狂信者
アテンが学園都市の中心にある学園を目指して歩いていると、彼の後ろを規則的についてくる足音に気が付いた。振り向くと胸の辺りに紫色のウェーブがかかった髪が目に入る。
「気付かれてしまいましたか。アテン様の影を踏みながら登校出来るという至福を味わっていたのですが。おはようございます、アテン様。本日も気分が悪い天気でいつもより一層何もかもが醜く見えますね。もし貴方様がこの世にいなかったなら絶好の自殺日和です。ほら見てください、反吐が出そうな程に性根の腐った連中が如何にして他人から金を巻き上げようか思案していますよ。ああ、あいつらにアテン様の中にある優しさが爪の欠片ほどでも備わりますように!」
市民級が学生向けに開いている店が立ち並ぶ通りを指差しながら早口で毒舌を吐く紫髪に赤い瞳の背の小さな少女。
少し意地悪げな大きめの瞳に、高い鼻、いつも侮蔑的な歪め方をされている口許。屈折したオーラが全身から出ている様を一言で言うならば厭世的美少女、だろうか。学園の女子用の制服である紺のブレザーとフレアスカートをきっちりと着こなしている。
彼女の名前はシャーロット・タルーテ。領地持ち貴族の生まれでありながら配下にあった貴族達に両親が死んだ際に下克上されて市民級に落ちた少女であり、学園のクラスメイトでアテンとコンビを組んでいるパートナーである。
◆◆◆◆◆◆
彼女との出会いは、数ヵ月前の事となる。アテンは双子の為に勝利の力任せに無理にダンジョンへ潜ることが多く、本来ならば新入生同士でパーティーを組んで探索するはずなのに、気付くと彼は一人だった。
自らのレベルを上げる量のリターンを得られる魔宝生物と相対する事は例え王でも命の危険がある事であり、それは当然の結果だった。
通常のワーカーは狩る獲物の生態や弱点を綿密に調べて人数を揃えて戦う。
高位の貴族達も税だけでは足りなくなり魔宝生物と相対する時には高位のワーカーを雇い助言と補助を受ける。
アテンは必ず勝利という結果を手に入れる力があるし、命の危険など微塵もない上に神譲りの剣技もあったために神話の英雄の如く振る舞ってしまっていたのだ。
ある者は彼を信じられない男だと評し、また別の者は彼はすぐ命を落とすと評したが、彼を知る誰もが彼を頭のおかしい奴だと感じていた。
友人は殆どなく、死にはしないが傷だらけになりながら魔宝生物を殺害する生活は彼の心身をぼろぼろにした。
――もう、駄目なのだろうか。俺は結局、前世と同じように繰り返すだけなんだろうか。
放課後の教室でそう悩んでいる時にシャーロットが目の前に現れた。アテンはその顔に見覚えがあった。クラスメイトであり、つい最近に学園の保有する市民級用のダンジョンにて彼が命を助けた少女だった。
彼女はアテンの放っておかれている傷におもむろに魔宝を加工して作られた魔具である治療紙をぺたぺたと貼り始める。
「アテンさんって、いつもボロボロですよね。自傷癖でもあるんですか」
アテンはそれに答えなかった。理解されないし、されるはずもない事をし続けているし、そうしなければ果たせない事に焦がれているのだから。
「私は貴方がマゾヒストの自殺願望者なのだと思ってました。でも今は私、きっと貴方は誰かの為にそうしているのだと思います。勝手に思い込んで、頭のおかしな女だと思いますか?でも、あなたの方がよっぽどおかしな男なんですよ。こういう話を知っていますか。アリスト、スッタールダ、イハンマドという歴史三代愚人と呼ばれる人達です。彼等は皆、国は違えどそれぞれの国で最高位の貴族に生まれた人間でした。アリストは誰もが友人になれるんだと言って、その友人達から拷問の末に内にある魔宝を根こそぎ奪われて殺されました。スッタールダは人々に苦しみや欲望を捨てる事で魂は救われるのだ、戦い争うばかりでは苦しみは増すばかりだと説きましたが、人々から頭蓋を砕かれ脳を破壊されて二度と苦しむ事も求める事もなくなりました。イハンマドは様々な戒律や教えを守り、神に祈れば死後に素晴らしい天国へ行けると謳い、ならば天国へ行かせてやろうと殺されてしまいました。これらは彼等に賛同した人々を恐れた者達、力によって人々を支配している層が行ったとも言われていますが、もはや現在では彼等に賛同する者など一人もいないので真実はわかりません。どうですか、貴方もなってみますか?そうしたら四大愚人になっちゃいますね」
