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名もなき魂と勝利の神

「名もなき魂よ、目覚めよ」


名もなき魂と呼ばれたものが目を覚ますと、目の前には一人の女がいた。

銀色の髪を胸まで伸ばした女は、上半身には青く塗られて様々な意匠により装飾された鎧を身に付け、下半身には青いフレアスカート、脚には銀の脚甲が神々しく輝いている。

腰には複雑な記号が刻印された鞘に収められている長剣を差している。

顔つきは職人が神経を削って作り出した人形の如く整っているが、切れ長の瞳から放たれる冷徹な迫力は、女性の持つ存在の凄みを雄弁に語っている。

そんな存在を前にしても、名もなき魂にはもはや脳髄が存在しないために、複雑な思考は出来なかった。

自らの魂にひどく焼き付いた事柄だけが自らを構成するものなのである。

喜ばしい事や悲しい事、そういった死してもなお忘れられなかった事だけが内を巡っていた。

どうして女性が前にいるのか、ここはどこなのか。それすら一個の魂は考えなかった。

ただ、海の中のような水色の不思議な空間をくらげのようにゆらゆらと漂っている所を、目の前の女性に捕まえられてしまった事は思い出せた。


「脳髄を持たない君は私に言葉を返しはしないだろう。しかしこれから行う事の為に、君の魂に幾つかの事を刻まなければならないのだ」


そうして彼女は語り始めた。それはある世界の孤独な勝利の神の物語だった。


◆◆◆◆◆◆


勝利の神は父である軍神と母である海の神の間に産まれた。彼はその名の通りに、勝利し続けた。

学べば彼に及ぶものなく、戦えば彼に傷を負わせる者なし。

度重なる勝利は彼を傲慢にさせた。彼が尊敬や尊重を忘れて、粗暴な振る舞いをしても、誰にも止められなかった。彼は勝利するように生まれついていたのだから。

誰も自分に逆らえないという事実は彼を酔わせた。いたずらに他の神を虐げ、女神達を乱暴に自分のものにする事もあった。

そうしてついに神々の頂点である主神にまで登り詰めた。

勝利の神には彼がどんなに荒れていてもついてきてくれた無二の友である詩神と愛する花の女神がいた。

勝利の神は優しさというものを母の腹に置き忘れたのだとまで噂される程であったが、この二人だけには惜しみ無く愛情を捧げた。

主神になった勝利の神はかねてから緊張、対立状態にあった悪魔達を根絶やしにする事を決めた。

勝利の神は勝利した。勝って殺して、殺して勝って。それでも神々は櫛の歯が欠けるように数を減らしていった。

確かに勝利の神は勝ち続けた。だがその勝利とは周囲にとって価値のある勝利ではなかった。

戦いには、勝ったとしてもほぼ敗北といえる戦いと、負けたとしてもほぼ勝利といえる戦いがある。

勝利の神が悪魔達を打ち殺し、勝者の雄叫びをあげる横で、多くの神々は悪魔の手によって物言わぬ骸と化していたのだった。

勝利の神は万能の神ではなかった。逆に言えば、勝利という結果に拘泥してしまうのだ、存在や行動、結果全てが。

神々は消耗していき、勝ちに拘る勝利の神は狂気めいた行動をするようになる。

多産の女神を監禁し、犯し、一日に何千という神を生み出し、言葉を覚えさせるよりも早く剣を持たせ、自らの尖兵としたのだった。

血を分けた子供達が幾ら死のうとも、止まらなかった。

狂気に陥り始めた勝利の神を危惧した他の有力な神々は彼を封印する事に決めた。

悪魔との戦いにより、他の神々には勝利の神の力の範囲、厳密な効果が分かったからだ。

勝利の神の力は勝利をもたらすものに過ぎない。その勝利とは単に戦いに勝つ事ではない。

究極的に言えば、勝利の神の生存なのである。もちろん実力が近い場合や実現が可能ならば能力はそれを実現する。しかしそれが不可能ならば能力は妥協点を探す。

そしてその妥協点の最低値が生存であると見抜いたのであった。

そして実力が充分な神が多勢で封印するならば、可能であるという結論に至った。殺害を試みるならば自分達は負けるだろう。

しかし封印ならば、妥協点になるはずだ。遥か未来に勝利の神が復活し、自分達を滅ぼし勝利するという可能性を残すことこそが、勝利の神を排斥する事に必要なのだ。

