第33話 人間サイズのいも虫は怖いよ…
ある朝、グレゴール=ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベッドのなかの自分が1匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。
私はふとカフカの『変身』という物語のこんな冒頭を思い出した。
弟も同じようなことを考えているに違いない。前を見たまま口を開けて唖然としている。まさに開いた口がふさがらないという心境だろう。
何故なら、弟の目の前には実際に虫が横たわっていたのだから。もっとも毒虫というよりはいも虫だが。
姉の侵入によってではなく、珍しくまともに自分で目覚めた弟が着替えを済ませ、朝食を作ろうと自室を出た。
まっすぐキッチンに向かおうとするが、ふとリビングを見るとソファの上に何かある。姉が投げ出したカバンの類いかと思い近づくと…いも虫だった。しかも人間サイズ。リアルな黄緑色の肌。目がどこにあるのか分からないが、もともと普通のサイズのいも虫でも目の位置など分からないので問題はない。…この家に何がおきているんだ。
さっきまで目の前のいも虫を唖然と見ていた弟が玄関の方に向かった。すぐに戻ってきたと思ったら、片手にモップを握っている。この巨大いも虫を外に出すつもりだろうか。
「天の声、静かにしてろよ」
そう言うと弟はモップの根元ギリギリをつかんで、先端でいも虫をつついた。いも虫がゴソゴソ動く。
もう一度つつくと先ほどより激しく動き出し、あまりに気持悪さに弟が壁ぎわまで逃げた。
弟が見守る中、いも虫は動き続け、遂に床に落下した。そこで一旦動きを止めたが、ゴソゴソともがきくように動き続け、遂に背中、多分背中から変態した。残念ながら出てきたのは巨大蝶々ではなく、中年男性だったが。まぁ、本当に蝶々が出てきたら、いも虫以上に恐怖かもしれない。
弟が恐る恐る、近づいてきた。いも虫から変態した中年男性は乱れたスーツを整えている。抜け殻にあたる物が床に落ちているが、黄緑色の普通の毛布だった。つまり変態ではなく、カフカの『変身』でもなく、ただ男性が頭から毛布をかぶっていただけだったのである。
「……と…」
弟は驚いた表情で呟いた。
「父さん……」
このスーツを着た、いかにもサラリーマンといった体の中年男性が姉と弟の父親である。へー。
「もうちょい驚けよ…」
「天の声、初対面じゃないからわざわざ驚くふりをしなくてもいいだろうに…」
斎藤家の男性は皆ツッコミにならざるをえないようだ。ちなみに先が弟で後が父。
「あの母と姉の相手してたら自動的に………ちょっと待ってくれ。初対面じゃないの?てか、父さん、天の声の声聞こえてるのか?」
「なんだ、何も言ってないのか、天の声」
父よ、私が弟にわざわざ説明するとでも?
「いや、思ってない」
まぁ、今から説明してやるからよく聞いておけ。
私は父の時代、ちなみに結婚前から斎藤家についてナレーションをしているのである。もちろん当初から父には私の声が聞こえていた。だから初対面ではないし、父にも聞こえる。私がついているのは斎藤家の運命である。
「お前、いったい何者…?」
ナレーションである。
「……聞いた俺が馬鹿だった…」
わかっているなら聞くな。
「相変わらずだな……」
父が呆れている。
「ところでいつの間に来たんだ?」
毛布を蹴飛ばして、弟がソファに腰かける。父も同じようにして座る。あー…やっぱり。
「なんだよ、天の声」
親子だから座っている姿がそっくりである。猫背なところが特に。
「…で、いつ来たの?」
「それはな…」
父が話そうとしたところで今回は終わりだ。
「いや、お前が止めてるんだろうが」
終わりなのである。
「そうですかー」
次回へ続く。
「やっぱりな…」
長らくお待たせいたしました。ようやく父登場です。父は普通です。普通すぎて物語がまともに見える…!!お姉様が出てきてないっていうのもあるんですけど。