くすくすと皮肉げに笑いながらも彼女の瞳は微塵も可笑しそうではなく、アテンをじっと品定めしている。
「あれあれ、何か言わないんですか?俺は正義の為にやっているんだ!とか、病気の母のために魔宝が必要なんだ!とか主張しないんですか?別に君に一目惚れをしてしまったんだ。君の為なら魔宝なんていらない!とかでもいいんですよ。ああ、ちなみに今のは最近の市民級の男に流行っている女を誘う言葉です。まるで孔雀みたいな奴等ですよね。表面上は綺麗でも近づけば獣の薄汚い臭いは隠せないのに。……ねぇ、どうして私を助けたんですか?」
アテンが彼女を助けたのに理由はない。彼女とは面識などなかったし、彼はヒロイズムに酔える程に純粋ではない。それでも助けたのは文化的なものだろう。前世の生活によって染み付いた倫理観や道徳がそうさせたのだ。特別な力を持っていて、他人は命を賭けているというのにこちらだけいかさまをし放題ならば、少し苦労して他人の命を助ける事など寝覚めが悪くなるよりは遥かに良い。
「別に、そうしたいからしただけだよ」
やや荒く言い捨てる形になったのは仕方のない事だろう。感謝をされて当然と思っている所に、冷や水を浴びた気分だったのだから。
「そうしたいからしただけだよ」
オウムのようにシャーロットは彼の言葉を繰り返した。何かそれがとても大切なもののように、噛み締めるように。
「誤解しないで下さい。私は別に死にたがっていたわけではないですし、貴方には感謝しているんですよ。貴方が別に私の身体目当てだったり財産目当てだとしてもある程度まで応える気でいるくらいには。それに死んだら私の未来を奪ってこんな掃き溜めに叩き落とした連中を拷問してから無惨に殺すというライフワークが出来なくなりますからね」
くすり、と年相応の少女の笑みをシャーロットはアテンに向ける。
「私にだって何かに優しくしたい、してあげたいと思うときがあります。でもそれは間違った事、感傷です。私達人間は下層、市民、貴族を問わずに例え伴侶であっても心を許すべきではないという警句を教え込まれますよね。しっかりと躾の行き届かなかった子供は、いつか誰かに利用されて死んでしまいますから。でも不思議ですよね。それが間違ってるとわかっているのに、したくなる、それが自然だと思いたくなる。私も子供の頃はそうでした。友人と笑いあって、父と母がいて、それだけでいいと。そんな馬鹿な娘だったから、両親の魔宝を継承出来ず、領地を奪われたんですよね。覚えの悪い馬鹿な娘に世界が優しくも教えてくれたというわけです。今でもたまに感傷的になることになりますが、人々の浅ましく獣のような下品な顔を見るとその気も失せるというものです。私も模範的な人間になったというわけですよ。あれれ、面白くなかったですか?この話を聞くとたいていの人が大笑いしてくれるという私の十八番なんですが」
アテンは差別世界の人間の常識にも感性にも共感出来ることが一つもなかった。強い者だけが尊敬され信頼されて、道徳や倫理とは詐欺師の好むもの。騙された、失敗したというのが笑いになる、そのような文化に染まりたくはないという思いがあった。
「やっぱり、貴方って違いますよね。どうして傷ついたような顔を、しているんですか。他人の事なのに。メンタリティが異質過ぎますよ。一体何処で育ったんですか?お伽の国?誰も知らない楽園?それとも……六公爵家?」
急に出てきた単語に彼の心臓が凍る。六公爵家出身がばれても何ら不利益はない。それでも様々なしがらみがあるそこには、言葉の上でさえもはや近寄りたくはなかったのだ。
