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その4

 店に帰ってしばらく、アリエルは店番をするだけだった。

 レオナルドは定位置のカウンターで何か薬を調製している。クララはソファで優雅にお茶を飲んでいた。

 アリエルは暇そうに、薬棚の引き出しをあちこち開けては閉めてを繰り返していた。

「レオナルドさん、何かやることないですか」

 レオナルドはちらりとアリエルを見たが、乳鉢で薬を混ぜ合わせる手は止めない。

「今作ってる薬は、お前に任せるわけにはいかないんだ。……そうだな、じゃあ棚に入ってるのと天井からぶら下がってる薬の材料名を全部覚えてもらおうか」

 アリエルは上を見た。

「手前からハッター草、ベルレディ、アマツカ……」

 レオナルドは目を見張った。アリエルは多くの薬草の名前を正確に当てていった。

「あ、あのピンク色のは知らないわ」

「それはピュアドンナを水にさらした後、干したものだ」

「へえ、こんな色になるのね」

 アリエルは感心したように見ていた。

 クララはかちゃり、とティーカップを置いた。

「さすが、植物に詳しいと自負しているだけあるわね」

 レオナルドも感心したようにアリエルを見た。

 アリエルは慌てて手を振った。

「詳しいって言ったって、名前とお婆ちゃんの知恵袋的な感じの知識だけだよ。専門的なことは全く」

「言われてみれば今朝、草の世話の仕方を教えてやった時も、すでに知っていることが多いようだったな」

「それは母さんのガーデニングを手伝ってたから、世話の基礎を覚えちゃっただけで」

 アリエルは次に紡ぐ言葉を探すように右上の方を見た。

 ちょうどその時、ドアベルの音と共に一人の青年が現れた。入り口の所で帽子を取って、三人に軽く会釈する。

 アリエルは助かったとばかりにそちらに笑顔を向けた。

「いらっしゃいませー!」

 彼も微笑み返し、それから目でレオナルドを探した。

「フェリックスさんに聞いたけど、本当に子どもだな。レオナルド!」

 青年は薄茶の瞳を愉快そうに輝かせた。

 レオナルドは調薬の手を止めて、ぎろりと訪問者を見た。

「何の用だ、ジョージ」

「幼馴染みが面白いことになってるみたいだから、心配して来てやったんじゃん。あと、可愛い女の子が増えたって聞いて」

 彼はケラケラと笑った後、アリエルに片目をつぶってみせた。

「初めましてお嬢さん。俺はジョージ。ここよりもうちょっと中心街に近いところで、鍛冶師をしています」

 白い歯を見せてニカッと笑い、アリエルに手を差し出す。

「アリエルです。えっと、レオナルドさんの弟子ってことになってます」

 アリエルが握手に応じると、ジョージはその手を引き寄せて手の甲に口づけた。

 思わぬ返しに、アリエルは頭が真っ白になって硬直した。

 その直後に横から乳棒が飛んできて、すこーんといい音を立ててジョージの頭にクリティカルヒットした。

「軽い挨拶じゃんかよー」

 アリエルの手を解放すると、ジョージは頭をさすりながら不満げな視線をレオナルドに向けた。

 その視線を一瞥して流し、レオナルドは新しい乳棒を器具棚から取り出して調薬を再開した。

「お前は女なら誰でもいいのか。用がそれだけならとっとと帰れ」

「レオナルドにはクララさんがいるんだし、別にいいだろー。両手に花とかふざけんなよ」

