表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばれなかった俺たちが、学園崩壊で“選ぶ側”になるまで  作者: 孔雀丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第九話「暗爪」

第八話までで、“戦う理由”は揃いました。

そして第九話では、それが――試されます。


敵は、ただ強いだけではありません。

こちらの「正しさ」を、真正面から壊しに来ます。


踏み台にしてきたもの。

見て見ぬふりをしてきたもの。

気づかずに手に入れてきたもの。


それらすべてを突きつけられた時、

なお「守る」と言い切れるのか。


これは戦闘回ではなく、覚悟の回です。

十彩獣団が“ヒーローになるかどうか”の分岐点。


第九話「暗爪」――開幕です。

 1 灰の匂い

 爪痕が、三本。

 アスファルトに刻まれたそれは、バターを切り裂いたように深く、鋭く、正確だった。

 猛顎(もうがく)の爪ではない。

 あれは「壊す」ための力だった。

 だがこれは違う——「殺す」ためだけに、極限まで研ぎ澄まされた刃物の軌跡だ。

「……別の、鬼?」

 友紀(ゆき)の声が、かすれた。

 グラウンドを覆う白い粉は、雪じゃない。燃え尽きた校舎の骨。砕けた机の破片。昨日まで「日常」と呼ばれていたものが、灰になって五月の空を漂っている。

 遠くでサイレンが鳴っていた。水底を通り抜けてくるように、くぐもっている。

 十人は、ただの高校生に戻り、瓦礫の前で凍りついていた。

 勝った。猛顎は倒した。

 その事実を反芻するだけで、喉が燃えるように痛かった。

「……あれ、見て」

 山室綾実(やまむろあやみ)の声が、静寂を割る。

 爪痕のすぐ横に、焦げた将棋の駒が転がっていた。

「王将」。墨で書かれたはずの文字が、血を吸って黒光りしている。

 北潟慎悟(きたがたしんご)は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 指先を伸ばす。

 駒に触れた、その瞬間——

 脳髄に、巨大な質量の何かが激突した。

「——ッ!?」

 視界が白く弾け飛ぶ。

 知らない場所。知らない声。それなのに、すべてが「自分の記憶」として網膜に焼き付いていく。


 古い木の匂い。

 盤に染み込んだ手汗とニスの臭気。

 清王学園(せいおうがくえん)高校、将棋部室。

『……詰みだね』

 パチリ。最後の一手が盤上に落ちる、乾いた音。

 王将が、金と銀に完全に包囲されていた。

 対面の少年——東善治(あずまよしはる)は、感情の欠片も落ちていない、硝子玉のような瞳で言い切った。

『君の将棋は、窮屈なんだよ』

 柔らかい声が、真綿で首を絞めるように逃げ道を塞ぐ。

『王を守ろうとしすぎて、盤面が見えていない。……君は、王になれない』

 その宣告を浴びたのは、慎悟ではない。

 うつむいている、もう一人の少年——春宮勉(はるみやつとむ)だ。

 春宮の喉が、きしりと鳴る。指先が、盤の縁を白くなるまで掴んでいる。

 その手が震えているのは、怒りのせいだけではない、と慎悟は直感した。

 あれは、今にも泣きそうな人間の手だ。


「兄ちゃん!」

 友紀の悲鳴が、遠くから鼓膜を叩いた。

 慎悟は、弾かれたように駒から手を離した。

 記憶の濁流が、ぶつりと途切れる。

 額から冷や汗が噴き出し、膝が笑う。胃袋がひっくり返りそうな吐き気を、奥歯を噛み砕く勢いで押さえ込んだ。

「他人の記憶が……頭に、流れ込んできた」

 その一言で、全員の空気が凍結した。

「春宮、勉」

 名前を口にした瞬間、戦場の温度が急激に下がった。

「暗い『爪』って書いてさ」

 綾実が、タロットを見つめたまま虚空へ呟いた。

「『暗爪あんそう』。彼の名前、そんな感じ、しない?」

 その二文字が空気に触れた瞬間、肌を撫でる風が完全に温度を失った。

 三秒の沈黙。誰も、呼吸すらできない。

「——呼んだか?」

 風の中に、地を這うような低い声が混ざった。


 崩れ落ちた渡り廊下の残骸。そこに、「夜」が立っていた。