「あは、驚きましたか?私はもう市民級に落ちた人間ですが、様々なツテは残っているんです。貴方が私を助けた時、私は信じられない光景を目にしました。それを成したのは当然、外能であると考えるのが妥当です。ああ、あの巨大な熊の化け物に立ち向かった貴方の勇姿!化け物の一撃で肉塊へと変わる程のレベル差がありながら、恐れを持たず、まるで決して触れられないという事が決まっているかのように全てをいなし、苦戦はしながらも倒してしまう、物語の英雄のように!いいえ、英雄そのものでした!……ああ、すいません。興奮してしまって。でもあれ程の外能の持ち主ならば探すのは簡単でしたよ。出来損ないの双子を囲っているラース家の面汚しとして貴族界では有名らしいですよ。先程、四大愚人なんて冗談めかして言いましたけど、もし貴方が野垂れ死んだりしたら本当に入っちゃうかもしれませんね。ゴミの為に死んだ男、アテンって」
大切に思っている双子を馬鹿にされると、さすがに怒りを感じたアテンはシャーロットを睨み付ける。
しかしそれに対する返答は、予期した侮蔑的なものではなく夢見心地のようなとろりとしたもの。
熱に浮かされ溶かされ狂わされている者の瞳だった。
爛々とそれを輝かせながら歌うように彼女は言葉を重ねる。
「他人を想って傷つき、怒る。ああ、貴方は何て間違っているんでしょう!何て頭のおかしい人なんでしょう!……でも、私も頭のおかしい女なんですよ。現実を知った大人は馬鹿にするようなお話、誰にでも優しくて弱いものを助け強いものを倒す、子供は憧れ大人は冷笑するような何処にもいない人が何処かにいないか待ち望んでいたのですよ。子供が抱くような馬鹿馬鹿しい夢を。ずっとずっと、待っていたんですよ……」
彼女はアテンを治療していた手を止めて、彼の頬にすっと手を添えていとおしげにゆっくりと感触を楽しむように撫で回す。
「妄想が激しい女だと思うでしょう?でも浸らせて下さいね。溺れる妄想すら、私にはなかったのですから。ねぇ、貴方には魔宝がいるんでしょう?たくさん、たーくさん。それ、手伝ってあげましょうか。何と!貴方の取り分を八割にしてパーティーを組んであげましょう!あれ、何で疑わしい目で見るんですか?」
「そんな都合の良い話があるわけがない」
「あらあら、頭がおかしくても馬鹿ではないんですね、人を疑えるなら。でもやっぱりおかしいですよ。私が貴方を利用してると感じたら殺せばいいじゃないですか。私が言う事を反故にするなら痛めつけてコントロールすればいいんですよ。だって貴方の方が私より強いでしょう?貴方は私から契約した事を利用して散々絞り尽くせばいいんですよ。そして飽きたら捨てるか打ち殺すかすればいい。もちろん私も貴方に私の有用性をアピールしていきますが。殺されないよう、捨てられないよう。弱者がする契約なんてそんなものじゃないですか」
自分の価値観を外れた事こそが、今の生きている世界で主流である事はアテンにも分かっていた。強者の側にいた頃には見えなかった多くの相違点を痛感してもいたが。
「あー、いいですねぇ最高です。きっと昔の私も似たような表情をしていたんでしょうね」
シャーロットはぷるぷると震えながらぎゅっとアテンを抱き締める。
「いいんですよアテンさん。いいえ、アテン様。私の可愛い優しい神様」
彼の唇に自らの興奮でやや赤らんだ唇を重ねる。驚きで口を開いてしまう瞬間を逃さず、舌をねじこみ、ちゅるちゅると味わい尽くそうとする。二人の口からこぼれた唾液がてらてらと唇を光らせる。
「んぅ、んん、ぷはぁ。へぇ、いいものなんですね、この行為は。アテン様、私は貴方に助けられた時に運命を感じたんですよ。ああ、私はこの人の為ならば身体を売ることも、命を投げ出す事もいとわない、と。これは恋?愛?発情?似ているようでどれも違う。悩む私の頭に電撃が走りました」
何かに取り憑かれたかのように少女は語り続ける。その姿にアテンは何か恐ろしいものを感じ始める。こちらの全てを好意的に捉え、受け入れていくその様は、前世で読んだ西洋の物語の島よりも巨大な怪物を思わせる。