「何度も言っているが、クララ様とはそういう仲じゃない」

 ゴリゴリと、心なしか混ぜ方が乱暴になっている。

 当のクララは我関せずといった風にお茶を飲んでいた。

 ジョージは口をとがらせて頭をさする。

「はいはい。で、本題だけどさ。目に効くやつくれよ。また火を見過ぎちまってさ」

「そんなんだから、お前はいつまでも半人前なんじゃないのか」

 憎まれ口を叩きつつもレオナルドは調薬の手を一度止め、カウンター席から降りた。そのまま天井からぶら下がっている薬草のひとつに手を伸ばす。届かない。

 フンッと気合いを入れて飛び跳ねても届かなかった。何度挑戦しても駄目だった。

「……取ってあげるよ」

 硬直から回復したアリエルが手を伸ばした。ひょいとつかんでレオナルドに渡そうすると、レオナルドはぶすっとしてそれを受け取ろうとしなかった。

「……ちょうどいい、ヤツの薬はアリエルがやれ」

 そのままカウンターの向こう側へ戻った。アリエルは驚いて薬草を握りしめる。

「やれって言われても、わかんないんだけど」

「教えてやるから。まず、棚からすり鉢を持ってこい。で、そこにその葉っぱを六枚くらい細かく千切って入れろ」

 レオナルドはそれだけ言うとバックヤードに引っ込んだ。そして、アリエルが葉っぱを千切り終える頃に土壺を片手に戻ってきて、カウンターの隅に置かれた小さなコンロにそれを置いた。

「次に、薬棚の左から五列目、上から三番目にタリセルユハの樹皮が入ってる。わかるか?」

 アリエルは薬棚に移動した。言われた引き出しを開けると、アリエルも知っている樹皮が入っていた。

「ああ、これ母さんが薬の木って呼んでいたやつよ」

「タリセルユハは消炎鎮痛効果があるからな、大体の症状はこれを使えば落ち着く。それも一かけ入れて、さっきの葉と一緒に荒く粉にしろ」

 アリエルは樹皮をひとつ摘まむとすり鉢に落とした。すりこ木でゴンゴンゴリゴリとすり始める。

 クララとジョージは不安げにアリエルを見た。

 アリエルはその視線に気づいて、むっと顔をしかめた。

「すごい音で不安になるのかも知れないけど、これ、すっごく堅いのよ!」

 その間も手を休ませずにいると、しだいにゴリゴリと言う音がコリコリくらいになった。

 レオナルドがすり鉢の中を覗く。

「ああ、それくらいの荒さでいいぞ。それじゃ、今度はその土壺に茶さじ一杯分入れろ。五分くらい抽出したら完成だ」

 アリエルの作業を確認すると、レオナルドは満足そうに自分の乳鉢に戻った。


「そろそろ五分経ったかな」

 アリエルはぼんやり時計を見て呟いた。

 クララとジョージはテーブルを挟んで、仲良くお茶していた。アリエルはこの五分で、ジョージはだいぶ女たらしだと確信した。

 そして、クララのそれを躱すスキルもずいぶんと高いことが分かった。アリエルも何度かジョージに声をかけられたが、アリエルは上手く返すことができず答えに困ってばかりだった。彼は何とも厄介な存在だった。

 アリエルの声にレオナルドが調製の手を止め、顔を上げた。

「それじゃ、茶こしを通しながら薬液をカップに移して、それをジョージにくれてやってくれ」

 その黒い瞳に何となく安堵し、アリエルは気を取り直して薬液をジョージに渡した。

 その受け渡しの時にもジョージは絶妙なスマイルをアリエルに向け、アリエルは引きつった笑顔を返すのが精一杯だった。少しでも安心したくて、そのままクララの隣に腰掛ける。

