第一話 王女のご乱心。
プルースト王国には、二人の王子と一人の王女がいた。
王家の血筋は代々、国の未来を背負う者として特別な教育を受けてきた。
第一王子は正統なる継承者。第二王子は万一に備える影。
男児のみが王位を継げると国法に明記されている以上、ティアローザ・プルースト王女が冠を戴く日は決して訪れない。
ゆえに、王女に課せられる役割は早くから決まっていた。
それは政略の駒、である。
隣国との堅実な同盟を結ぶための婚姻。
忠勤を尽くした貴族への褒賞としての縁組。
あるいは王家の影響力を広げるための人質にも等しい縁談。
王女自身の意思はそこに介在しない。望もうが望むまいが、彼女の未来は王国のために差し出される定めだった。
ティアローザも理解していた。
幼い頃から徹底された教育によって、誰よりも自覚させられていた。
――自分は王女であり、ひとりの娘である前に「国の所有物」である。
しかも、ティアローザには否応なく目を引く容姿があった。
白雪のように透きとおる肌、陽光を受けて宝石のように輝く金の髪、深き湖を思わせる瞳。その美貌は幼少の頃より国内外に轟き、外交の場では「王国の至宝」とまで称えられた。
だが、それは同時に、彼女がただの娘ではなく「国益を飾る花」としてしか扱われない現実を突きつけるものでもあった。
それでも、ティアローザの心は歪むことなく真っ直ぐに育つ。
教育の時間を終え、宮廷の重苦しい空気から解放されると、必ず待っていたのは父王と母后の微笑みだった。
厳格さを纏いながらも、父王は幼いティアローザを抱き上げ、疲れをねぎらうように額へ口づけを落とす。
母后はその横で優しく髪を撫で、温かな茶を用意してくれた。
多忙なのは分かりきっている両親がどうにか調整して二人揃ってティアローザを労ってくれる特別で優しい時間。
――決して道具として扱われているわけではない。愛されている。見捨てられてはいない。
政略のために嫁ぐ未来が決められているとしても、両親の愛情が自分を支えている。温度のある人間として生かされている。
幼いティアローザにも、その温もりが示す思いがしっかり伝わっていた。
やがて年頃となり、縁談の話が頻繁に持ち上がるようになった。
父王の前には次々と候補者とその親が並び、王宮の空気は静かにざわめき立つ。
貴族の令息が儀礼的に微笑み、ティアローザの手を取って恭しく口づけを落とす。庭園を散策し、薔薇の茂みに囲まれて並んで歩く。
その一瞬だけ、胸が高鳴り、頬が熱を帯びた。
――もしかしたら。
自分も普通の娘のように、人を愛し、愛されることができるのではないか。
だが、不思議なことに、心惹かれた相手ほど、ほどなく候補から外れていった。
「体調を崩した」「家督を継ぐこととなった」「政略上の事情で」――理由は様々に告げられたが、真相は決して語られない。
初めは偶然だと受け入れた。けれど何度も繰り返されるにつれ、胸の奥に疑念が芽生えていった。
――私が心を傾けたから、消されたのではないか。
疑いはやがて恐怖に変わり、涙をこらえきれず父王の前に跪いた夜もあった。
「お父様……なぜ、皆さま、消えてしまうのですか」
困ったように目を細め、父王は娘の肩に手を置いた。
「おまえを得たい者たちが水面下で色々とな……つまり、政略的なものだけではない思惑もあるということだ」
疲れたような表情でティアローザの頭を撫でる父王。
父王の愛娘の美貌は思ったより周囲を狂わせているらしい。
だがそれを語ることはしなかった。
だからティアローザから理由を尋ねられても、ただ似たような同じ言葉を繰り返すしかない。
けれどティアローザは、そこで絶望しなかった。
父王の声音が冷酷さを帯びていなかったからだ。むしろ、娘を守ろうとする温かさがあった。そして、少しばかり呆れも含まれていた気もする。
真実は語られなくとも、父はきっと最悪の未来からは自分を遠ざけてくれている。そう信じるには十分だった。
だからこそ、夢を抱きたい心を押し殺し、完璧な姫として振る舞い続けた。
だが、限界はある。
政略の駒でしかない自分に、夢を抱く資格はない。
けれど、心の奥底ではまだ、父を信じ、いつか誰かと小さな幸福を分かち合えると願ってしまう。
それは幼い頃に父王と母后から与えられた温もりが、いまだ彼女の中で消えていないからだ。
――けれど、もし父が本当に政のために私を嫁がせる時が来たら。
いつまでも候補の辞退が続けば、相手選びも難しくなってくるだろう。
その時、私はどうすればいいのだろう。
夢の半分は諦め、あえて「周囲が好意を抱けぬ相手」を選ぶしかないのではないか。
物語の王子様のような誰からも求められ横槍が入るような令息ではなく、地味で令嬢の人気も無さそうな相手。
ティアローザが心に定めた条件は、あまりに奇妙なものだった。
「誰からも靡かれぬ容姿を持ち、それでも王女を永遠に愛し続ける男。」
太りすぎて動けぬ男でも、顔に傷を負った醜男でも、極端に痩せた陰気な男でもかまわない。浮気など到底できず、ただ王女だけを見続ける者なら、それでいい。
そんな相手にティアローザは浮気すら許されぬほど執着してみせよう。
今まで誰にも相手にされなかった令息はティアローザの執着を受け入れてくれるのではないか。そして、その執着が無ければ自分に価値などないと依存して、ティアローザを永遠に求め愛し続ける男を作ればいい。
それは酷く残酷で身勝手で、ティアローザ自身にも苦い策だった。
政治の檻に閉じ込められる前に、自ら檻を選びその檻を住みやすい環境に整えることで僅かな自由を守ろうとする、自分の心を殺さず守り生き延びるための道。
冷静な部分でとんでもなく馬鹿らしいと嘆く自分がいる。
けれど、これは確実に実行し成功させたいと思う自分もいる。
ティアローザにとっては今まで散々横槍を入れてきた貴族たちに対する仕返しのようなものだった。