 人の形をした闇。漆黒の装甲。内側に折れた逆関節の脚。鞭のようにしなる長い尾。指先からは、刃物そのものの鉤爪が伸びている。

 ディノニクス——その、悪夢的な変奏曲。

 暗爪は、音も立てずに瓦礫を降りてきた。

 その足元に、二つの物がきれいに並べられていた。

 割れた眼鏡。引き裂かれた、小さなリボン。

 さっきまで「生きていた」人たちの、あまりにも小さすぎる残骸。

「やあ。十彩獣団」

 暗爪の口元が、三日月の形に裂けた。ぞっとするほど、愉しそうに。

「掃除の時間だ」


 2 駒の記憶

「北潟慎悟」

 名を呼ばれた瞬間、また来た。

 記憶が、容赦なく脳髄を蹂躙する。


 退学を言い渡された夜。

 廃工場地帯。街灯の死角。湿ったコンクリートと錆の匂い。

 春宮勉は、コンビニの袋からカッターナイフを取り出した。

 死ぬつもりはない。ただ、何かを切らなければ——自分の中の泥が溢れ出して、狂ってしまいそうだった。

 一度だけ刃を出した。

 一度だけ引っ込めた。

 それだけで泣けた。

 春宮勉という人間が、その夜どれほど小さかったかを、慎悟は嫌でも理解してしまった。

『……聞こえるぞ』

 骨を直接震わせるような声。

『お前の叫びが』

 路地の奥から、黒い何かが染み出してくる。

 闇が濃度を増し、形を結ぶ。

『選べ。駒のままで終わるか? それとも——王になるか?』

 春宮勉は、ほとんど反射で答えた。

『……なら、王だ』

『俺は駒じゃない。もう二度と、誰にも俺を触らせない』

 黒い怪物が、跳んだ。

 春宮の影に飛び込み、その輪郭を黒く塗りつぶしていく。骨が軋む。筋肉が裂け、別の構造に編み直される。皮膚が漆黒の装甲へ変質し、指先から鋭利な刃が突き破る。

 悲鳴は出ない。

 代わりに、狂ったような笑い声が漏れた。

 春宮勉は、そこで死んだ。

 ——ただ一度だけ、誰かに「王になれる」と言ってほしかっただけなのに。

 その言葉は、記憶の中に残らなかった。言った者も、聞いた者も、誰もいなかったから。


「……っ、は」

 慎悟は、アスファルトに膝をついていた。

「兄ちゃん!」

 駆け寄ろうとする友紀の肩を、慎悟は震える手で突き飛ばした。

「離れろ……こいつから、離れろ……!」

「俺の記憶を見たか」

 暗爪が、ゆっくりと歩み寄る。

 一歩ごとに、アスファルトが豆腐のように抉れていく。

「東善治。将棋部の王様」

 割れた眼鏡を、鉤爪の先で軽くつつく。

「『君は王になれない』って、言い切った」

「王はな——」

 暗爪が、ゆっくりと眼鏡を踏み砕いた。

 バキンッ。ガラスとフレームが同時に砕け散る、鋭角な音。

「一手読み違えたら、死ぬんだよ」

 続いて、小さなリボンを拾い上げる。

玉木臣佳(たまきおみか)

 その名を呼ぶ時だけ、暗爪の声に微かなノイズが混ざった。

「彼女は、俺を視界にすら入れなかった」

 道端の石ころを見るよりも、無関心な瞳。

「だから、壊した」

 ビリッ。リボンが細かく引き裂かれ、灰の上に散乱する。

 それを見て、慎悟の中で何かが軋んだ。

 怒りではない。もっと厄介な——「分かってしまった」という感覚。

「……お前は、春宮勉なのか」

 喉から血を吐くように問うた。

「その名前は、もう捨てた」

 肯定以外の何ものでもない。

「お前は怪物になったつもりでいる」

 慎悟は立ち上がり、蒼い刀を握りしめた。

「でも、まだ将棋の話をしてる。まだ、眼鏡とリボンを『捨てずに持ってた』」

 暗爪の動きが、一瞬だけ止まった。

 ほんの一瞬。

 けれど確かに、止まった。

「黙れ」

 低い、圧を帯びた声。

「お前に分かるものか」


 3 蒼と暗

「だからって——」

 言葉より先に、身体が動いた。

 慎悟は一歩踏み込み、蒼い刀を構える。

「だからって、人を殺していい理由には、絶対にならない!」

 だがその正論が、今はひどく重い。

 春宮の記憶を見てしまった。あの圧倒的な孤独を、血を吐くような痛みを、知ってしまった。

 正しいことを言っているのに、言葉が空を切る感覚がした。

 暗爪の鎖鎌が、蛇のようにうねりながら迫る。

 ガギィッ!!

