第6話 それは私が欲しいものですか?
side 兄王子エミリオ
王女宮を訪れた王女の兄、王子エミリオは、自分が最も好む茶葉で淹れられた香り高いお茶を口にしながら、静かに安堵していた。
ここは妹ティアローザの私室――王女宮の中でも最もプライベートな空間である。
これまで何度も通された場所ではあるが、今回は応接室に通されるのではないかと少し不安だった。
王女宮に招かれる貴族令嬢や夫人はそう多くはないが、王妃の繋がりで一部の高位貴族の令嬢が定期的に訪れることもある。
また、王家御用達の商人たちも応接室に通される。
つまり、あまり親しくない者でも通されるのが応接室。
その点、私室に通されたということは――妹の怒りの対象外であると分かり、エミリオは胸を撫で下ろしたのだった。
「それでリオ兄様、政務が山のように積み上がり、毎日逃げたいと嘆かれるほどお忙しいお兄様が、わざわざ私のもとへ来られるほどの“大変な御用”がおありなのですか?」
ティアローザの言葉の棘が、じわじわと刺さる。
(これは…僕にも少し怒ってるなぁ)
二人だけのときだけ呼んでくれるリオ兄様があるだけちょっとはマシかもだけど。
怒るのも無理はないかもしれない。
父王と母王妃があの詐欺祈祷師や魔女を呼ぶのを止められなかったし、暴走してるなぁとは思いつつも「ちょっと面白い」と思ってしまい、本気で止めようとはしていなかった。
だってそうだろう?
娘が「醜い婚約者でいい」と言ったくらいで大騒ぎするなんて、親ばかにも程がある。
真っ当な臣下たちが諌めようとする中、「まぁ様子見したら?」と進言したのもバレているのかもしれない。
(あれ? 僕、なんで許されたんだ? 結構やらかしてない?)
「用があったら、来てはいけないのかい?」
令嬢たちの悲鳴を独占する微笑みを浮かべてみせる。
「フッ、妹のわたくしに、リオ兄様のその笑みが通用すると思ってますの?」
ティアローザに鼻で笑われてしまった。
「ははっ、手厳しいな。用がなくてもティアローザに会いに来たいし、来るつもりだったけれど――今日はティアが喜ぶものを持ってきたよ」
「喜ぶもの…?」
疑いの眼差しを向けながら、「私の欲しいものですか?」と問いかけるティアローザ。
「今、一番欲しそうなものだと思うけれど。違ったかな?」
そう言って、エミリオは釣書を掲げて軽く振ってみせた。
ティアローザの瞳がぱっと見開かれる。
「そのようなことを仰って、お父様たちが持って来られたような令息たちなら、わたくしはリオ兄様としばらく口をきかないつもりですけれど。よろしいの?」
「口をきかないのは堪えるからやめてほしいが、きっと気に入ってくれると信じて持ってきた。ティアに喜んでもらえると嬉しい」
エミリオは釣書を差し出し、ティアローザがそれを開くのを見守る。
「まぁ…この方は!」
ティアローザは驚いたように顔を上げる。
「この方って、こんな容姿でした? お兄様と昔から懇意にしておられる、公爵令息様じゃないですか?」
「ああ、五年間ほど帝国に留学していたからね。帰国してからは、まるで別人のようになったと臣下たちも驚いていたよ」
絵姿の下に細かく記された情報に目を落とし、読み進めるティアローザ。
「ええ、間違いないわ。お名前もルカリオン・コルベール公爵令息様ですし、嫡男という点も一致しています。
何かあったのかしら……ご病気だと聞いたことはありませんのに。こんなに痩せて……」
「帝国留学の影響だろうね。厳しい環境で鍛えられていたから、見た目も随分変わったよ」
心配そうなティアローザに、エミリオは首を傾げる。
「ティアは挨拶程度しかルカとの接点はなかったと思うけれど、どこかで話したことが?」
「いえ、ご挨拶だけですわ。その時に仰ってくださった言葉が印象的で、素敵な方だなと……年齢差もありましたから」
「へぇ…あのルカがねぇ」
詩的なことでも言われたのか?
でも、あの令嬢にブリザード吹かせていたルカだぞ?
