祭後
「おーい! お邪魔しま、……二人とも、そんな所で何してるんだ?」
大きな声とともに戸をがらりと開けたのは一修さんだった。廊下で佇んで話していたわたし達を、不思議そうに見ている。
「別に。少し話していただけだよ。更沙は大人しく帰った?」
「お前が付いてこないから煩くて面倒くさかったけど、護衛に引き渡したから大丈夫だろ」
「気を利かせて二人にしてやったのに……」
一修さんは、更沙さんを家まで送り届けた帰りに寄ってくれたらしい。
更沙さんは、遠弥と帰りたかったんだろうな、と私は思ったし、たぶん一修さんもそれに気付いている。気付いていないのは遠弥だけだ。目ざといくせに、相変わらずこういうところは鈍いらしい。
三人で居間に移動すると、遠弥が思い出したように手にしていた包みを渡してくれた。
「これ、お土産」
「買ってきてくれると思った」
「更沙と一修に言われたんだよ」
「めちゃくちゃ美味いぞ、その蜜柑。まあ気が向いたら食べてくれ」
「ありがとうございます」
風呂敷で包まれた蜜柑を受け取る。ずっしりと重みがある。嬉しい。
そういえば、と思い出して、私も懐にしまっていた鞠の根付を取り出した。怪訝な顔をしている遠弥に、要さんからいただいたことを説明する。
「は!? 怖……変な物は受け取るなって、伝えたと思うんだけど?」
「お土産だし、遠弥の分もあるからいいかなと思って……」
「すげえ。貴族の男過ぎる」
感動している一修さん曰く、「気回し、手回し、根回し」が、この世界の貴族の男性の本領らしい。そうやって自分の立場を確保していくのだとか。
「俺は苦手。お前は?」
「普通。だからって選ばれるわけでもないが」
「え!!?」
恥ずかしいことに、びっくりして思いの外大きな声が出てしまった。遠弥が選ばれないわけがないと思った。咄嗟に。
だって優しくて、親切で、優秀で、仕事熱心で。いいところなんていくつでもあるのに。
見る目がないのかこの世界の人たちって……。
驚いたのは遠弥も同じようだった。まるで文化が違う人間を見ているかのような目で見られている。確かに文化は違うかもしれないけど、そういう問題じゃない。
「いや、落ちぶれかけの貴族の男で、顔が整ってるわけでもないし……」
と、なぜか遠弥自身に説明され、理解はする。が、でも、と自分の中で反論が止まらない。遠弥はすらっとしていてスタイルもいいし、しゅっとした三白眼だってかっこいいし、冷静さが顔に出ていて素敵だし……。
私が無言のまま納得してないのが伝わったのか、何故か遠弥の説明は続く。
「こっちでは、顔が整っているって言うのは、あの……たまに来る、と言うか今日も来てた、彼のような顔立ちを指すんだけど」
「私の世界でもそうだよ。綺麗だよね。しかも穏やかで、すごく優しい」
「……そうだね。おまけに僕は優しくない」
さすがにそれには、反論せざるを得ない。
「優しいし、親切だよ」
小声だけど、二人にはちゃんと届いたらしい。
「「は!?」」
めちゃくちゃ息ぴったりに驚かれた。なんだこいつら。
遠弥が呆れたような顔をした。
「僕がいつあんたに優しくした?」
「いつも説明が丁寧で、」
「仕事だからね」
「おやつをくれるし、」
「子どもか? 借りを返しただけだよ」
「帰れるって言ってくれる」
「事実だからね」
「お茶、淹れてくれた」
「溢されたくなかっただけ」
「……慰めてくれた」
「だから言ってるだろ。それが仕事だって」
全部に坦々と反論されたが、私だってこれだけは譲れなかった。絶対に。いくら相手が遠弥本人であろうとも、これだけは譲りたくなかった。
「まあまあ」
するりと、一修さんが間に入る。
「泣きそうだろ」
まさか、こんなにも平然としている遠弥が? と一瞬思ったが、ふと気づくと、泣きそうなのは私だった。気付かないうちに、そこまで必死になっていたらしい。急に恥ずかしくなって、居た堪れなくて、俯いた。
あ、と一修さんが明るい声を上げた。
「そうだ。俺、そろそろ帰らないと。急に邪魔して悪かったよ」
「……途中まで送ってくよ」
二人が立ち上がる。私も玄関まで出て、見送った。
見送って、独りになってから溜息をついた。遠弥のように冷静でいられない、自分の幼さが恥ずかしかった。しかもお客さんの前で。そして最後まで一修さんに気を遣わせてしまった。
「私って、情けないなあ……」
一修は、遠弥(と名乗っている颯という名の同僚)の家を離れてしばらくしてから、隣を歩く青年の顔色をうかがった。彼はいつもどおり冷静そのものといった表情だった。少しの動揺もうかがえない。
「……お前、櫛ぐらい買ってやればよかったんじゃないか」
「何の話?」
「おい、気付いてないフリすんな」
以前、彼が女物の飾りを一瞬だが眺めていたことがあった。一修の予想では、恐らく、あの流境の女性のためだろう。何か買おうとしていたのか、ただ視線が向かっただけなのかは分からないが、そうやって仕草に出てしまう程度には、彼も、彼女から影響を受けている。
比較的親しくしているだろう同僚の自分から見ても、いつも冷静な、と言うより寧ろ冷ややかですらある青年なので、それは非常に珍しいことだった。
「よく分からんが、流境ってことは、そのうち帰っちまうんだろ。その前にその、伝えたいことは伝えた方がいいんじゃないか」
「何を勘違いしてるか知らないけど。好きじゃないよ。ただの、いずれ消える、異世界の女だ」
「……いや、俺は恩を返すなら、今しかない、と言いたかったんだが」
ほら。さっき、借りがどうとか言ってたから。
そんな一修の言葉が聞こえているのかいないのか。珍しく、うっかりと、大きな墓穴を掘ってしまった青年は、口元を引き結んで黙っていた。
はあ、と一修は大きなため息をついて、頭を掻いた。
「本気なら別に止めないが……本気なのか? お前が? 流境を?」
「違う。勘違いだから。全然違う」
でもそれが勘違いだとしても、勘違いしてしまうほどの、それらしい何かが確かに存在するってことだよな、と一修は思ったが、言及しなかった。この青年にはいつも世話にはなっているが、それでもただの同僚だ。そこまで世話を焼くつもりもない。
「ええと……、要殿はよく此処に来るのか?」
「らしいね。僕は会ってないから知らないけど。彼女とはよく話しているらしいよ」
「……それ、見初められてるんじゃないか? 大丈夫か?」
「は? あるわけないだろ」
睨まれながら、一修は唸った。
「いやほらだって、運命とかあるだろ」
「あるわけない。あの子は流境だぞ」
「流境相手だと運命ってないのか?」
「知らない、けど」
ないだろ、たぶん。
ひどく曖昧な否定をして、遠弥は黙ってしまった。論理的な青年が根拠なく曖昧に否定するのは、少し、というよりかなり珍しい光景だった。
一修はこれ以上言及するのも悪い気がして、ちょっと黙った。
そんな一修をじろりと見てから、遠弥は溜息を吐いた。
「運命でもなんでもいいけど。……あの子はいずれ必ず、家族の元に帰るんだ。その邪魔だけは、絶対にさせない」
「へえ」
「なに」
「お前が流境とうまくやっていけるのか、なんて思ってたが、まさかなあ」
「……仕事だからね」
これはこの事務的な同僚の常套句である。彼なりの線引でもあるのだろう。
難儀なことだなあ、と一修は溜息を飲み込んだ。