第31話 よく考えるとこの家は電話かかってきすぎ
プルルルル…。
自宅の電話が鳴りだし、大学から帰ってきたばかりの弟が受話器を取った。夕飯の準備中だったので薄茶で無地のエプロンをしたままだ。いっそ可愛い花柄のエプロンとかしてしまえばいいと私は思う。
「………」
無言で弟が肘を軸にして手を横に振った。『なんでやねん』と言いたいのだろう。しかし、ツッコミを入れる相手が実体がないので意味不明である。
「もしもし、どちら様ですか?」
私のことは無視をして弟が電話の相手に言った。
「……ぁ…だ………ど……」
電波の状況が悪いのかまともな言葉が聞き取れない。
弟は聞き取るのを諦めて次のように言った。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。またおかけ直しください」
電話が通じない時の文句が色々混ざっていた。現在使われていないのなら、かけ直しても無駄である。
カチャッと受話器を置いて弟が呟いた。
「…珍しく正論だ」
珍しくとはなんだ。ナレーションはいつも正論になるように喋るものである。
プルルルル…。
弟がツッコミを入れる前にまた電話が鳴りだした。このままでは夕飯が作れない。
「もしもし?用件は手短にお願いします」
相手の名前聞くよりも先に言うことではない。
「さっきは悪かったな、俊介。電波が悪かったんだ」
「なんだ、父さんか。なんの用?俺、夕飯作らないといけないんだけど」
父親に対してもそれを言うのか。
「……お前が作らされてるのか…」
妙に悟ったような口調で父が言った。
「……あの姉貴だから…」
「そうか…」
「で、なんか用?」
「実は一週間後にそっちの方に出張が入っててだな、ホテルとか取るのも面倒だからそこに泊めてくれないか?」
「俺は別にいいけど、姉貴に聞いてくれよ。家の所有権とか全部姉貴にあるから」
よく姉が主張しているな。
「それと父さん、姉貴がいいって言ったらの話だけど、めしは?」
少し考えてから父が答えた。
「事業所の連中に連れ回されるだろうから朝だけあればいい」
「りょーかい。どうせ俺が作るんだろうから」
「少しは手伝うさ」
はっきりと、きっぱりと父が言った。姉や妹ではこうはならない。弟は確実に父親似だ。
「…父さんの損な性分を受け継いだんだろうな…俺」
「………」
母も姉も知っているからこそ、父は黙った。父もきっと弟と同じような目にあっていることだろう。
「…紗弥加は?」
「さ、やか?誰?」
「おいおい。俊介、お姉ちゃんの名前を忘れたのか?」
呆れたように父が言った。
弟にすら忘れられているが、姉は本名を斎藤紗弥加という。今現在、姉を名前で呼ぶのは父と母だけである。
「あぁ…誰も呼ばないから忘れてた」
「…まぁいい。紗弥加に代わってくれ」
「姉貴ならまだ…」
「たっだいまー!」
「…今帰ってきた」
凄くいいタイミングで帰ってくるものだ。さすが姉。
「何がさすがなの?」
ソファの上に鞄を投げて姉が聞いた。弟は受話器を姉に突き出した。
「父さんから」
「電話?」
わけも分からぬまま姉は受話器を受け取った。
「もしもし?…うん。紗弥加だけど」
姉は立っているのが面倒になったのか、椅子を持ってきて座った。
「天の声」
なんだ、弟。
「なんで姉貴の時はこっち側の会話しか出さないんだ?俺の時は父さんの声も入ってただろ?」
その方が面白いと判断したからである。
「そうですか…」
そうですよ。
「えー…じゃあ3500。…うーん、お父さんだから3000でいいや。じゃあね」
ガチャッ。
姉は受話器を置いて、椅子を元の位置に戻した。そしてソファにどっかりと座って、弟に一言。
「お茶」
「お茶ぐらい自分でいれろ」
「しゅーちゃん、お茶をいれてくれないかなぁ」
「しゅーちゃんじゃないし、姉貴の召し使いでもないから拒否する」
「えー。しゅーちゃんのイジワル」
「俊介だから。ところでさっき3500とか言ってたのは何?」
一瞬考える素振りを見せてから姉が満面の笑みを浮かべた。
「二泊三日の宿泊代の交渉!」
父に対して!?
「道徳的に問題あるだろ!!」
「大丈夫!親料金で3000円まで値下げしたから!!」
「どこが大丈夫!?」
姉は父に対して容赦というものを持ち合わせていなかった。
「失礼ね。ちゃんと値下げしたじゃない」
「親から金取るなよ!!」
やっと姉の名前が公開されましたね。紗弥加というのですよ。
1、2回別の話を挟んだら、父、ようやくの初登場となります。のんびりと作中で唯一のまともな人物と言っても過言ではない父の登場を待っていてください。