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遠くに在りて弥栄を  作者: ばち公
3章 天女
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『根付』

 颯はなんとなく、赤色の鞠の根付をつまんで眺めた。眼の前で小さく揺れているそれは、どことなく心もとない。

 同居している流境の少女が、最近よくしている仕草だ。彼女は青色のそれを気に入り、肌身放さず大切にしている。

 なんとなくそれを思い出して、真似をした。

 この先に嫌なことが待ち構えているから、少し気晴らしになればいいと思った。

 それだけだ。


「颯! ああ、遠弥の方がいいかしら?」


 通された中庭には更沙がいた。彼女のいたずらっぽい笑顔から、颯は視線を逸らす。


「どちらでも。手紙を持ってきただけです。さっき出迎えの者に渡しちゃいましたけど」

「まあ、貴方から? 珍しいこと」

「いえ。王――貴方の母親からです」

「えっ」


 更沙は目を丸くすると、何も言うことなく、颯を置き去りにして駆けていってしまった。

 残された颯は一人することもなく、中庭を眺めた。更沙の好みから、樹木は少ない。その分、花に力が入れられ整えられている。花壇には颯が名も知らない、多種多様の季節の花が咲いている。よく手入れされていて綺麗だ。吹き込むそよ風からも、どことなく良い香りがする。

 木々が雑然と植生しているいるばかりの、我が家の周囲とはまるで違う。当たり前だが。

 やがて戻ってきた更沙は、溜息がてら颯に尋ねる。


「ねえ颯、これだけ? 他にはなかったの?」

「何もありませんでしたよ」


 首を振って答えると、「そう、」と零し落ち込んだ顔をする。

 それでも、ほとんど何も書かれていないだろう手紙を、更沙は大切に、大切に両腕に抱きしめている。

 彼女は親からの愛情を、何よりも求めている。あの人でなしの上司から、微かでもいいから何かを受け取りたいと懇願している。幼い頃からずっとそうだった。


「……あら、颯、その根付はどうしたの?」


 帯に引っ掛けてあった鞠の根付を指し、更沙は首をかしげる。同僚なんて気付いていないのか誰も言及してこなかったのに、と思った。


「ええと、使用人の貰い物を、分けてもらったんです。あいつ、僕が赤色が好きだと聞いて、自分は青色を選んだんですよ。損な性分ですよね」


 更沙は、目を伏せ、


「そう、」


 とだけ俯きがちに呟いた。

 颯はそれを、興味がないのだと受け取り、自分にしてはまあまあ真面目に答えたのになんか損したな、と思った。


――更沙とそんな話をした後日、気づけば颯は、赤色の鞠の根付を紛失していた。


「遠弥、あの根付はどうしたの? いつも帯につけてたよね」

「無くした」


 この流境の少女のように丁寧に扱っていたわけではないが、頂き物であるため、無くすような扱いもしていなかったはずだ……と、自分では思うが、無くしたものは無くしたのでしょうがない。

 流境の少女は目を丸くしていた。


「家の中、探す?」

「いや、確実に外だと思うからいいよ。また探すから」

「そっか……」


 分かりやすく落ち込んでいた。他人の所有物に、よくそこまで心寄せられるものだ。


「なんであんたがそんなに落ち込むんだよ」

「だって、折角、要さんが二つくれたのに……」

「謝っとくよ」


 会う機会は滅多にないと思うが、と内心呟く。

 見ると、流境の少女はまた、青い鞠の根付を眺めている。颯はなんとなく、その光景から目を逸らした。




「ええと、使用人の貰い物を、分けてもらったんです。あいつ、僕が赤色が好きだと聞いて、自分は青色を選んだんですよ。損な性分ですよね」


 数日前のことだった。その時、それを聞いて更沙の脳裏によぎったのは、あーあ、という、それだけの言葉だった。

 嬉しそうな颯、楽しそうな颯。

 自分の前ではついぞ見せたことのない、柔らかな表情。


「そう、」


 とだけ答えて目を伏せる。瞬きはしない。泣くかもしれないから。

 だから颯が帰るとき、手下を呼びつけて、その赤い鞠の根付を盗ませることにした。

 そして、それはあっさりと更沙に献上された。

 彼は大雑把なところがあるから、管理も杜撰だろうとは思ったが、注意深くはある。そのため、こんなにもあっさりと盗まれて、更沙の元にやってくるとは思わなかった。思わなかったのだ。

 なのに、赤い鞠の根付は、今、更沙の書机の上に転がっている。

 本当は、ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに、壊してやろうと思ったのだ。


「こちら、どういたしましょう」

「壊して、捨てて!」

「分かりました」


 恐らく黄楊(つげ)の、ずいぶんと良い物ではあるが、結局はただの木製である。破壊するのなんて簡単だろう。

 そして手下がそれを持って席を外そうとした瞬間、更沙の脳裏に、あの顔をした颯がよぎってしまったのだ。

 無自覚に上機嫌で、幸せそうで、穏やかな、幼馴染のあの顔――


「やっぱりやめて!!」


 更沙は根付を取り返した。

 そして、どうしたらいいのかも、自分がどうしたいのかも分からず、ただ書机に放置している。

 更沙はなんとはなしに、それを指先でつついた。球体がころん、と転がる。


「……」


 卓上の鏡に、更沙が映っている。更沙はそれを見て笑うように顔を歪めた。


「醜い顔」


 美貌しか取り柄がないとよく言われた。母親であるこの国の王から。

 語学を学んでも言語は二つしか話せるようにならなかった。読み書きはできるようになったが、言葉を生み出すのは苦手。経済の論文を書かされたが、訳が分からないと酷評された。音楽は、楽器は引けるが、その音の良し悪しが分からない。

――私は空っぽだ。

 そして恵まれた環境のなか、言い訳できない状況に置かれているからこそ、理解している。

――私は無能だ。

 更沙の長所はこの顔だけだ。いずれ老けて、消えゆくだけのもの。

 親に愛されないのも当然だ。だって更沙も、更沙自身をちっとも愛せるとは思えない。


「馬鹿な女……」


 更沙は机に突っ伏し、そしてしばらく、声を殺して涙を流し続けた。

 自分なんかのところに、慰めが来ないのは分かっていた。だから独りで泣くしかなかった。

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