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遠くに在りて弥栄を  作者: ばち公
3章 天女
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『帰宅』

 結局、颯達では、頑固な奴らの考えを変えることはできなかった。同僚に請われ、()()()()()()()()颯が一人で王に頼みにいくことになった。

 頑固野郎共が正義感から言うことを聞いてくれないので、どうかご命令をいただけないでしょうか、と。

 王は思いの外、すんなりと命令を一筆したためてくれた。身内には甘い人のため、我が子可愛さからだろうか、と颯は一瞬思ったのだが、


「あいつはもう駄目だろうなあ」


 他人事みたいな評価だった。

 誰、と聞かずとも分かる。更沙についてだった。

 側近の老爺が、おろおろと口を挟む。彼は、この人でなしの王が幼い頃から彼女に仕えているが、人の心というものを忘れていない。そういうところを、この王は気に入っているようだった。


「陛下、それはあんまりでは」

「だって、向いてない者に向いてないことをさせてもしょうがないだろう」


 主上はからりとしていた。遠回しに、更沙を廃嫡すると言っている。


「まあ子どもは他にもいるからな」


 颯も普段なら何かしら言葉を交わしているところだが、加わりたくない話題だったうえに、疲れていたため何も言わなかった。

 そのお陰か、さっさと退席を許されたのでその場を後にした。

 颯が去ったあと、


「そろそろかなあ」


 と王は一人呟いた。


「何がです?」

「色々と。少しくらい、強引な方がいいかなあ」


 側近は何も言わず、ただ従うように頭を下げた。




「颯!」


 颯は一瞬、反応できなかった。

(あ、僕か、)

 と思って振り向くと、背の高い同僚の女が立っていた。腕を組んで、気遣わしげな目で颯を見ている。


「おい、大丈夫か? もうしばらくしたら皆で飯に行くけど、どうする?」

「ごめん、今日はそんな気分じゃない」

「だよな。悪い」


 同僚の女は、ばつが悪そうに頭を掻いた。

 更沙と幼馴染であることは、特に隠していなかった――どころか、更沙が必要以上に周りに伝えていたため、周知の事実だった。


「……別に、ただ早く帰りたいだけだよ」

「珍しいな。いつもはろくに休めていないのに、そのー、なんというか、仕事熱心だろ、お前」


 否定はしなかった。

 同僚の女は、右腕で涙を拭う真似をした。


「やっと世の中仕事だけじゃないことに気付いたんだな……」

「うっとおし……」


 颯があからさまに距離を取ると、同僚は笑った。


「まあ冗談でもないが、冗談だよ。そうだ、我らが主上の機嫌はどうだった?」

「悪くなかったよ。こんな時なのにね」

「……そうか。まあ、複雑な御方だからな」


 颯がその言葉に対し何も言わないでいると、同僚は気まずそうに視線を逸らした。


「あー、そうそう。お前、明日は休んでもいいそうだぞ」

「へえ、気を遣わせたかな。珍しい」

「さあな。……じゃ、アタシはあっちに用があるから。たまには家でゆっくりしなよ」


 同僚は手を振って去っていった。

 その後颯は、自身の仕事をさっさと済ませると、帰路を急ぎ足で進みながら、家に帰りたい、と本心で告げた自分のことを考えていた。疲弊していた。早く帰りたかった。別におかしなことではない。

 おかしなことではないが、いつもと違う、とは思う。


(最悪だ)


 何が違うのかなんて、考えなくても分かる。分かるが、颯はそうは思いたくなかった。

 あの流境の少女が、自分に影響を及ぼしている、なんて。


(最悪だ)


 彼女は明るく、()()で、なんの後ろ盾もなく、逆に言えばどんな立場も、しがらみもない。颯がそう気付いたのは、看病された時だった。

 颯の生活に油断は許されなかった。周囲に親切にされたとしても、そしてそれが分かったとしても、家族のことを想うと、誰にも心を許せなかった。何か一つでも誤れば終わりだと考えていたためだ。常に周りの意図を考えて行動する必要があった。

 しかし、彼女と話すときだけは、その背景に全く気を使わなくてよかった。自分の言葉で、彼女にだけ、話しかければいい。

 初めてだった。楽だった。楽しい、と言ってもいい。


(最悪なのに、)


 急な同居だったため、面倒なことだってたくさんあった。甘ったれた声音、誰も疑ったことがないような考え、享受してきた平和に緩んできた笑顔――しかもそんなにも危機感がないくせに、一つではあるが颯よりも年上で、それでまた苛々して呆れて、厄介で面倒くさい。


(でも、嫌ではなかった)


 彼女の無邪気で毒気のない、柔らかく暖かなところや、一人孤独ながら気丈に振る舞うところ、そして、縋るものが自分にしかない、というところ。

 それから、「遠弥、遠弥」と、嬉しそうに話しかけてくるところ。これはここにしかない名前、存在しない者の名前だ。なのに、自分が呼ばれていると感じられて、胸があたたかくなる。昔、実家で暮らしていたころ、家族に呼ばれていたときのように。

 彼女は颯にとって、今までの人生に、全く現れなかった存在だった。


「ただいまー」


 寝てるかな、と思って戸を静かに開けたのに、颯はいつものくせで家の奥まで届くように声をかけてしまった。

 するといつものように、慌ただしい軽い足音が向かってくる。颯は無意識にほっとした。


「遠弥! おかえりなさい! 今日は遅かったね。何かあったの?」

「いや。でも少し疲れたな」

「珍しいね。大丈夫?」

「ん……」


 この流境の少女、最近よく何事かを考え込んで、ぼんやりとしていることが多かったように見受けられた。しかし、今日はそんなことはなさそうだ。


「あの、遠弥、もしかして、鞠の根付を探してたの?」

「あ、うん。ちょっとね。見つからなかったけど……」


 どうせ仕事のことは話せないのだ。適当に嘘をつくと、彼女は分かりやすくしょんぼりする。弱っているところを漬け込まれるという発想がないのだ。

 颯は――遠弥は笑った。


「そうだ。代わりの物を買いに行くから選んでよ」

「え!?」

「嫌?」


 断らないことは分かっている。分かっていて提案している。

 そんなことも気付かず、流境の少女は不思議そうにしている。


「私って外、出ていいの?」

「さあ?」

「?」

「少しだけならいいんじゃない? まあ、僕が出かけたいってだけだから、嫌ならいいよ」

「嫌なわけないよ!!」


 大声を出してすぐ、ハッと我に返ったように口を噤むと、少女は恥じ入るように俯いてしまった。


「大きな声だしてごめん」

「いや、いいよ。じゃあ明日でいい?」

「あ、明日? 急だね」

「あんたはいつ帰るかも分からないだろ」


 そっか、と納得したように笑う。

……帰れないのでなく、こちらが敢えて、()()()()()()のだと、疑ったことくらいあるだろうに。

 それも忘れているのか、それとも、それほどまでに、目の前の『遠弥』という男を信用しているのか。


「私はもちろんいつでも大丈夫だけど、遠弥、お仕事は?」

「休み」

「珍しいね」


 たまにはね。

 そう言って笑いかけると、嬉しそうな笑顔が返ってくる。

 なんとなくじっと見つめると、なぜか思い切り顔を逸らされて少し腹が立ったので、しばらく追いかけ回して遊んだ。

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