 ジョージは手にした薬液を一気に飲み干し、

「……やっぱり苦い!」

 顔をくしゃくしゃにした。

 そんな彼を一瞥して、レオナルドはため息をついた。

「薬なんだから当たり前だろう」

「いやー、そうだけどさ。この苦いのが効いてるって感じもするし。でも、やっぱり苦い」

 ジョージはべーと舌を出す。

「じゃあ、我慢しろ。お・と・な、なんだからな」

 レオナルドはフンッとジョージを一蹴して、手にしていた乳鉢の中身を薬包紙に移した。丁寧に包むと、それをクララに渡す。

「今日の分です」

「うふふ、いつもありがとう」

 クララは受け取った薬を、いきなり飲んでいたお茶にサラサラと混ぜ始めた。そして一気に飲み干す。

 レオナルドは眉をひそめた。

「お茶で飲まないでくださいといつも言っているでしょう」

「だぁって、これも苦いんですもの。お茶に混ぜると味がまぎれるのよ」

 うふふっと両頬に手を当てて、悪びれる様子もない。

 レオナルドは諦めたように、短く息を吐いた。

「まあ、どうせそうだろうと思って、最初からお茶で飲んでもかまわないよう調製してますけどね」

「レオナルドありがとう。愛してる」

 クララがさらりと言うと、レオナルドはしっしっと手を振って、定位置に戻っていった。

「だから、貴方のそういう発言が誤解を招くんです。やめてください」

 クララは「えー?」と、気を悪くした風でもなくクスクス笑っている。

 アリエルは、このふたりは本当はどういう関係なのかやっぱり気になった。

「そういえば、クララさんはお得意様だって言ってたね。よくレオナルドさんの薬を買いに来ているの? 何でか聞いてもいい?」

 クララはほんの少し、困った顔をした。

「まあ、毎日来てはお薬を貰って帰るから、お得意様には違いないわね。理由はなんと言ったらいいか……病気ってわけではないのだけど、慢性病のような……?」

 クララは人差し指を右頬につけ、考えるようにぱちぱちと瞬きをした。

 そこへレオナルドが紙袋を片手に戻ってきた。

「アリエル、あまりお客様に根掘り葉掘り聞くんじゃない。それとジョージ、これはさっきの煎じ薬の残りだ。また目を使いすぎたと思ったら、これを茶さじ一杯分煎じて飲め」

 ずいと紙袋をジョージに突き出す。ジョージは紙袋を受け取り、代わりに銅貨をレオナルドに渡した。

「お邪魔虫はさっさと退散しろってことか、わかったよ。じゃ、また来るからね」

 ジョージはアリエルにパチンと片目をつぶってみせると、店から出て行った。

 アリエルは、通りに面した窓から彼の背中が見えなくなるまで黙って見送った。

「……なんだろう、あの人すっごく苦手な感じがする」

 クララは新しい茶を淹れて、アリエルに勧めた。

「アリエルちゃんは、田舎から来たって言ってたものね。ひょっとして、ああいう感じの人は近くにいなかったんじゃないかしら」

 アリエルはお茶をありがたく受け取って、一口飲んだ。かすかに花の香りがする。

「そうね。だから、何て返事すればいいのか全く分からなくて」

 クララも自分のお茶の香りを楽しみながら、口にした。

「大丈夫よ。ああいうのは適当に相手しておけばいいのよ。あっちも大して深く考えていないわ」

「その『適当』っていうのがわからないんだけど」

 アリエルは少しむくれて、お茶をちびちび飲んだ。

 それが何かクララのスイッチを入れてしまったらしい。レオナルドに「昼飯にするぞ」と止められるまで、アリエルはクララから様々な対人術を懇々と説かれてしまった。




 午後になると、また一組お客さんが現れた。

 来客を知らせるベルの音にアリエルとクララはソファから振り向き、レオナルドもカウンターから顔を出した。

「いらっしゃいませ」

 入り口に立っていたのは、真っ青な顔をした婦人だった。その腕にはぐったりとした娘が抱かれている。

「これは、人形師の奥様。娘さん、どうされました?」

 定位置から降り客を迎えたレオナルドに婦人は少し面食らったような顔をしたが、すぐに真剣な顔に戻った。

「ああ、フェリックスが言っていたのはこういうことね。レオナルド、ウチの娘が熱を出しちゃって大変なの、さっき急に悪化して」

 婦人はおろおろとして、落ち着かない。

 アリエルはソファから体を浮かせた。

「奥様、落ち着いてください。娘さんをこちらに寝かせてあげてください」

 座っていたソファを、少女のために明け渡す。

 クララも心得ているように、人を落ち着かせる効果のある青い花の茶を用意した。

 婦人はそっと娘をソファの片方に横たえると自分はもう一脚のソファに腰掛け、クララの淹れた青いお茶を「ありがとう」と言ってから飲み干した。

 レオナルドは娘の手を取り、顔を観察した。

「毒の類いにあたったのではなく、単に体調を崩しただけのようだ。小さい子だから、大人よりも重い症状に見えるんだな。タリセルユハを精製した物に数種類の薬草を混ぜた物で十分だろう」

 レオナルドはアリエルに水を持ってくるよう指示を出すと、薬棚の右の方から粉薬を取り出した。アリエルが水を持ってくると、そこに薬を溶かし込み、少女の口元へ持っていった。

