同居
それから、遠弥さんの家までついていった。何処に行くのか不安になるくらい、ずいぶんと人里離れたところにあった。
家の周りには、井戸と、水を汲むポンプの他には、広葉樹が生えているだけで、それ以外には何もなかった。冬だから落ち葉がたくさん散っていて、踏むとかさかさ音を立てた。
ここでこれから暮らすのか、とぼんやり思った。しかも、初対面の男性と。……なぜか、まだあまり、現実味がない。
遠弥さんは家の戸を開けて、私を招き入れたところで、
「少し待ってて」
と、言い残して、どこかに行ってしまった。
勝手に室内に入っていいのかわからず、玄関で座って待った。不安だった。捨てられたのかと思った。家にいるのだから、そんなことあるわけないと頭では分かっているものの、心はずっと不安だった。
だから遠弥さんが帰ってきてくれたときは、本当に安心した。
「ずっとここにいたの?」
「あ、はい……」
「律儀だね」
そう言いながら、柔らかい布をまとめて投げ渡された。落としそうになりながら慌てて受け取る。
「着替え。小さかったら教えて。あがっていいよ」
「お邪魔します……」
遠弥さんは一人暮らしとのことだった。平屋で、部屋は多いけど、なんというか、がらんとしている。物が少ないから、そういう印象を受けるのだろうか。
本当に、静かだった。
「着替えておいで。玄関に近いそこがあんたの部屋ね。なんか置いてあるかもしれないけど、後で片付けるから。そういえば、嫌いな食べ物ある?」
「な、ないです!」
「分かった」
部屋の中は空っぽだった。なんか置いてあるかも、と聞いて物置かと思ったのだが、不安になるくらい何もなかった。
広々としたそこで着替えを広げてみると、着物だった。それに付随する帯、紐、その他諸々……。
着物は花柄でとてもかわいらしかったが、私には着替え方が分からない。着付けを習っておけばよかったかも、と思う。見様見真似で着ようとしてみたが、結局あきらめた。
私はおずおずと部屋から顔を出した。近くに遠弥さんがいて、待っていてくれたのかと申し訳なくなった。
「あの、遠弥、さん。服の着方がわからなくて……」
「……違うの持ってくるよ。待ってて」
「あ、ご、ごめんなさい」
「別にいいよ。不便があるなら言ってくれたらいい。これが僕の仕事なんだから」
黙って頷くと、遠弥さんはさっさと家を出ていった。
部屋に戻り、座ってじっと寒さに耐えていると、なんだか泣きたくなった。こんなに親切にしてもらえているのに、なぜだろう。
何もわからない、何もできない自分が情けない。恥ずかしい。いたたまれない。寂しい。つらい。孤独だ。
「帰りたい……」
無性に家族に会いたくなった。朝、喧嘩したくせに、現金だと思った。
耐えたけど結局涙がこぼれ落ちて、そのまま少し泣いた。
泣いて、泣き止んだころ、遠弥さんが帰って来た。さっきよりずっと大荷物だった。
「女性用の作務衣だけど、こっちの方が着やすいと思う」
「ありがとうございます」
泣いていたことは気付かれているかもしれないが、遠弥さんは触れないでいてくれた。ありがたかった。
作務衣は、紐を結ぶだけで良かったので着やすかった。裾のすぼまった丈の長いズボンを履いて、用意されていた半纏も羽織った。あったかい。なんというか、少し昔の服装という感じである。
着ていた服は、畳んでおいた。部屋の隅に置いておいたけど、いつまたこれを着る機会がくるのかと思うと、また落ち込みそうになる。
「……よし!」
控えめに頬を叩いて、気合をいれる。
部屋から出ると、遠弥さんがいて、食事の準備ができたと言われた。おにぎりとお惣菜を買ってきたとのことだった。
ちゃぶ台のある居間に移動し、遠弥さんの真向かいに座って、食事をしながら彼の説明を聞いた。彼の説明は、冷たいくらいに端的だった。
「あんたには基本的に、この家で僕と生活してもらう。半ば幽閉……軟禁に近いけど、そこまで厳しくするつもりはない。普通に生活してもらったらいいよ。遠くに行かなければ、外に出るのも禁止しない」
「わ、分かりました」
「知らない男と生活するなんて嫌かもしれないけど、でも、ここで生活して時間を潰していれば、いずれは問題なく帰ることができるから、そこは安心してくれていい」
――つまり、ここで、日常生活を過ごすだけで、帰れる。
私はその説明を改めてされたことに、本当に安心した。いずれ帰れるなら、多少の不便も不都合も我慢できる気がした。
それに、怖いのも悲しいのも、我慢できる。たぶん。
「ありがとうございます。迷惑をかけないようにしますし、何でもします」
私は頭を下げた。顔を上げると、遠弥さんはこっちを見ていなかった。ご飯だけぱくぱく食べ進めている。よく食べる人だ。
「さっきから言おうと思ってたけど、敬語じゃなくていいよ。流境のあんたは僕の部下でもなんでもないし、身分も関係ないんだから」
「はい、じゃなくて、うん。ありがとうございます! 遠弥さん!」
「さんも敬語もいらない。遠弥でいいよ」
「は……うん!」
力強く頷いた。でも正直、遠弥さん――遠弥への呼び捨てもタメ口も、慣れる気はしなかった。なんというかこの人、年下らしいけど、ちょっと冷ややかだし、なんというか、迫力がある。背が高いからだろうか。分からないが、あまり気楽に、友達口調で話しかけていい雰囲気をしていない。
私はそっと手を合わせて、小さくごちそうさまをした。いただいたおにぎりもお惣菜も美味しかった。
食後、片付けでもなんでもいいから、早速何かお手伝いをしようとした。
が、しかし、何もできない。
手伝おうという気持ちはあった。しかし、そもそも何をしたらいいか分からない。どこに何があるのかも分からない。そのため、説明が必要になる。つまり、それだけで遠弥の手間が倍以上になってしまう。
遠弥はあっさりしていた。
「僕がやるからいいよ」
手慣れている。
「しかしあんた、こんなことも出来ないなんて、よほど甘やかされて育ったんだね」
素直に落ち込んだ。彼の言葉もそうだが、自分の役立たずっぷりが辛かった。これじゃ本当に、ただの居候の足手まといだ。
少し前に感じた、捨てられる、という恐怖心が蘇ってきて、ぞっとした。
「ちゃ、ちゃんと出来るように頑張るから!」
「は? 別に頑張らなくてもいいよ。何もしなくたって、追い出したりなんかしない。あんたを此処に住まわせるのが、僕の仕事なんだから」
その言葉に安心しかけて、慌てて心の中で首を振った。
捨てられないにせよ、足手まといの役立たずであることに変わりはない。
「住まわせてもらうから、出来ることがしたいの! 遠弥さ……遠弥に!」
「はあ」
「た、確かに私みたいなやつ、信用できないかもしれないけど、でも、その、……」
「あんたに限らず、僕は誰も信じてないよ。だから気にしなくていい」
さらりと述べられた言葉に、私はショックを受けた。誰も信じていないという言葉の強さに。
それに、他人からこうも明確に拒絶されたのは、初めてだった。
「……なんで、」
「さあね。家事なんて今までやっていたことが、二人分になるだけだし、大したこともない」
「わ、私も手伝う!」
「はあ。まあ、そんなに手伝いたいなら、別にいいけどさあ……」
めちゃくちゃにはしないでね。片付けが面倒だから。と言われ、大きく頷く。
めんどうだなあ、と言いたげな遠弥の様子を見ながら、頑張って家のことを覚えることにした。