僕の妹だからといって、そんなこと言うタイプじゃないはずだが。
「あの頃、わたくし天使になりたくて」
エミリオはきょとんと目を丸くする。
「天使…?」
「ええ、天使様が出てくる本を読んで、自分も天使になれないかと頑張っていた時期があるんですの」
幼い頃の夢を語るのが少し気恥ずかしく、ティアローザは頬を染めてふふっと可憐に笑った。
(うん、今でも天使になれそうな可愛さではある)
「庭園で、お花に囲まれて空を見上げて、“私を天使にさせてください”って祈っていた時、たまたまお兄様とコルベール公爵令息様が庭を散策されていて、お会いした時に――」
急に口を噤み、さらに頬を赤く染めて、もじもじとするティアローザ。
「時に?」
「…言わなきゃダメかしら。今、話しながら思い返したら恥ずかしくなってきましたわ」
「僕にその記憶がないんだけど、そこに僕はいたの?」
「リオ兄様もいらっしゃいましたわよ? え、いなかったかしら…?」
混乱したように視線を俯かせ、「いや…あれは…でも…」と呟くティアローザ。
「ティア、それで何て言われたの?」
続きが気になるエミリオが促すと、ティアローザは小さく息を吸い、言った。
「…王女殿下でしたか、天使様だと思いました。お初にお目にかかります。コルベール公爵家のルカリオンと申します。以後お見知りおきください――と」
(あれ、普通だな? “天使様”って単語はあるけど)
ティアローザが恥ずかしがるので、もっとすごいことを言われたのかと心配したが、これなら僕が覚えていなくても納得だ。
「まだ続きがありますの。
“綺麗な花に誘われてここへ来てみれば花の妖精に見え、近づけば何と愛らしい天使様かと。その白いドレスがとてもお似合いですね”って! ああ恥ずかしいわ!」
ティアローザは一息に言い切ると、両手で顔を覆い、悶えるように左右に体を揺らした。
(有り得ない。あのルカが…?)
特にあの頃は、年下、同い年、年上関係なく令嬢たちにしつこく追いかけられて庭園に逃げていた。
性差を感じない特別な美しさを持つ令息に皆夢中で、最終的には乱闘まで起きていたから。
ルカはそうした令嬢たちを心底嫌がっていて(僕も嫌だ。だからルカに熱をあげた令嬢はすべて婚約者候補リストから除外した)、冷たい対応をしていた記憶がある。
そんな彼が、妹にだけは天使だの妖精だのと甘い言葉をかけていたなんて――。
「あ、思い出しましたわ。お兄様は少し距離があったのか、後から追いついて来て、私に“白いドレスを汚すと落とすのが大変だってメイドが嘆いてたぞ”って言ったのよ」
「じゃあ記憶にない訳だ。僕、聞いてないんだもの」
まだ頬に赤みを残したティアローザ。
あの頃のルカを思い出し、苦笑しながら納得するエミリオ。
「それで、ティアはどうかな? ルカリオンは」
「実は、もう父と母の許可は得ていてね。ティアの婚約者として、ほぼ決定なんだ。
ティアが嫌なら、また別の人間を探してくる。
でも、彼は僕の昔からの友人で、最も信頼する側近だから一番最初に選ばれた。婚約の許可に誰も異を唱えなかったよ」
「ルカリオン・コルベール公爵令息様と、婚約いたしますわ!
コルベール公爵令息様がお嫌でないのでしたら…ですけれど」
「嫌なものか。大喜びしていたよ」
長い付き合いの中で見てきた、彼だけが知るルカの反応を思い出しながら、エミリオは微笑む。
「……それなら、安心いたしました。
周りが騒ぎ立てたせいで、“頭がおかしくなった王女”と思われて嫌がられていたらと…不安でしたの」
「…早めにその噂は消しておくよ。王と王妃のご乱心ってことで差し替えとく。
親ばかの暴走ってね。王と王妃のイメージなんて、知るか」
ニヤリと笑うエミリオに、ティアローザも同意するようにニヤリと笑った。
似た者兄妹かもしれない。
「じゃ、ティアが同意したと伝えてくるよ。
そのままお披露目と期間は開くけど婚約式の日程まで決めてしまうけど、いいかい?」
「っ…! ええ、お願いします」
また頬を赤く染めた妹を見遣りながら、兄王子エミリオは嬉しそうな笑い声をあげた。