 黒と蒼が激突する。慎悟の腕の骨が軋む。暗爪は、びくともしない。

「俺が壊すのは、無自覚に他人の上を歩く『お前たち』だ」

 瞳の奥で、黒い炎が燃え上がる。

「自分が恵まれていることに気づかず、『みんな平等』なんて顔してる偽善者だ」

 その瞬間、慎悟の脳内に、別の記憶が強制的に割り込んできた。


 中学二年の夏。テニス部のレギュラー発表。

『北潟、お前がシングルス二番だ』

 顧問の声。周囲の拍手。

 その隣で、うつむいている友人の顔。

『……おめでとう、北潟』

 かすれた声で祝福してくれた、その顔を。

 慎悟は、次の日には完全に忘れていた。


「テニスのレギュラー争い。お前が勝った裏で、誰かが負けて、泣いてる」

 暗爪の言葉が、慎悟の心臓を物理的に貫く。

「お前は、自覚もなく、他人を踏み台にして生きている」

「ッ——!」

 爆発的な蹴りが慎悟の腹を抉った。肺の空気がゼロになる。視界が白く飛ぶ。身体が宙を舞い、アスファルトの上を転がった。

「兄ちゃん!」

 友紀が叫び、踏み出した。その足を、黒い鎖鎌が遮る。

 シュンッ、シュンッ。

 鎖鎌が高速で輪を描く。誰も近づけない、絶対的な死の結界。

「俺が本当に憎んでいる奴は……」

 暗爪の殺気が、ふいに一点に収束した。

 向きが変わる。

 慎悟ではない。

 慎悟のすぐ後ろ——北潟友紀。

「え……」

 友紀の喉が、ひゅっと鳴る。

 暗爪の姿が、視界からふっと消滅した。

 次に認識した時、鎌の刃先が友紀の喉元の空気を冷たく引き裂いていた。

 世界から、音が消える。

 ガキンッ!!

 火花と共に、時間が跳ね戻る。

 地面に転がっていたはずの慎悟が、強引に身体をねじ込み、友紀と鎌の間に割って入っていた。

 左腕を振り上げ、装甲ごと刃を直接受け止める。

 蒼い装甲が、悲鳴を上げてひび割れていく。

 熱い血が、冷たい灰の上にぽたりと落ちた。

「ぐ、ぅぅ……ッ!」

「兄ちゃん、やめて! 離れて!」

 友紀の絶叫が掠れる。

 慎悟は、歯を食いしばったまま、首を横に振った。

「離れない……!」

 声が震えても、その言葉だけは揺るがない。

「……お前も、同じだ」

 暗爪の声が、静かに降り注ぐ。

「気づいていないだけで、お前も誰かを踏んでいる。それでも守ると言うのか」

 慎悟の唇が、震える。

 反論できない。

 俺は正しくない。恵まれていた。踏んでいた。それは全部、本当のことだ。

「でも——」

 血の味がする。唇を噛み切っていた。

「でも、それでも……俺は、友紀を守る……!」

 理屈ではない。正論でもない。

 ただ、絶対に譲れない一線。

「正しいから守るんじゃない。守ると決めたから、守る」


 暗爪が、ふっと力を抜いた。

 鎖鎌を引き、バックステップで距離を取る。

 その動作に、かすかな——ほんのかすかな、落胆のようなものが混ざっていた、と慎悟は思った。

 羨望かもしれなかった。

 あるいは、ただの慎悟の気のせいかもしれない。

「いいね」

 暗爪が、嗤う。

「楽しみだな、『蒼牙(そうが)』。お前がその『守る覚悟』とやらを、どこまで貫けるか」

「覚えておけ。十彩獣団」

 暗爪は、すでに夜の闇に溶け始めていた。

 その視線が、一瞬だけ、十人の中の「誰か」に向けられた。

 誰に? 分からない。一瞬すぎて、確信が持てない。

「盤面は動き出した。次は——俺たちが、狩る番だ」

 次の瞬間、暗爪の姿は完全に闇へ溶けた。


 静寂が戻る。

 だが、それは救いではない。

 慎悟は、その場に崩れ落ちた。

 暗爪の言葉が、呪いのように頭の中で反響し続ける。

 ——お前は、誰を踏んでここにいる?

 ——本当に憎んでいる奴は、お前たちの中にいる。

 その可能性が、胸の奥に深く突き刺さったまま、抜けない。

 慎悟は、血で赤黒く汚れた王将の駒を、そっと拾い上げた。

 掌で包み込む。

 重い。

 王将というのは、こんなに重かったか。

「……俺は王にはならない」

 灰の積もる静寂の中で、慎悟は低く呟いた。

「ただの盾でいい。でも、盾は折れない」

 その誓いが、どれほど危うい綱渡りなのか、嫌でも分かる。

 正しくなくてもいい。恵まれていたとしても。踏んでいたとしても。

 それでも守ると決めた——その事実だけは、誰にも奪わせない。

 慎悟は、血でぬめる拳をゆっくりと開いた。

 掌の中に、王将の駒がある。

 折れていない。まだ、折れていない。

 灰の匂いの中で。

 蒼と暗の、最初の一手が——

 指し終わったばかりだった。


第九話、ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回の核心は一つです。

「正しいから守るのか、それとも守ると決めたから守るのか」。


暗爪は、力ではなく“視点”で攻めてきます。

だから厄介で、そして恐ろしい。


彼の言っていることは、ある意味で正しい。

しかし、その正しさだけでは人は救えない。

この矛盾こそが、今回のテーマです。


慎悟は完全な正義ではありません。

むしろ“不完全なまま、それでも立つ”存在です。


だからこそ彼の言葉には、重みがあります。

綺麗事ではなく、選択としての覚悟。


そして最後に残った「王将の駒」。

あれは単なる小道具ではなく、今後の象徴になります。


盤面は動き出しました。

次は「狩る側」が動きます。


第十話――いよいよ、本格的な対決に入ります。


ここからが本番です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