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その3

 朝を告げる小鳥のさえずりで、アリエルは目を覚ました。

 まだ昇りきっていない朝日の薄明かりの中で、最初に目に入ったのは馴染みのない木目の天井。耳に付くのは時計の秒針が正確に時を刻む音だ。それから、麦わらの香ばしいにおいが鼻に届く。


 アリエルはもそりと体を起こし、そのままぼんやりと窓から空を眺めた。

 やがて、田舎から出奔し、玉都で知り合ったレオナルドの家に転がり込んだのだということ、そして高い薬の弁償がてらレオナルドの仕事の手伝いをすることに決めたことを思い出した。

 アリエルはだんだん頭がはっきりしていくのを感じた。


 まだまだ日は昇りきっていない。


 アリエルは昨日経験したことを反芻しはじめた。若返り薬を依頼主のもとへ届け、その帰りに置き時計をレオナルドに買ってもらったあたりまでは細部まで思い出せた。しかし、その後のことは疲れてしまってよく覚えていない。そのままベッドに潜り込んでしまった気もする。しかし、寝間着に着替えてはいたので、湯浴みくらいはしたはずだ。


 アリエルはベッドの隣に置かれたチェストを見た。三段の引き出しにはまだほとんど物は入っていない。チェストの上では真新しい置き時計が規則正しい音を立てている。六時半過ぎだ。

 この時計はアリエルの元々の持ち物ではない。レオナルドが昨日給料がわりに買ってくれた物だ。木製の土台の縁に小さな花の透かし彫りがされているもので、アリエルは一目見て気に入った。


 始めて足を踏み入れた時計工房は、アリエルにはとても面白い所だった。ショーケースにも壁にも、大きさや形がばらばらな時計がぎっしり並んでいて、一斉に時を刻んでいた。

 ちょうど長針が十二に重なる時刻だったようで、澄んだ鈴の音や重厚な鐘の音が一斉に鳴りだしたのは、なかなかに騒がしかった。


 その中でも特にアリエルの目を惹いたのは、時計本体の窓から鳩が飛び出してぱっぽーぱっぽーと鳴いた鳩時計だった。アリエルは物珍しさから「あれが欲しい」と言ったが、レオナルドに「時報がうるさい」と一蹴されてしまった。

 不満をあらわにするアリエルに、レオナルドがこういう物の方が良いんじゃないかと選んだ物が花の透かし彫りの時計だった。無愛想に見えるレオナルドにしては、アリエルが喜びそうなかわいらしい選択だった。


 そして、その値段がアリエルの予想よりほんの少し高かったことに目玉が飛び出しそうだったことも思い出した。

 その時のやりとりを回想し、アリエルは自然と頬が緩んだ。



 昨日の出来事にふけっていたアリエルを現実に連れ戻したのは、ボーイソプラノの絶叫だった。

 外から聞こえてきたので、アリエルは様子をうかがおうと窓に手をかけた。しかし、アリエルの部屋から見える範囲にレオナルドの姿はなかった。

 アリエルは上着をひっつかんで裏庭に向かった。




 裏庭に出ると、予想通りレオナルドが物置の前に立ち尽くしていた。

 昨日のまま放置された物置の木戸が豪快に折れている。

 さくりと芝を踏むアリエルの足音に気づいて、レオナルドがぎこちなく振り返った。顔が引きつっている。


「説明、できるか?」

「ああ、それ。昨日クララさんがやったの。お嬢様だと思っていたけど、結構おてんばさんなんだね」


 びっくりしたとアリエルが言うと、レオナルドはこめかみを押さえた。


「確かにあの方は『お嬢様』ではないが……何を考えていらっしゃるんだ」


 諦めたようにため息をつくと、レオナルドは開けっ放しにされた物置の中からチョークをつまみ取り出した。

 木戸の折れたパーツをパズルのように元の形に地べたに並べ、隣り合った物に丸や三角といった同じ記号を書き込んでいく。全てのパーツに書き終わると、レオナルドは手をかざした。


 一瞬光ったかと思うと、にょきにょきと木戸の割れ目がふさがっていく。

 アリエルはその様子をじっと見つめ、ふと周りが気になった。


「レオナルドさん、誰に見られているか分からない庭なんかで魔法使って、大丈夫なの?」


 この場所は確かに植物の陰にはなっているようだが、表の通りや家の間を縫う路地から全く見えないということはない。隣の家の二階なんかからは丸見えだ。


「大丈夫だ、この空間には魔法をかけてあるからな」


 レオナルドが指さした方を見れば、庭の隅に生えた木の幹にに何か模様が刻み込んである。


「あの陣がこの庭の四隅に書いてある。その効果の中に、目くらましの術も入っている。外からこの庭をただ見ただけなら、あまり手入れのされていない芝生しかない庭に見えるはずだ」


