いない。もしくは弟が作ったのに夕飯抜き宣言か。
「…久しぶりに家賃の話…」
弟は腕を引っ込めて供え物をするように本をリビングのソファテーブルに置いた。
「…なんとかチーズケーキを食べずに済む方法はないものか」
無理である。
「もうちょっと知恵を絞ってくれ」
知恵を絞ってなんとか食べない方向に持っていこうとしていると気づいてしまった瞬間に『この家の家賃』以外略の状態になるに100万円。
「…そんな成り立たない賭けをしないでくれ…」
まあまあ。あの本は姉の物か直接聞いてみればいいじゃないか。ちょうど帰ってきたから。
「しゅーちゃんただいまー」
お帰り、姉。
姉がかばんをソファに置いて、キッチンになにかお菓子がないか物色しだした。今食べたら夕飯が入らないのでは?
「かたいこと言わないの。あれ、しゅーちゃんどうしたの?」
弟が姉ににじり寄る。本を目の前に突き出した。
「これ、姉貴の?」
「ああ!ないと思ったら家に置いて行ったんだ!」
弟玉砕。
「何で玉砕?」
いやいやこちらの話なので姉が気にする必要はないのである。
「ふーん」
「姉貴…」
弟がゾンビのように復活した。執念だ。
「チーズケーキ作るのか…?」
姉が不思議そうな顔をしている。なんのことかと言いたげだ。
「この本…」
「ああこれね…」
姉が突然大声で笑い出した。今度は弟がキョトンとする番である。
「このタイトル見てチーズケーキのレシピ本かなにかかと思ったのかもしれないけど、残念でした。これはほら」
姉が本をパラパラと数ページめくった。縦書きの文字の羅列が出てくる。『その男は突然部屋の中に入ってくると、手を叩いて全員の視線を自分に集めた』と書いてある。なんのことはない。ただの小説だ。
「…しょ、小説!?」
「そう。ミステリー」
「ミステリー!?」
驚きのあまり弟の声がひっくり返る。
「主人公が友人の家に遊びに行ったら、その友人がリビングで死んでて、その死体の隣にチーズケーキが置いてあるっていう内容のミステリー」
「じゃあなんで最初のページにレシピが…」
「よくわかんない。よくわかんないけど…」
姉がそのレシピの部分を開いて呟いた。
「今度作ろうかなぁ」
その瞬間、弟と私の心の中は一致した。
「やーめーろー!」