結果としてその計画は失敗する。勝利の神の友人である詩神と恋人である花の女神がその計画を嗅ぎ付け、勝利の神に知らせたからだ。

勝利の神はまた勝利したのだった。犠牲として友人と恋人を失って。

勝利の神に伝える途中に追っ手に襲われ、その時の怪我が元で息を引き取ったのであった。

それからも彼は戦い続けた。残った神々を勝利の為の駒としてしか見ず、心も何もかも捨てて、ただ勝利だけを求めた。

犯され続け、子供を殺され続けた多産の女神は狂い、同じようになる事を恐れた女神たちは神界から逃れ、他の神々は隠れ潜んだ。

それでも産ませ続けた子供を率いて勝利の神は戦った。血塗れになり、全身を傷だらけにするその姿はどんな悪鬼より遥かに凶悪に見えた。

神界は荒れ果て、廃墟と化した。そこに三人の戦乙女に導かれて一柱の神が降り立った。

アダモという名のその神は、偉業を果たして人間から成り上がった戦神であった。アダモは神界の様子に驚き、隠れ潜んでいた他の神々から話を聞くと、他の神々と共に勝利の神に戦いを挑んだ。

七日七晩の激戦の末に勝利の神を封印する事に成功。

返す刀で悪魔の軍勢も殲滅、圧倒的な力を示したアダモは超越神と呼ばれ、神界を統治する主神となった。

勝利神はガラス瓶の中に封じられ、悪魔は別次元へと逃走し、神界には平和が戻った。


◆◆◆◆◆◆


「そしてこれがそのガラス瓶だ。ガラス瓶という簡単に割れる可能性があるものでないと封印出来なくてね。勝利の力とは厄介なものだな」


目の前にいる銀髪の女性が手で弄ぶガラス瓶の中に黄金に光る火の玉に、名もなき魂は魅せられていた。


――あの光と共に在りたい。あれと溶け合い、一つになりたい。


名もなき魂はそう欲望した。脳髄を失ったはずの、肉体の感覚など忘れ果てたはずの、そんな存在としてあるのに、そう切望していたのだ。


「ああ、いい反応だ。煌々と燃え上がっている君の魂からは興奮が読み取れる。まあ待っていたまえ。私はこれから君をこの勝利の神の魂と融合させてあげるから、じっくり待ちたまえ。ご馳走ほど、焦がれる時間が素晴らしいというものだ。その前に説明しなければならないからね」


もったいぶる様に銀髪の女性は指を振る。


「君が融合させられる理由、君が得る力の説明、そして最後に君が落とされる地獄についてだ。さて」


その声に応じて視界は変じ、名もなき魂は自分が何処かの庭園にて銀髪の女性と共に卓を囲んでいるのを発見した。

優雅な動作でお茶を飲んでから、氷のような冷たさを持った声で女性は言う。


「ああすまないね。あの青い海のような場所、幽界は肉体がある私には負担でね。ここは父様や妹達と良くお茶をする私自慢の庭園なんだ。もう魂だけになった君には匂いや景色ぐらいしか楽しめないだろうが、まあ楽しんでくれ」


名もなき魂が周囲を見渡すと、様々な草木に花々がモニュメントを作り出し、それらの周りにはに蝶やてんとう虫がふわふわ飛んでいる。

何処か田舎めいた景色と流れる紅茶の香りは、魂の把握できない部分を刺激したが、人でなくなった彼にはそれが何だかわからない。


「さて、話を続けようか。そうそう、何故君と勝利の神を瓶の中でこれからカクテルするかだけど、魂に詳しい冥府の神に聞いた所、貴重な話が聞けてね。遥か昔に神界には無貌の神がいてね。年も若くもあれば老いてもいて、女であるような男であるような、それら全てであるような訳のわからない混沌とした神様だったそうだ。言う言葉も物事の深淵をとらえているような、あるいは子供が思いつきで語ったようなもので皆目検討がつかない。余りにも訳がわからないから知識を司る神がその神の顔に若者の絵を描いた。そうしたらその混沌とした無貌の神はただの人間の若者になってしまったという。また私の体験した話だが、人が偉業を果たして神となると、人間であった時の脆弱な肉体は剥がれ落ち、中から白く輝く不変の神の肉体が現れた。そのものの力というのは神だとか訳のわからぬものだとか、人間を越えたものに宿るということだな。これらから勝利の神の処理は神を人間に貶めて弱体化させるのが賢明であるとの結論に至った。つまりは神ならば絶大な勝利の力だが、人間に貶めてしえばただの幸運な人間に過ぎない、そう考えたわけだ」