 なるほど、アリエルが表から見た時には、裏庭に生えた大木や温室に気づかなかったわけである。


「すごいのね。他にはどんな効果があるの?」

「空間の転移だな。今は裏庭に直結するように設定してあるが、必要に応じて遠くにある庭に繋がるようにも設定できる。あとはこの庭の潮風の制御や天気の微調整なんかもしている。これはやりすぎると植物の生育に影響があるからほどほどにな」

「そんなこともできるの!」


 アリエルはぽかんと口を開けた。

 そんな話をしているうちに、木戸の割れ目はすっかりふさがり元通りになった。

 レオナルドがふーっと息を吐き出す。


「魔法を式に練り込みさえすれば、あとは陣が自動的に発動してくれるからな。結構応用は利くぞ」

「魔法ってやっぱり便利よねえ。なんでみんな嫌うのかしら」


 アリエルは腕を組んで眉をしかめた。

 レオナルドは困ったように笑って、木戸のあちこちをこづいた。音を聞いて直しそびれたところがないか確かめているようだ。


「よし、直ったな」


 レオナルドは腕を一杯に広げて戸を抱えると、よっこいせっと持ち上げようとした。

 やおら、バランスを崩して戸ごと前につんのめった。小さな体では、持ち上げるのもままならないらしい。

 レオナルドはじとっとした目で戸を睨むと、そのままの姿勢で声を絞り出した。


「アリエル、非常に屈辱なんだが、力仕事で悪いんだが……戸をはめてくれ」

「わかったわ」


 乾いた木戸は思ったよりも軽く、アリエルの力でもすんなりと物置の扉にはめ込むことができた。レオナルドが持ち上げられなかったのは、重さよりむしろ大きさのせいだったようだ。

 レオナルドの目が悔しそうに細められた。やはり中身が成人男性なので、じくじたる思いがあるようだ。


「せっかく起きてきたんだ、水やりでも手伝ってくれ。出来れば毎日手伝ってくれ」


 レオナルドは物置の戸がきちんと動くことを確認すると、じょうろを取り出した。


「毎朝の日課?」

「そうだ」

「わかったわ。毎日早起きできるよう頑張る」


 アリエルはぐっと両手を拳にした。

 レオナルドは少し不安げに微笑み「頼もしいな」と呟くと踵を返しながら片手でくいっとアリエルを招いた。そのまま茂みの方へ歩き出す。付いてこいということらしい。

 繁った草葉を払いのけながら付いて行くと、手押しポンプ付きの井戸が大木の陰から現れた。


「何でもあるのね」

「いろいろ詰め込んだからな」


 レオナルドがじょうろを差し出したので、アリエルはポンプを漕いでみた。冷たい綺麗な水が流れ出す。


「地下水? そういえば、キッチンの水もそうだったかしら」

「そうだが、ん? お前に地下水のこと話したか?」


 アリエルはしばらく流れる水を見つめた。


「いや、綺麗な水だなと思ったの。それで、どの植物にどのくらいお水あげればいいの?」

「そうだな、まずはこっちの列から始めるか」


 レオナルドは井戸の一番近に並べられた鉢植えの列を指さした。




「……とまあ、毎日の手入れはこんなところだ」


 外に並んでいた鉢植えから始まり、今はふたりで温室の中の植物を手入れして回っていた。


 温室の中はレオナルドの魔法で気温や湿度が高く保たれており、アリエルは着ていたコートを脱いで袖まくりまでしていた。少し動くと汗が噴き出してくるのだ。

 アリエルは熱っぽい息を小さく吐くと地面に座り込み、近くにあった植物の大きな楕円形の葉をなでた。この植物はバシューというのだと、先ほどレオナルドから教わったばかりだ。


