『根付』
颯はなんとなく、赤色の鞠の根付をつまんで眺めた。眼の前で小さく揺れているそれは、どことなく心もとない。
同居している流境の少女が、最近よくしている仕草だ。彼女は青色のそれを気に入り、肌身放さず大切にしている。
なんとなくそれを思い出して、真似をした。
この先に嫌なことが待ち構えているから、少し気晴らしになればいいと思った。
それだけだ。
「颯! ああ、遠弥の方がいいかしら?」
通された中庭には更沙がいた。彼女のいたずらっぽい笑顔から、颯は視線を逸らす。
「どちらでも。手紙を持ってきただけです。さっき出迎えの者に渡しちゃいましたけど」
「まあ、貴方から? 珍しいこと」
「いえ。王――貴方の母親からです」
「えっ」
更沙は目を丸くすると、何も言うことなく、颯を置き去りにして駆けていってしまった。
残された颯は一人することもなく、中庭を眺めた。更沙の好みから、樹木は少ない。その分、花に力が入れられ整えられている。花壇には颯が名も知らない、多種多様の季節の花が咲いている。よく手入れされていて綺麗だ。吹き込むそよ風からも、どことなく良い香りがする。
木々が雑然と植生しているいるばかりの、我が家の周囲とはまるで違う。当たり前だが。
やがて戻ってきた更沙は、溜息がてら颯に尋ねる。
「ねえ颯、これだけ? 他にはなかったの?」
「何もありませんでしたよ」
首を振って答えると、「そう、」と零し落ち込んだ顔をする。
それでも、ほとんど何も書かれていないだろう手紙を、更沙は大切に、大切に両腕に抱きしめている。
彼女は親からの愛情を、何よりも求めている。あの人でなしの上司から、微かでもいいから何かを受け取りたいと懇願している。幼い頃からずっとそうだった。
「……あら、颯、その根付はどうしたの?」
帯に引っ掛けてあった鞠の根付を指し、更沙は首をかしげる。同僚なんて気付いていないのか誰も言及してこなかったのに、と思った。
「ええと、使用人の貰い物を、分けてもらったんです。あいつ、僕が赤色が好きだと聞いて、自分は青色を選んだんですよ。損な性分ですよね」
更沙は、目を伏せ、
「そう、」
とだけ俯きがちに呟いた。
颯はそれを、興味がないのだと受け取り、自分にしてはまあまあ真面目に答えたのになんか損したな、と思った。
――更沙とそんな話をした後日、気づけば颯は、赤色の鞠の根付を紛失していた。
「遠弥、あの根付はどうしたの? いつも帯につけてたよね」
「無くした」
この流境の少女のように丁寧に扱っていたわけではないが、頂き物であるため、無くすような扱いもしていなかったはずだ……と、自分では思うが、無くしたものは無くしたのでしょうがない。
流境の少女は目を丸くしていた。
「家の中、探す?」
「いや、確実に外だと思うからいいよ。また探すから」
「そっか……」
分かりやすく落ち込んでいた。他人の所有物に、よくそこまで心寄せられるものだ。
「なんであんたがそんなに落ち込むんだよ」
「だって、折角、要さんが二つくれたのに……」
「謝っとくよ」
会う機会は滅多にないと思うが、と内心呟く。
見ると、流境の少女はまた、青い鞠の根付を眺めている。颯はなんとなく、その光景から目を逸らした。
「ええと、使用人の貰い物を、分けてもらったんです。あいつ、僕が赤色が好きだと聞いて、自分は青色を選んだんですよ。損な性分ですよね」
数日前のことだった。その時、それを聞いて更沙の脳裏によぎったのは、あーあ、という、それだけの言葉だった。
嬉しそうな颯、楽しそうな颯。
自分の前ではついぞ見せたことのない、柔らかな表情。
「そう、」
とだけ答えて目を伏せる。瞬きはしない。泣くかもしれないから。
だから颯が帰るとき、手下を呼びつけて、その赤い鞠の根付を盗ませることにした。
そして、それはあっさりと更沙に献上された。
彼は大雑把なところがあるから、管理も杜撰だろうとは思ったが、注意深くはある。そのため、こんなにもあっさりと盗まれて、更沙の元にやってくるとは思わなかった。思わなかったのだ。
なのに、赤い鞠の根付は、今、更沙の書机の上に転がっている。
本当は、ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに、壊してやろうと思ったのだ。
「こちら、どういたしましょう」
「壊して、捨てて!」
「分かりました」
恐らく黄楊の、ずいぶんと良い物ではあるが、結局はただの木製である。破壊するのなんて簡単だろう。
そして手下がそれを持って席を外そうとした瞬間、更沙の脳裏に、あの顔をした颯がよぎってしまったのだ。
無自覚に上機嫌で、幸せそうで、穏やかな、幼馴染のあの顔――
「やっぱりやめて!!」
更沙は根付を取り返した。
そして、どうしたらいいのかも、自分がどうしたいのかも分からず、ただ書机に放置している。
更沙はなんとはなしに、それを指先でつついた。球体がころん、と転がる。
「……」
卓上の鏡に、更沙が映っている。更沙はそれを見て笑うように顔を歪めた。
「醜い顔」
美貌しか取り柄がないとよく言われた。母親であるこの国の王から。
語学を学んでも言語は二つしか話せるようにならなかった。読み書きはできるようになったが、言葉を生み出すのは苦手。経済の論文を書かされたが、訳が分からないと酷評された。音楽は、楽器は引けるが、その音の良し悪しが分からない。
――私は空っぽだ。
そして恵まれた環境のなか、言い訳できない状況に置かれているからこそ、理解している。
――私は無能だ。
更沙の長所はこの顔だけだ。いずれ老けて、消えゆくだけのもの。
親に愛されないのも当然だ。だって更沙も、更沙自身をちっとも愛せるとは思えない。
「馬鹿な女……」
更沙は机に突っ伏し、そしてしばらく、声を殺して涙を流し続けた。
自分なんかのところに、慰めが来ないのは分かっていた。だから独りで泣くしかなかった。




