同僚
要さんが手紙を持ってくれた翌日の昼頃、家の中ではたきをかけていると、誰かが戸を叩いた。
昨日今日とお客さんが続くな、と思いつつ、前に遠弥に言いつけられたとおり、今回も居留守を使う。
すると、
「おーい、流境さん、いるんだろ? 俺は、えーっと、遠弥の同僚だ。遠弥が風邪を引いたから、連れて帰ってきたんだ」
びっくりして飛び出すと、あまりにも大柄な人だからまた驚いた。広い肩幅に、背負われて嫌そうな顔をしている遠弥が小さく見える。
戸惑っていると、
「あー、ええと、どうも?」
と、小さく頭を下げられて、思わず頭を下げ返した。
同僚の人に背負われて帰ってきた遠弥は、結構元気だった。普通に立って歩ける程度には元気だった。
今は同僚の人に渡すものがあるらしく、自分の部屋に戻ってしまっている。正直、横になって休んでてほしいが、さっさと奥に行ってしまって引き止める暇もなかった。
同僚の人は、大きな口でにっと笑った。彼の一つに結われた長い髪が揺れる。なんというか、いるだけで明るくなるような人だ。緑の耳飾りがよく似合っている。
「俺は一修。あの馬鹿の同僚」
「あ、私は、」
私も自己紹介しようと思って、はたと我に返る。
私は日本からこの世界に来てしまった。そして遠弥曰く、神様に見つかってしまうから、こっちの世界では名前を名乗ってはいけないらしい。
……名乗れないのに、何をどう紹介したらいいのだろう。
口を開きかけて噤んだ瞬間、一修さんは微笑んだ。
「分かってるよ。名乗れないんだろ? 気にしないでくれ」
「ありがとうございます」
まだこの人のことはよく知らないけれど、とても優しい人かもしれない。
それからぎこちなく会話していると、冊子を持った遠弥が戻ってきた。顔も赤くないし、こうしていると元気そのものだ。
「はい、これ。これが一番わかりやすいと思う」
「お、助かる。また返すわ。んじゃ、俺はもう帰るからそろそろ寝ろよ」
「ちょっと風邪引いたくらいで大げさなんだよ」
遠弥は呆れた顔をした。
「いや、お前がふらつくなんて有り得ないから。悪いんだろ、体調。部屋まで戻れるか?」
「子ども扱いするなよ……僕より後輩のくせに」
「年齢は俺が上だ」
どういうことだろう、と首を傾げると、気付いた一修さんが説明してくれた。
「ええと、さっき遠弥の同僚といったが、俺はこいつより年上なんだ。でも、職場ではガキの頃から働いている遠弥が先輩ってわけ」
「小さい頃から働いているの?」
「……まあ」
「遠弥って、優秀なんだ」
感心する。どういう経緯かは知らないが、子どもの頃から大人に混じって働いているということは、それだけ能力が高かったということだろう。
遠弥は一瞬黙ってから、首を振った。
「早く大人になりたかっただけだよ」
「私も小さい頃は、そう思ってたけど。夜ふかしできるし、好きなところに遊びに行けるし……でも、成人した今になっても、大人になれた感じはしないんだよね」
私の言葉に、遠弥は笑った。
それがなんだか――全くもって明るい笑顔ではなかったので、私は何を言うべきか分からなくなった。
ええと、と気を遣ったように声を上げたのは一修さんだった。
「る、流境さんは、こいつに嫌がらせとかされてないか? 目ざといくせに気は利かないだろ、こいつ」
「ちょっと……」
「いえ、寧ろ、とてもよくしてもらってます」
「「え!?」」
二人揃って驚いたので、私もちょっとびっくりした。
いや、一修さんは分かるけど、遠弥が驚くのは何?
急に一緒に暮らすことになったのに、普通に、穏やかに生活できているし、それだけでとても助かっていることを伝えると、遠弥は「ああそう」とだけ答えた。
「まあ、お宅ら二人がうまくやれてるならいいけど……」
「一修は早く職場戻りなよ」
「お前ね、わざわざ送ってあげた優しい同僚にそんなこと言う?」
「仕事したくなかっただけだろ。ほら、色々買ってこいって頼まれてたし、そろそろ戻るべきじゃない? うちから戻ると時間かかるよ」
言われて、一修さんは慌てて立ち上がった。
「お前がこんな辺鄙な所に住んでるんじゃなけりゃ良かったのに」
恨み節のように言い残して、さっさと去っていった。
やっぱりここ、辺鄙な場所なんだ……。確かに周囲に家はないけど、ほかを知らないので、もしかしたら貴族の人はこれが普通なのかもしれないと、どこかでちょっと思っていたところだった。
そして一修さんを見送ってから振り返ると、遠弥がしゃがみ込んでいた。
「と、遠弥? 大丈夫?」
「ん。でももう寝ようかな」
「うん。そのほうがいいね……」
遠弥はしばらくじっとしていた後、やがて立ち上がった。元気に見えていたけれど、相当体調が悪いらしい。隠さなくてもいいのにと思ったが、たぶん彼なりに考えがあるのだろう。
「ええと、夕飯は残りもので食べて。僕はいらないから」
「うん、わかった。ありがとう。お腹すいたら言ってね」
「ん。他に何か言うことなかったっけ……?」
「何かあったら、自分でなんとかするから」
遠弥が途中で倒れるといけないから、彼は嫌そうだったけど、念の為彼の部屋までついていった。
遠弥の部屋は、この家全体に言えることだが、物が少なかった。布団は敷かれたままだった。
着替えると言うので、一度部屋を出た。
飲み水だけ準備して戻ると、大人しく布団で寝ていた。
「お水だけ汲んできたけど……」
「……ありがとう。後でもらうよ」
「遠弥、本当に大丈夫?」
「一修が大げさなだけだよ。大丈夫だから」
「一修さんと仲良しなんだね」
思ったことをそのまま伝えると、遠弥は嫌そうな顔をした。
「普通だよ普通。あんたが思ってるほどじゃない」
「仲良く見えたけどな」
「僕は誰も信じてないって言わなかったけ」
そもそも一修さんも貴族らしい。遠弥も貴族である以上、いつ互いの家の立場が変わり、敵対するかも分からない。だから同僚とはいえ、油断はできないと言う。
「そうなんだ」
「……あんたには関係なかったね。なんの立場も、しがらみもない……」
「遠弥?」
返事はない。眠ってしまったらしい。
なんとなくほっとして、私も部屋を出た。廊下を歩きながら、ぼんやりと考える。
遠弥は本当に、不思議なくらい周りを信じていない。違和感を覚えるくらいに。
出会ってすぐの私を疑うのは変ではないが、あんなにも仲よさげに見えた同僚にすら、心を許していないと言う。
一修さんはとても良い人だったし、遠弥にも心を許しているように見えたのに。
――遠弥の過去に何があって、ああも頑なになったのだろう。
それとも、この世界の貴族としては普通のことなのだろうか。
「(……分からない)」
なんとなく、遠弥の部屋の方を振り返ってみた。
しんとしているだけで、何があるわけでもない。
急に不安になって、足早にその場を後にした。