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婚約の条件は「私だけを愛してくれること」それだけです。  作者: iBuKi


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第4話 初々しい交流

 

 残されたのは、ティアローザとルカリオン、そして兄王子と数名の近侍だけだった。

 広すぎる謁見の間に、足音が響く。


「ティアローザ姫様」

 ルカリオンが口を開く。だが、声は驚くほど小さく、ほとんど掠れていた。

「……あ、あの……」


 ティアローザは瞬きをして彼を見つめ返す。

 厚い眼鏡の奥の瞳は揺れて、まるで言葉を探すように泳いでいる。


「……なんでも、ないです」

 かすかな声でそう締めくくり、彼は俯いてしまった。


 けれども――その耳朶が真っ赤に染まっているのを、ティアローザは見逃さなかった。


(……どうしてかしら。口にした言葉を取り消し飲み込むような態度は王族に対しての不敬に値する場合もある。けれど、そんな態度がちっとも嫌じゃない。むしろ……)


 胸の奥で、再び小さなざわめきが広がっていった。

 それは冷笑でも見下しでもない。

 初めて芽吹いた、予想もしなかった感情だった。


 兄王子はその様子を、愉快そうに腕を組みながら見守っていた。


 謁見の儀が終わり、人々が退出していったあと。

 ティアローザは兄王子に導かれ、隣室の控え室へと移った。

 豪奢な椅子と小さな卓が置かれ、外の喧騒から切り離された静けさが漂っている。


「ここで少しお休みを。……ルカリオン、妹を頼んだぞ」

 そう言い残し、兄王子は近侍を伴って扉を閉じた。


 途端に訪れる、二人きりの沈黙。

 壁際にはティアローザの専属侍女も待機しているし、護衛だっているので、正確には二人きりではない。

 だが、それらは室内に設置されている調度品と同じで背景に溶け込んでいる。


「…………」

「…………」


 互いに気まずさを隠せず、ティアローザは視線を卓上の水差しに落とした。

 一方のルカリオンは、厚い眼鏡を直す指がかすかに震えている。


 先に沈黙を破ったのはティアローザだった。

「先ほどは……緊張なさっていたようね」


「は、はいっ……あの……姫様の前に立つのは、夢のようで……」

 言葉はたどたどしいのに、吐息の端には熱と真心がにじんでいた。


 ティアローザは思わず微笑んでしまう。

「夢、ですか。……でも私から見れば、あなたの方がずっと夢の中の人のようです」


「えっ……?」

 驚いたように顔を上げたルカリオンの頬が、また大好きな苺のように赤く染まった。


 ティアローザは自分の口から零れた言葉に少し戸惑いながらも、続ける。

「あなたがどんな方か、まだ分かりません。けれど――誠実に見えました。……それだけで、今日ここに並んで立った意味があると、思えるのです」


「……ティアローザ姫様……」


 ルカリオンの声は掠れていた。けれども、その震えの中に、確かに喜びが宿っている。


 静かな控え室の空気は、先ほどまでのざわめきや疑念を忘れさせるほど穏やかだった。


 短い沈黙ののち、ティアローザは小さく笑んだ。

「……こうして二人きりでお話しするのは、二度目ですね。ずっと昔に一度お話したことを覚えています。あの……率直に伺ってもいいかしら。ルカリオン様は、今の私を見てどう思われました?」


 突然の問いに、ルカリオンは肩を震わせる。

 眼鏡の奥の金の瞳が、必死に彼女から逃げようとして、けれど結局戻ってきた。


「……神殿の女神像より、まばゆくて。……目を合わせるのが、怖いくらいでした。妖精みたいで、でも天使のようで……」

 息を呑むようにして吐き出された言葉は、不器用で、飾り気がなかった。


 ティアローザは驚き、そして何かを思い出したかのように頬を染めふっと表情を和ませた。

あの出逢った頃に聞いた同じような言葉に懐かしさを覚える。


「怖い……ですか。ふふ、面白い感想ですね。私はてっきり、もっと……何か批評めいたことを言われるかと思っていました」

 それから「昔と同じことを仰って貰えたわ」と小さく呟いた。


「そ、そんな……私などが姫様を評するなんて……」

 耳まで赤くして狼狽する姿に、ティアローザは思わず胸の奥がくすぐったくなる。


 彼女もまた、素直に返す。

「では私からも。……ルカリオン様の今の第一印象は、正直に言えば“頼りなく見える”でした」


「……っ」

 言葉を飲み込むルカリオン。俯きかけた彼に、ティアローザは柔らかな声音で続けた。


「けれど……その震える手を見たとき、私は“本当に誠実な方”だと思ったのです。誰よりも真剣に、場を重んじていたのだと。……だから、私は安心しました」


 ルカリオンの瞳が揺れ、曇った眼鏡の奥から、初めて真っ直ぐに彼女を見つめた。

 その視線に、ティアローザの胸は再びふわりとざわめいた。


 静かな空気を破ったのは、扉を叩く軽い音だった。

「……ご歓談中のところ失礼するよ」


 入ってきたのは先ほど退室したばかりの兄王子だった。

 ティアローザが慌てて姿勢を正すと、彼は唇の端を上げ、からかうような笑みを浮かべる。


「なるほど……ずいぶん打ち解けているじゃないか。第一印象の交換など、随分と早い」


「お兄様……聞いていたのですか?」

「ティアローザの声はよく通るからね」


 ティアローザの頬がほんのり赤くなる。

 大きな声を出したつもりではなかったのだが、無意識に出ていたのか。

 一方、ルカリオンは耳まで真っ赤にして固まっていた。眼鏡の奥の瞳は右往左往し、居場所をなくした小動物のようだ。


 兄王子はわざとらしく感心した声を出す。

「いや、良いことだ。夫婦になるのだから、互いの本音を語り合うのは大切だろう。……それに、ティアローザがああして笑うのを久しく見ていなかった」


「そ、そんなこと……!」

 ティアローザが抗議しようとしたが、兄王子は軽く手を振って遮る。


「気づいていないのなら幸いだ。……ルカリオン、誠実さを忘れぬことだ。姫は見かけよりも、そういうものを好む」


「……っ、は、はい!」

 場違いなほど真剣な返事に、ティアローザは思わず肩を揺らして笑ってしまう。


 兄王子はそんな妹を見て、ますます愉快そうに目を細めた。

「ルカリオン……どんな方法でもいいから妹を幸せにしてくれ。頼んだぞ」


 その一言に、ティアローザは瞳を丸くするのだった。


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