「飲めるか? これを飲めば楽になるぞ」

 少女はうっすらと目を開け、緑色の液体を見るとイヤイヤと首を振った。

「にがいの、ヤ……」

 レオナルドはため息を吐いた。

「どいつもこいつも苦いのは嫌、か……薬なんだから諦めろ」

 アリエルは黙ってその様子を見ていたが、ふいにあることを思いついた。

 こっそりバックヤードに行くと、台所から飴色の瓶を持ち出し、

「力を貸してね」

 と語りかける。

 店に戻ると、少女はまだ薬を飲むのを拒んでいた。

「レオナルドさん、その薬ちょっと貸してください」

 アリエルの提案に、レオナルドはいぶかしげにアリエルを見た。

「何をする気だ?」

「まあ、見ててちょうだい」

 アリエルはどんと胸に手を当て、レオナルドから薬を受け取る。そこに瓶からとろりとした飴色の液体を一さじ入れると、ゆっくりと歌い出した。

“おいしくな~れ、おいしくな~れ”

 ゆっくりとかき混ぜると、薬はしだいに薄茶色になった。

「これなら、飲んでみようって思える? これは美味しい薬だよ」

 アリエルは少女に微笑みかけた。

 少女は疑うように薬のコップを睨んでいたが、いかにも苦そうな緑色でないことに少し気を許したようにそろりと薬を口にした。

 そのとたんに目を見開き、薬を一気に飲みきった。

「あまいー!」

 少女はまだ少し熱っぽい顔をしていたが、明らかに元気になった。婦人はほっとしたように胸をなで下ろした。

 代金を払うと、親子は仲良く帰っていった。

 その背中を見送ると、レオナルドが重々しく口を開いた。

「お前、さっき何したんだ?」

「あれは、花蜜を入れただけだよ。薬でも甘ければ飲むでしょ? あとは『おいしくなれ』っていう暗示」

 アリエルは台所から持ってきた瓶を見せた。飴色の正体は花の蜜だ。

 レオナルドは少しショックを受けた顔をしていた。

「そういうものなのか……しかし、色が変わったのは?」

「なんか、薬の苦い成分と蜜の成分が反応して色が薄くなるみたい。解熱成分はちゃんと残るから問題ないってお母さんは言っていたよ」

「と言うことは、あれはアリエルのご母堂の知恵ってことか。すごいな」

 レオナルドは納得したようだ。

 アリエルは母を褒められて、気を良くした。

「他にもあるわよ。薬草によっては最初から蜜漬けにして使ったり、漬けた蜜の方を薬にすることもあるわよ。当然みんな甘いわ」

 レオナルドは、その話に俄然興味を持ったようだ。

「だいぶ詳しいみたいじゃないか。もっといろいろ聞かせてくれよ」

 クララも興味深そうだ。

「私の薬も甘くならないかしら」


 それから客足が途絶えたのも相まって、アリエルは日が暮れるまでたっぷり、レオナルドとクララから質問攻めにされた。時にはレオナルドに疑問をぶつけられ、アリエルの考えを求められることもあった。

「……もう! 私はお母さんじゃないから、そこまで詳しいことはわかんないよっ!」

 アリエルは思わず、テーブルに拳をたたきつけてしまった。

「す、すまん。つい。しかし、お婆ちゃんの知恵袋というには、だいぶ専門的な所まで知っているんだな」

「全部お母さんの経験則よ。いろいろ試行錯誤した結果の蓄積よ。私はそれを聞いただけ」

 アリエルはぐったりとソファにもたれかかった。

 クララは新しいお茶をアリエルのために淹れた。疲れを取るさっぱりとした香りの赤いお茶だ。

「ずいぶんといろいろ聞いてしまったわね。疲れたでしょう。もうお夕飯の時間よ」

 時計を見れば六時前だ。

 レオナルドもソファにもたれた。

「もうこんな時間か。飯の準備してない……」

 そんなふたりを尻目に、クララは席を立った。

「それじゃ、私はお家に帰らせてもらうわね。また明日」

 カランカランと軽やかな音がするのを、アリエルは目を閉じて聞いていた。

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