「外の方は知ってる薬草も結構あったから大丈夫だと思うけど、こっちは見たことない植物ばっかりだわ。手入れの仕方を間違えちゃったらごめんね」

「それで問題が発生した時には、責任取って労働期間延長っていうことで」

「間違えないように頑張るわ」


 アリエルはバシューの葉に強く誓った。

 レオナルドは小さく笑って上を見上げた。

 温室の上部はガラス張りになっているので、日がだいぶ昇っているのが見える。

 レオナルドは腹時計を確認するように自分のおなかを見下ろした。


「朝飯にするか」




 ふたりがダイニングで簡単な朝食を済ませていると、店の方から来客を知らせるドアベルの音がした。


「朝飯中に誰だ」


 レオナルドが不機嫌に出て行った。


 やがて「レオー、おはよーっ」と言う声と、どさっと倒れる音がした。

 アリエルも不審に思って様子をうかがいに行くと、案の定クララがレオナルドを押し倒していた。

 レオナルドがクララの下から抜け出そうと、全身でもがいている。


「今の俺に、それを受け止める力はありません! 悪ふざけも大概にしてください!」


 どうにか抜け出すのに成功すると、ふーっと猫が威嚇するように毛を逆立る。

 クララはレオナルドに威嚇されても意に介さないようにふふっと笑っただけだった。店の奥の扉から顔を出すアリエルに気づくと、可憐な笑顔を咲かせて手を振った。


「あら、アリエルちゃんもおはよう。レオに変なことされなかった?」

「してねーよっ!」


 レオナルドは顔を真っ赤にして、バンッと床を叩いた。


「クララさん、おはようございます。えっと、朝早いですね」


 アリエルはどう反応したらいいのかよくわからなくて、目を泳がせた。

 部屋の時計が九時過ぎを示しているのが目に入る。そこまで早くはなかった。

 アリエルはしまったと思ったが、クララは特に気にした様子もなく立ち上がり、つかつかとアリエルに近づいてきた。


「そう! これを早くアリエルちゃんに届けようと思って」


 ぴたりとカウンターの手前で立ち止まると、鞄から一枚の紙を取り出しカウンターに置いた。

 レオナルドはこれ幸いとソファにへたり込んだ。

 アリエルは紙に目を落とした。名前や年齢、職などを書き込むところがある。


「これは?」

「五時通りの工房ギルドの参加申請書よ。これに入っておけばお給料もちゃんと払ってもらえるし、万が一怪我したり病気したりした時に病院によっては職人割引してもらえるし、おまけにご近所の人とも仲良くなれるわ。良いことずくめよ! レオも入っているわ」


 田舎でいうと労働組合と町内会が合体したようなものだろうか。

 アリエルはカウンターの下からペンを取り出し、記入し始めた。


「それは入っておいた方が良さそうね。『職』って何て書けばいいの?」


 カリカリと、書類の枠を埋めていく。


「アリエルちゃんの場合は『薬師見習い』が妥当かしら」

「ふんふん。住所はここでいいのよね? ……番地が分からないわ」

「『薬屋レオナルド』で十分よ。分かればいいんだから」


 厳密に書かなくてもかまわないようだ。ほどなく全て記入し終えた。

 クララがふんふんと、不備がないかをチェックしてくれる。


「準備できたわね。それじゃ、さっそく提出しに行きましょう!」


 クララは跳ねるように扉の方を向いた。

 それをレオナルドが慌てて制止する。


「待ってください、俺もアリエルも朝食の途中です」

「あら、そうだったの。それは悪いことをしたわ。じゃあ、ここで待っててあげるから早く済ませてきちゃって」


 クララは可愛らしく微笑むと、ソファにすとんと腰掛けた。




 ふたりは急いで朝食をかき込むと、三人で揃って五時通りに出た。

 レオナルドはフードをかぶっている。


「朝からたくさん人がいるのね」


 アリエルはぐるりと通りを見回した。荷車で大きな荷物を運ぶ人や、市場で買い物をしてきた帰りらしい人がひっきりなしに行き交っていく。時々、きらきらしい馬車まで通っていく。


「仕入れとか仕込みとかあるからな。後は急ぎの仕事を持ってくる客なんかもいる」


 アリエルの視線に気づいたレオナルドが説明してくれる。馬車は依頼しに来た貴族の物らしい。

 そんな行き交う人の中に、ちらちらとレオナルドを見ては早足で去っていく人がいることにアリエルは気づいた。黒髪は見えていないはずだが、やはり何か訳ありだと勘ぐられているのだろう。


