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遠くに在りて弥栄を  作者: ばち公
3章 天女
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行場

 要さんが来てくれた。毎日の見回りに来てくれるのにももう慣れたものだ。私達は世間話をするため、並んで木陰に座る。


「あの、以前いただいた鞠の根付、ありがとうございます。何かお礼をしたいのですが……」

「いえ、勝手にしたことなので。事前に連絡もせず、土産を言い訳に訪ねただけです」

「そんな。私、本当に嬉しかったんです。この世界で、こういう、形の残るものをいただいたのは初めてたっだので」


 受け取ったときは驚きが勝っていたけれど、時間が経てば経つほどそれは私に馴染んで、じわじわと嬉しくなった。

 なんだか、この世界にいていいんだよ、と言われた気がして。もちろん私の思い込み、あるいは気のせいだろうけど、でも、本当に嬉しかった。


「でも私、何もなくて、その……庭掃除とかしましょうか!?」


 要さんは目を丸くして、それから、お腹を抑えて大声で笑い始めた。爆笑というやつだ。美形は爆笑してても絵になる。

 目に涙が浮かんだころ、要さんはやっと笑い終わって、それから、


「うちにも使用人がいますので、大丈夫ですよ」


 と言った。

 私は急に、浅慮な自分が恥ずかしくなった。お礼どころか寧ろ、とても失礼なことを口走ってしまったのかもしれない。慌てて謝ると、


「いいえ。寧ろ、久しぶりにこんなにも笑わせていただいて、お礼を言うのはこちらの方でしょう。掃除をお礼にしようというのは……ふふ、初めて聞きました」

「きょ、恐縮です……」


 要さんはまた少し笑った。私が悪いのだけど、でも、さすがにちょっと笑い過ぎだと思う。

 不服に黙っていると、冷たい風が吹いて、地面のわずかな木の葉を攫った。近頃、めっきり寒くなった。冬の深まりと、この世界にいる時間の長さを感じる。

 乱れた前髪を少し直すと、要さんも同じことをしていて、二人で顔を見合わせて少し笑った。


「そういえば、彼とは、仲良くなれましたか」

「……そうですね。たぶん、少しだけ、ですけど」

「彼はあなたのことを、大切に想っていると思いますよ」

「あはは……ありがとうございます」


 お世辞でも嬉しい。遠弥への恋心に気付いた今だからなおさらに。

 遠弥とは、初対面のときよりは、気安くなったと思う。だけど比較対象が一修さんと更沙さんだとすると、私はどうしても、仲良くなったとは言い切れない気がした。

 それに、


「今は、仲良くなるのもいいですが、少しでいいから、もっと遠弥に信用してもらいたいです」


――誰も信用できないという遠弥の言葉を、なんとかして、否定したいと、以前思ったことがある。私はそれを諦めていなかった。もし私が遠弥に信用してもらえたら、少しでもそれに繋がるんじゃないかと思った。


「信用?」

「はい。……その、私にとっては、とても大事なことなんです」


 要さんは、あまりに話しやすくて、言うつもりのなかったことも、言葉にしてしまう。不思議だ。なぜだろう。少し、話しやすすぎるくらいだと思う。これが、彼の人柄だろうか。


「その気持ちは、彼には伝えないのですが」

「つ、たえる勇気がありません」

「勇気……後押しが足りないということですか?」

「後押しというか、私の中に、そうする力がないというか……」

「どうして?」

「だって……私、遠弥に嫌われたくない。距離を取られたくない。……一緒に居づらくなりたくない……」


 臆病で逃げ腰な本音を口にする。

 要さんはちょっと考えるように首を傾げてから、にこっとした。


「もし彼の所に居られなくなったら、私の家に来るといいですよ。使用人も皆、気の良い人ばかりです。きっと気に入りますよ。……どうです、少しは気が楽になりましたか?」

「あ、そ、そういうことですか。ありがとうございます……」


 気の遣い方が、なんというか、大胆だ。これが、貴族の人の考え方なのだろうか。


「あ、いえ、勘違いしないでください。家に来ていいというのは、冗談ではありませんよ。だって辛い思いをしてまで、ここに拘る必要はないでしょう。もちろん私の家に馴染めなければ、他の、住み込めるお仕事を探させていただきますから、安心してください」


