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遠くに在りて弥栄を  作者: ばち公
3章 天女
16/24

満月

 深夜、なんとなく目が覚めた。こういう時は、だいたいまた眠ろうとしたら寝付けるため、今夜もそうしようと目を瞑った。が、なかなか睡魔はやってこなかった。

 諦めて、あったかい布団から抜け出す。気分を変えるため、冷たい水でも飲もうかと思った。半纏を着込んで部屋から抜け出し、できるだけ足音を立てないよう、歩く。ちょっとした非日常感に、少しだけわくわくした。


「……遠弥?」

「ん」


 縁側に面した窓ガラスの前に、月明かりに照らされた遠弥が座っていた。何か食べているらしい。


「あんたも起きてたんだ」


 おいで、と手招きされて、横に座る。


「何が、」


 と、言いかけたが、聞くまでもなかった。

 ガラス窓越しに見上げた夜空には、大きな満月が浮かんでいた。模様までくっきり見えるくらい、近くに感じる。冬だから、空気が澄んでいるのだろうか。はあ、と感嘆の溜息が零れる。どおりで、夜なのに妙に明るく感じたわけだ。


「すごいね」

「うん。食べる?」

「ありがとう」


 遠弥が昨日買ってきてくれた、乾燥させた杏子だった。更沙さんが帰った後、二人でほとんど食べてしまったが、そういえば、まだ少しだけ残っていた。

 柔らかい触感で、砂糖がまぶされていて、甘くて美味しい。


「やっぱり美味しいね」

「それならよかった。そういえばまだ説明してなかったから一応忠告しておくけど、あまり男から何かを受け取らない方がいいよ」

「どうして?」

「求愛って文化があるんだ。男が女に何かを贈る、恋愛の文化だね。昨日話していて、まだ説明してなかったと思ったから」


 プレゼントの、もっと意味を込めたものって感じだろうか。


「こんな感じで、単純に渡しただけって場合もあるけど、あんたじゃ文脈の判断が付かないだろうから」


 昨日、更沙さんが何か言いかけて、遠弥が強く否定していたのは、このことだったのだろうか。なんとなく、納得できた。


「昨日は、あの我儘姫がごめん」


 そうして更沙さんのことを謝っていると、幼馴染というか、なんとなく、


「……遠弥、なんだか保護者みたい」

「そんな穏やかな関係なら良かったんだけどね。変なこと言われなかった?」

「ううん、全然。お話できて楽しかったよ」

「それならいいけど。……本当に?」

「本当だけど……どうして?」

「あんたは本当に人がいいから」


 遠弥はたまに、私について、こういうことを言う。


「そんなことないよ。普通、普通」

「どうかな。なぜか僕に対しても最初から愛想が良かったし。なんで?」

「それは……遠弥がいい人だから、私もそういう風に接しているだけだよ」

「あんたはきっと、ひとの良い面をよく見てるんだろうね」

「悪い面ってあんまり見る必要ないよね」

「……どうかな」


 遠弥は納得していない様子だったが、私にとって遠弥は、色々とお世話になっているいい人だ。上司に命令され、異世界の人間といきなり同居することになって、遠弥の性格からたらたぶん嫌だろうに、あれこれ親切にしてくれている。

 遠弥との生活で、困ったことってほとんどない。お金も払っていないのに、衣食住完備。たまにおやつつき。私は暇だから小さいことを手伝っているけれど、本来なら家事も何もしなくていいと言ってくれている。お喋りにも付き合ってくれる。言う事無しだ。