「私、わかったんです。貴方はきっと神様で、報われない私達を救われる為に降臨したんだって。そして私はそんな偉大な方に仕えてその偉業を支えるために産まれたんだと。そういう啓示が私を貫いたんです。例えこれが幻だとしても、その幻に焼き付くされても構わない。そう思えるほどにその啓示は魅力的でした。貴方には、英雄王の再来というだけでは説明出来ない、何か神秘的な、それこそ神性としか思えないような、私達にとって不可侵なレベルという存在階級さえ超越した何かを感じたんです。ああ、別に貴方様が神であろうがなかろうが真実はどうだっていいんです。もし貴方様が私のこの素晴らしい妄想に付き合って下さるのならば、私から生まれる全ての果を捧げても構わないという事なのです。それに抽象的な意味の果実だけでなく、具体的な果実も差し上げられますよ」
緑色の光がシャーロットの掌から教室の床に放たれると、小さな芽がタイルをぴきぴきと割りながら生まれる。それはぐんぐんと伸びていき、アテンの腰ぐらいまでになると、葉をわさわさと繁らせて丸い橙色の林檎のような果実をつける。
「これが私の外能 豊穣です。植物を念料を用いる事により発生、改造、操作する能力です。特に果実栽培等の食物関係と相性の良い植物関係の外能で、先程述べたツテというのもこの果実売りの仕事関係のものです。高級果実として一部では有名なんですよ」
ぷちりともいだ実を差し出されたアテンは恐る恐るそれにかじりつく。すると口の中にはとろりとした柿のような風味に、糖度が高く滑らかなカスタードクリームのような果肉、花のような鮮やかな香りが溢れる。余りの美味さにじゅるじゅると汁が制服に垂れる事を気にせずアテンはそれを貪るのに夢中となってしまう。
「どうですか?美味しいでしょう?いいお金稼ぎになるんですよ。食道楽の貴族様からこれで魔宝を巻き上げているんです。そもそも私の家がこの外能によってそこそこの地位を得たんですから、私は利用しようとする輩から捕まらなければいずれは貴族に戻れるんです。とはいっても所詮は果物ですから値段のつき方にも限度がありますし、ダンジョンの魔宝も必要といったら必要なんですけど。アテン様が欲するなら果実売りの売り上げも幾らか差し上げましょう。アテン様がいれば私も危険だから避けてた相手とも商売出来そうですしね。畏れ多いことですが、幾つかの条件を飲んで頂けるなら、このシャーロット・タルーテは貴方様の為ならば何もかも捧げましょう。一つ、私が側にいる事をお許し下さる事。一つ、貴方様の行状を記録する事をお許し下さる事。そして最後に――」
◆◆◆◆◆◆
アテンは彼女の出した条件を全て飲み込んだ。そして。
「んっ、あっ、ふぅ、うぅん、くちゅ、あふっ、ぷはぁ。朝の分は頂きました。うふふ、今日も素晴らしい心地ですよ、アテン様」
アテンはもはや一人で生物をたんたんと殺害する行為に辟易していたし、誰かに悩みをぶちまけたかった。数少ない友人にも言い出せない苦しみを彼はシャーロットに吐き出した。彼女はその悩みや苦しみを嬉しそうに飲み込み、受け入れていき、肯定した。全肯定の甘美な誘惑は、アテンの心の隙間に入り込んだ。毒舌で批判家な所の多いシャーロットであるが、自分に全面的な好意をぶつけてくる為に、それらの点は痛快に耳に響いた。アテンとシャーロットはおしどりの様に学園でも、街でも、ダンジョンでもぴったりと寄り添った。そうしてアテンの心は歪んだ形の関係によって回復していった。
「あ、もう一度したくなっちゃいました。はい、んー」
唇を少し突き出して目を閉じながらシャーロットはアテンを待ち受ける。
最後の条件とは、アテンはシャーロットが望む時に好きなだけキスをすること、接吻契約である。
シャーロットは毒薬であり、悪魔的である事は彼にも分かっていた。このシャーロットとの交わりによって、彼はこの先に何か罰の様な事を受ける事も予感していた。それでも蠱惑的な魅力に導かれて、アテンはシャーロットの唇に激しく吸い付いた。
「んん、ふふっ、んちゅ、ちゅぅ、んぅ」
ただただ忘我し、吸い続けた。