『帰宅』
結局、颯達では、頑固な奴らの考えを変えることはできなかった。同僚に請われ、気に入られている颯が一人で王に頼みにいくことになった。
頑固野郎共が正義感から言うことを聞いてくれないので、どうかご命令をいただけないでしょうか、と。
王は思いの外、すんなりと命令を一筆したためてくれた。身内には甘い人のため、我が子可愛さからだろうか、と颯は一瞬思ったのだが、
「あいつはもう駄目だろうなあ」
他人事みたいな評価だった。
誰、と聞かずとも分かる。更沙についてだった。
側近の老爺が、おろおろと口を挟む。彼は、この人でなしの王が幼い頃から彼女に仕えているが、人の心というものを忘れていない。そういうところを、この王は気に入っているようだった。
「陛下、それはあんまりでは」
「だって、向いてない者に向いてないことをさせてもしょうがないだろう」
主上はからりとしていた。遠回しに、更沙を廃嫡すると言っている。
「まあ子どもは他にもいるからな」
颯も普段なら何かしら言葉を交わしているところだが、加わりたくない話題だったうえに、疲れていたため何も言わなかった。
そのお陰か、さっさと退席を許されたのでその場を後にした。
颯が去ったあと、
「そろそろかなあ」
と王は一人呟いた。
「何がです?」
「色々と。少しくらい、強引な方がいいかなあ」
側近は何も言わず、ただ従うように頭を下げた。
「颯!」
颯は一瞬、反応できなかった。
(あ、僕か、)
と思って振り向くと、背の高い同僚の女が立っていた。腕を組んで、気遣わしげな目で颯を見ている。
「おい、大丈夫か? もうしばらくしたら皆で飯に行くけど、どうする?」
「ごめん、今日はそんな気分じゃない」
「だよな。悪い」
同僚の女は、ばつが悪そうに頭を掻いた。
更沙と幼馴染であることは、特に隠していなかった――どころか、更沙が必要以上に周りに伝えていたため、周知の事実だった。
「……別に、ただ早く帰りたいだけだよ」
「珍しいな。いつもはろくに休めていないのに、そのー、なんというか、仕事熱心だろ、お前」
否定はしなかった。
同僚の女は、右腕で涙を拭う真似をした。
「やっと世の中仕事だけじゃないことに気付いたんだな……」
「うっとおし……」
颯があからさまに距離を取ると、同僚は笑った。
「まあ冗談でもないが、冗談だよ。そうだ、我らが主上の機嫌はどうだった?」
「悪くなかったよ。こんな時なのにね」
「……そうか。まあ、複雑な御方だからな」
颯がその言葉に対し何も言わないでいると、同僚は気まずそうに視線を逸らした。
「あー、そうそう。お前、明日は休んでもいいそうだぞ」
「へえ、気を遣わせたかな。珍しい」
「さあな。……じゃ、アタシはあっちに用があるから。たまには家でゆっくりしなよ」
同僚は手を振って去っていった。
その後颯は、自身の仕事をさっさと済ませると、帰路を急ぎ足で進みながら、家に帰りたい、と本心で告げた自分のことを考えていた。疲弊していた。早く帰りたかった。別におかしなことではない。
おかしなことではないが、いつもと違う、とは思う。
(最悪だ)
何が違うのかなんて、考えなくても分かる。分かるが、颯はそうは思いたくなかった。
あの流境の少女が、自分に影響を及ぼしている、なんて。
(最悪だ)
彼女は明るく、自由で、なんの後ろ盾もなく、逆に言えばどんな立場も、しがらみもない。颯がそう気付いたのは、看病された時だった。
颯の生活に油断は許されなかった。周囲に親切にされたとしても、そしてそれが分かったとしても、家族のことを想うと、誰にも心を許せなかった。何か一つでも誤れば終わりだと考えていたためだ。常に周りの意図を考えて行動する必要があった。
しかし、彼女と話すときだけは、その背景に全く気を使わなくてよかった。自分の言葉で、彼女にだけ、話しかければいい。
初めてだった。楽だった。楽しい、と言ってもいい。
(最悪なのに、)
急な同居だったため、面倒なことだってたくさんあった。甘ったれた声音、誰も疑ったことがないような考え、享受してきた平和に緩んできた笑顔――しかもそんなにも危機感がないくせに、一つではあるが颯よりも年上で、それでまた苛々して呆れて、厄介で面倒くさい。
(でも、嫌ではなかった)
彼女の無邪気で毒気のない、柔らかく暖かなところや、一人孤独ながら気丈に振る舞うところ、そして、縋るものが自分にしかない、というところ。
それから、「遠弥、遠弥」と、嬉しそうに話しかけてくるところ。これはここにしかない名前、存在しない者の名前だ。なのに、自分が呼ばれていると感じられて、胸があたたかくなる。昔、実家で暮らしていたころ、家族に呼ばれていたときのように。
彼女は颯にとって、今までの人生に、全く現れなかった存在だった。
「ただいまー」
寝てるかな、と思って戸を静かに開けたのに、颯はいつものくせで家の奥まで届くように声をかけてしまった。
するといつものように、慌ただしい軽い足音が向かってくる。颯は無意識にほっとした。
「遠弥! おかえりなさい! 今日は遅かったね。何かあったの?」
「いや。でも少し疲れたな」
「珍しいね。大丈夫?」
「ん……」
この流境の少女、最近よく何事かを考え込んで、ぼんやりとしていることが多かったように見受けられた。しかし、今日はそんなことはなさそうだ。
「あの、遠弥、もしかして、鞠の根付を探してたの?」
「あ、うん。ちょっとね。見つからなかったけど……」
どうせ仕事のことは話せないのだ。適当に嘘をつくと、彼女は分かりやすくしょんぼりする。弱っているところを漬け込まれるという発想がないのだ。
颯は――遠弥は笑った。
「そうだ。代わりの物を買いに行くから選んでよ」
「え!?」
「嫌?」
断らないことは分かっている。分かっていて提案している。
そんなことも気付かず、流境の少女は不思議そうにしている。
「私って外、出ていいの?」
「さあ?」
「?」
「少しだけならいいんじゃない? まあ、僕が出かけたいってだけだから、嫌ならいいよ」
「嫌なわけないよ!!」
大声を出してすぐ、ハッと我に返ったように口を噤むと、少女は恥じ入るように俯いてしまった。
「大きな声だしてごめん」
「いや、いいよ。じゃあ明日でいい?」
「あ、明日? 急だね」
「あんたはいつ帰るかも分からないだろ」
そっか、と納得したように笑う。
……帰れないのでなく、こちらが敢えて、帰していないのだと、疑ったことくらいあるだろうに。
それも忘れているのか、それとも、それほどまでに、目の前の『遠弥』という男を信用しているのか。
「私はもちろんいつでも大丈夫だけど、遠弥、お仕事は?」
「休み」
「珍しいね」
たまにはね。
そう言って笑いかけると、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
なんとなくじっと見つめると、なぜか思い切り顔を逸らされて少し腹が立ったので、しばらく追いかけ回して遊んだ。