「早く用事を済ませてしまった方が良さそうね」


 クララも同じ事に気づいているらしく、その声はかたかった。

 レオナルドも居心地悪そうに、フードを深く被り直した。



 工房ギルドは五時通りのちょうど真ん中付近にあった。

 重い扉を開いて中に入ると、ひやりとした空気がアリエルの頬をなでた。


「いらっしゃいませ……おや、クララ様と見知らぬお方がふたり」


 カウンターに座っている三十路くらいの眼鏡の男性が顔を上げて、三人を迎えた。


「おはよう、フェリックス。こっちの女の子は参加申請者よ」

「アリエルです」


 クララに紹介されたので、アリエルは短く名乗り、スカートをつまんで挨拶をした。昨日のふたりの反応から、名乗るのは名前だけにした方がいいだろうと、母の名は言わないことにした。


「五時通り工房ギルド長のフェリックスです。どうぞお見知りおきください」


 フェリックスと呼ばれた男性も、眼鏡を軽くつついて直し、アリエルに会釈した。


「で、こっちの小さいのは……誰だと思う?」


 クララはいたずらっぽい笑顔をフェリックスに向け、きらりとはしばみ色の瞳を輝かせた。

 フェリックスはカウンターから立ち上がり、レオナルドのフードをつまみ上げて顔をしげしげと見た。


「ふむ、黒目に黒髪の生意気そうな少年……青年ならば知り合いにいるのですが」

「お前は俺のことを、そういう風に見ていたんだな」


 レオナルドは面白くなさそうな顔をした。


「ということは、やはりレオナルド様なのですね」


 フェリックスは得心がいったという顔でアリエルへと視線を移した。

 レオナルドはフンッと部屋の隅にある掲示板の方へ向かっていく。


「では、アリエル様。参加申請書をいただけますか」

「え、はい。これです」


 アリエルは持って来た書類をフェリックスに手渡した。

 フェリックスはそれに目を通す。


「確かに承りました」


 書類の下の方に判子を押すと奥の引き出しのひとつに書類をしまって、フェリックスは他の事務仕事に戻った。

 アリエルは拍子抜けした。


「これで終わりですか?」


 フェリックスは顔を上げた。


「何か疑問点や、あるいはご不満でも?」

「いえ、もっとなんか面接とかないのかなーと思いまして」

「この五時通りで新しく工房を開こうというなら、面倒くさい手続きがありますよ。ですが、アリエル様はレオナルド様のお弟子さんということですから、そういったことは特にありません。弟子を取るかどうかは、それぞれの工房の裁量に任せていますから、こちらからうるさいことは言いませんよ」


 フェリックスは眼鏡をくいっと上げた。

 アリエルはなんとなくがっかりして、レオナルドとクララを見た。ふたりは掲示板を眺めている。


「そうだ、フェリックスさんはなんですぐにレオナルドさんだって分かったんですか?」


 アリエルはフェリックスの方に向き直った。

 フェリックスもアリエルを見た。


「クララ様とご一緒だったからですよ。子どもになってしまったのも、おそらく彼の薬の副作用か何かでしょう」

「すごい、大体当たり」

「恐れ入ります」


 フェリックスの推理の冴えにアリエルは素直に賞賛を送った。対するフェリックスは表情を変えない。


「レオナルド様とクララ様の仲の良さはここでは割と有名ですからね。私としては、レオナルド様がクララ様以外の女性を家に住まわせるというのが、少々驚きなのですが」


 アリエルは声をひそめた。


「やっぱり、あのふたりって恋人なんでしょうか?」


 フェリックスも声をひそめた。


「それを聞くと、ものすごい勢いで否定される上に主にレオナルド様に怒られますので、今では暗黙の了解といった感じです」


 アリエルはふたりは結局の所どういう関係なんだと思ったが、先人に倣って触れないことにしようと心に決めた。


「ふたりで、内緒話か?」


 ふいにレオナルドの声がすぐそばでして、アリエルは飛び上がった。


「何でもないわよ」


 アリエルは慌てて取り繕おうとしたが、つい声がひっくり返ってしまった。

 レオナルドは胡乱げにアリエルを見たが、やがてため息を吐いた。


「まあいい、用は済んだな。なら帰って店の準備だ」


 もう用はないとばかりに、踵を返した。

 アリエルは慌てて、レオナルドを追いかけようと勢いよく振り返った。


 その時、ふと自分を見つめる目と一瞬かち合ったような気がしたけれど、話しかけてくる様子はないし、レオナルドもどんどん行ってしまうので、アリエルは気にするのをやめてギルドを出た。

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