 要さんはにこにこしている。

 私はそのとき初めて、確かに、遠弥の家から出ていこうと思えば出ていけるのかもしれない、と思った。そして、そんなことを考えたこともなかった自分に、驚いた。

 だってそれはきっと、今までの、遠弥の思いやりのお陰だ。

 私が遠弥との同居生活に不満を持たなかったのも、この生活を当たり前みたいに享受してきたのも、全部、遠弥がよくしてくれていたお陰だ。

 最初の頃、「何があっても、彼が、私をこの家から追い出すことはないだろう」と思ったことを思い出す。善意故でなく、ただそれが彼の仕事だから、と。

 でも、全てが仕事のためだったとしても、私が彼の行動から、彼なりの思いやりを感じているのは、疑いようのない事実だ。


「どうかしましたか?」

「いえ。……要さん、ありがとうございます。私、遠弥に色々と、話してみます」

「その意気です。もし駄目でも、家の門は開けておきますからね。自由に来てください」

「ふふ、ありがとうございます。心強いです。本当に」


 励ましの言葉が嬉しくて笑うと、要さんも笑ってくれた。

 信頼できる人というのは、こういう人のことを指すのだろうと思った。




「遠弥、おかえりなさい!」

「ただいま。……なんか機嫌いいね。なんかあった?」

「要さんが来てくれて、お話ししたの」

「へえ。彼、また来たんだ」


 遠弥は興味なさそうだった。

 でも今日の私はこれくらいで挫けない。


「少しの時間だけど、色々お話しできたよ」

「どんな話?」

「家の門は開けておくから、いつでも来てください、みたいなことを言ってくれてね、良い人だなーって思った」

「はあ。まあ、あの人の家に遊びに行きたいなら、連れていってあげてもいいけど……」

「そうじゃなくて、ええと、引っ越し? みたいな」

「ふーん、ひっこ……、引っ越し!?」


 はあ!? と珍しく大声を上げて遠弥が振り返ってきた。

 なんか勘違いされてる。


「ちが、引っ越しじゃなくて、ええと……万が一この生活に何かあればの話で、」

「何かって何。何があるんだよ」

「何もないよ。遠弥はすごく良くしてくれてるし」

「はあ。じゃあ、どういう話の流れでそんな……訳のわからない話題になったんだ?」

「遠弥の話をしてて……?」


 遠弥は少し黙った。


「……あんた、僕の話以外することないわけ?」

「ないかも」

「そう」


 遠弥は、長く深い溜息をついた。怒ったのだろうか。

 でも遠弥の話以外話題がないのは事実だし……。


「あの、」

「謝らなくて良い。前にも言っただろ。別にいいって」


 よく私が謝ろうとしたって分かったなあ。さすが目敏い。


「それで、僕の……話をして、どういう流れでそんな話になったんだ?」

「私が遠弥の怒るようなことをして、ここに居られなくなったら、要さんのところに行っていいって」

「いや、あんたを此処に住まわせるのが僕の仕事なんだけど……。そもそも怒るようなことってなに?」

「……」

「なんで黙るんだよ、怖いだろ」

「……わ、わたし、」

「うん。なに?」


 緊張で、口の中がからからに乾いている。

 うるさい心臓を落ち着かせるため、小さく深呼吸した。


「と、遠弥に私のこと、ちょっとでもいいから、信用してほしい……」


 い、言えた! ありがとう要さん!! また報告しますね!!

――と、私はこんなにもやりきった気持ちなのに、肝心の遠弥にはなんというか、全然、響いていなかった。


「はあ。別にあんたのことはもう疑ってないつもりだけど」

「そ、そうだよね! そうだよね……」


 私は溜息を飲み込んだ。そして、そこでふと思った。

 そもそも、遠弥に信用してほしいって伝えて。それで手に入るような信用って、本当に私が求めているようなものなんだろうか?

 私が今、遠弥を信用しているのは、彼に信用してほしいって言われたから信用したんじゃなくて、日々の生活の積み重ねのなか、それがじわじわと生まれていったからで。

 私も同じように、私自身の日々の積み重ねが、遠弥に届くことを祈るしかないんじゃないだろうか。


「というか、どうせあんたはそのうち帰れるんだから、引っ越しだのなんだの気にする必要ないだろ」

「うん、まあ、確かにそうだよね」

「……それに。もし、万が一帰れなければ、ずっと此処に居ればいい」


 ずっと? 驚いて顔を上げると、遠弥は逆に視線を逸らしてしまった。

……遠弥のその、優しい気持ちはありがたい。

 でもずっと此処に居たって、遠弥がずっと一緒にいてくれるわけではない。遠弥はなんだかんだ言って貴族だから、いずれ結婚してお婿さんになってこの家を出ていくだろう。そうなったら私は、こんな町外れで一人で生きていける気がしない。(そもそも私、この世界だとなんの経歴もない天涯孤独の無職だし。)

 ええと、と前置きしてから、


「その時はちゃんと住み込みのお仕事を探すよ」


 と伝えた。遠弥は無言だった。

 その時は可能であれば、遠弥にも仕事探しを手伝ってもらえると嬉しいし、とても助かるけど、いやでもその時は遠弥、誰かと結婚してるのか……。しょうがないとはいえさすがに嫌すぎる。考えたくない。無理!!!

……だけど、いやだからこそ、今だけでいいから、一緒にいたい。


「……でも、あの、いつか帰るまでは、此処にいたいな。その、遠弥がよければ、だけど」

「当たり前だろ。それが僕の仕事なんだから」


 言って、遠弥は優しい顔で笑った。直後に変な顔をされた。穏やかな雰囲気の遠弥に、普通に見惚れてぼんやりしてしまったので。

 そして、もし、いつか私の世話が遠弥の仕事じゃなくなって、此処を出なければならない時がきても、優しい彼なら悪いようにはしないだろう、と思った。

 初対面のときからは考えられないくらい、気づけばこんなにも信用している。

 もちろん、家に帰りたい気持ちに変わりはないが、以前のように毎秒帰りたいと頭の中で唱えるようなことはなくなった。

 全部、遠弥のお陰だな、と改めて実感する。帰る前に、何か恩返しができたらいいんだけど。

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