名もなき魂は饒舌に喋る女性をじぃ、と見つめていた。

意味はわからない、何せ彼には考える器官がないのだから。だけれども、じんわりと自らの奥底に言葉が刻まれていくのは感じていた。

それはこれから幾万年が過ぎても忘れ去られない気がするのであった。


「しかし直接それをするわけにはいかない。究極的に勝利の力が絶対にねじ曲げるのは殺害関係だが、それは何処まで当たるのか。指をちぎれば?腕を折ると?四肢をもぐと?目玉を抉る?神を神でなくする事とはどの程度に当たるんだ?わからなかった。わからない以上、手は出せなかった。勝利の力は他者の運命にまで及ぶ。すると、悩む私達に知識を司る神が言った。ならば誤魔化せばよいでしょう、と言った。人間に貶めておきながら、神としての存在を保持させる。つまり、君という人間の魂を封印の器にするということだよ。このガラス瓶のようにね。もちろんただのガラス瓶じゃ駄目だ。類似存在でないとね。つまりは君が生きていた通常世界において、勝利の神と同じ役割を担っていたという事だよ」


◆◆◆◆◆◆


××××は幸運な人間だった。何かに取り憑かれているかのように、幸運が彼の元へ舞い込んできた。

戦争もない平和な日本に産まれた××××にとって、それは殆ど金という形で降り注いできたのだった。

金、夥しい金が、彼を囲んでいた。それでも不思議な事に彼を利用しようとする邪な人間は現れなかった。

むしろ彼を現人神と崇め、彼の両親は彼を金福童子として宗教を立ち上げた。彼を巡るあらゆる縁は富に恵まれる。

しかしある日、無惨に殺された両親を発見した。哀しみはしたが、それでも彼の周りは財で潤い、不自由なく生きる事が出来た。

ある日、友人が死んだ。哀しみはしたが、それでも友人はまだいると、遊んで暮らした。

ある日、恋人が死んだ。哀しみはしたが、それでも周りには女が群がっていたし、すぐに新しい恋人は出来た。

結局、自分は得る事は出来ても、失わせる事は出来ないのだと、××××は悟った。

そう思った××××は酒を浴びる程に飲み、取り巻きの女達とセックスをして、自殺した。


◆◆◆◆◆◆


××××と呼ばれていた魂は絶叫していた。肥大した万能感が砕かれたあの時を思い出したのだ。

苦しみとも悔しみともつかぬ嘆きがもはやない口から垂れ流される。

そんな××××の醜態に眉ひとつ動かさず、女性は話を続ける。


「ふむ思い出したか、勝利の神の類似体よ。お前の役割とは最も幸運を持つもの。もちろんその幸運は勝利の力のように限界があるものだがな。さて、煩いし混ぜてしまうかな」


女性は××××の魂を掴むとガラス瓶の蓋を開け、その中に入れてしまう。

××××は落下する中、自分を待ち望むように黄金に燃え盛る魂を見た。

ガラス瓶の底へと至り、勝利の神の魂の中へと××××は迎えられる。

黄金の魂の炎から焼かれながら、頭上から銀色の液体が注がれる。

それが勝利の神と自分を結びつける癒着材なのだと、自然に××××は理解した。

女性がガラス瓶の蓋を閉めて、瓶をぐるぐると回し始める。

存在が、想い出が、感情がぐちゃぐちゃになって他者と交わっていく。


「混ぜながらで悪いが次に君の力の説明をしておこう。父様が妹達に独占されてて腸が煮えくり返っているのでね。力はもちろん弱体化する。他者に勝利する力だが、神であった時は何人だろうが関係なかったかもしれないが、おそらく対象は一人か二人ぐらいに絞られるだろう。勝つためには直接対峙が必要だろうな。××××にある単なる幸運はそのままだな。それと君は勝利の神の技術を受け継ぐ。勝利の神は剣神としても有名だったから、それが弱体化しても人間としては相当なものだろう。」


瓶の振動が収まると、××××と勝利の神はもはや一つであった。しかし神々の対策法だろうか、勝利の神の人格は奥底に封じられている。

それを見届けると女性は空中に黒い穴を開ける。


「さて、これから君を別世界に転生させる事により人間として規定して弱体化させるわけだが、お別れする前に君には送られる地獄について教えておこう。その地獄の名は差別世界。君が生きていた通常世界、私が生きている幻想世界、それらに連なる世界だ。レベルという存在階級によってあらゆる事が決められる世界。魔宝という物質が貨幣であり、レベルを決める。レベルにより人間の欲望である長寿、権力、美貌、カリスマ、全てが決まる。人が求めるもの全てが一括化されている世界。それを手に入れる為ならば親兄弟友人さえ殺し貪る餓鬼世界。政治や法などまともに存在せず、在るのはそれらに似通った悪鬼どもの決めたルールに過ぎない。そんな世界で王になるのも、いたずらに人を殺すのも、女を奴隷にするのも好きにするといい。じゃあ、そろそろさようならだ。二度と会う事はないだろうけど、まあ、達者で暮らしなさい」


黒い穴の中を、××××はただただ落下していった。

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