 以上のことを私が力説すると、


「それが仕事だからだよ。あんたの生活費ももらってる。気にしなくていい」


 と難なく答える。恩に着せるようなことをしない。そういうところが、いい人だと思う。

 だって、仕事だからってここまでしてくれる人、いないんじゃないだろうか。

……基本的に真面目な人なんだろうな、と思う。


「いつもありがとう、遠弥」

「……変なやつに付け込まれないようにね」

「変なやつって……そもそもお客さん自体、滅多にこないでしょ」

「ほら、更沙とか」


 間髪を容れない応えに、私は思わず閉口した。


「……ええと。二人は幼馴染なんだよね?」

「ん。でもあいつには小さい頃、散々嫌な目に遭わされたから……あんたも気をつけなよ」


 言いながら、遠弥は嫌そうな顔をしていた。なんだか、前も同じようなことを言っていた気がする。

 確か、甘い香りに小さな植物が添えられた、きれいな手紙が届いたときだった。私が読まないのか尋ねたとき、


『それは……幼馴染からだから、まあいいや』

『いいの!?』

『昔散々嫌な目に遭わされたんだよ。どうせ大した用事でもないだろうし、後でいい』


 と、言っていた。あの手紙は、更沙さんからの手紙だったに違いない。

 そしてその『嫌な目』は、よっぽど遠弥の中に根深く残っているのだろう。私は何があったか尋ねてしまわないように、しっかりと口を閉じた。

……でも、更沙さんは遠弥のことを嫌いでないから、というより寧ろ好意的に思っているから、手紙を出したり、遊びに来たりするのだろうけど。だって彼女の身分であれば、嫌いな人にわざわざ会いに来る必要はないだろうから。

 遠弥は言い過ぎたと思ったのか、フォローするように続ける。


「あいつも、悪気はないんだろうけどね。今なら平気だろうけど、僕も昔は幼かったから」

「小さい頃の遠弥って、どんな感じだったの?」


 ぱっと軽い気持ちで尋ねてすぐ、あ、拒絶されるかな、と思った。前みたいに。

 しかし遠弥は、関係ないと突っぱねることはしなかった。代わりに、皮肉げな笑みを唇に浮かべた。


「この世で一番の馬鹿だったよ」

「……家族のために人質として働くことを選んだのだから、寧ろ立派に思えるけど」

「馬鹿もたまにはいい選択をするってだけだよ」


 私は、遠弥の過去のことをもっと知りたいと思っている。それが、「誰も信用できない」という遠弥の言葉を本当に理解することになるんじゃないかと思っている。

 けれど一方で、「あんたには関係ない」「馴れ合うつもりはない」との言葉を思い出していた。

 相手に嫌われるかもしれないという恐怖心を超えるだけの想いがあれば、色々と聞けたかもしれない。でも今の私は、彼に嫌われることが何よりも怖かった。前はそんなことなかったのに。

 私は、臆病になったのかもしれない。

 ――と、考え込む私の顔の前に、ひら、と遠弥の手のひらが揺らされた。


「起きてる?」

「起きてるよ、ごめん――あれ、遠弥。耳の飾り、どうしたの?」


 遠弥はいつもシンプルな、小さい銀のピアスをしているのだが、それが外されていた。


「ん、ああ、寝る前だから外してるだけ」

「あ、そっか」

「もしかして、まだ寝ぼけてる?」


 月があまりに明るいから、一瞬勘違いしてしまっただけだ。


「寝ぼけてません」


 唇を尖らせると笑われた。怒ろうかと思ったけど、遠弥が笑ってくれてると嬉しいから、まあいいか。


「要さんも、一修さんも、耳に飾りをつけてるよね」

「耳飾りは、男が魔除けのために付けることが多いんだ。女は生まれつき呪術への耐性が高いから……。まあ単純に顔を飾り立てて、人目を惹くって意味もあるけど」


 その点については、私の世界と変わらないらしい。まあ私は自分を傷つけるのが怖くて、ピアス穴を開けたことはないけれど……。

 そっか、と相槌を打つと、遠弥が欠伸を噛み殺していた。


「遠弥、眠いの? 寝なくて大丈夫?」

「ん、うん。まだ平気」

「明日もお仕事だよね?」

「そうだね。ほとんど年中無休だから」


 遠弥はこっくり頷いた。

 以前、休みがないのか聞いたら、「稀にあるけど滅多にないよ」と回答されたことがあった。確かに朝もそこまで早くないし、夜は暗くなる前には帰ってきてくれるから、一日の労働時間はあまり長くないかもしれないけれど、だとしても、あんまりな労働環境だと思った。


「大変だね」

「まあ適度に息抜きしてるから」

「……いつもありがとう」

「あんたの為じゃないけどね」


 そっか、と答えると、そこで会話が途切れた。沈黙の中、また月を見上げる。


「あんたのとこでも、月には兎がいるって言う?」

「うん。同じだね」


 遠弥から話を振ってくれるのは、解説とかそういうのを除けば、実は少し珍しい。

 嬉しくなって、月に手を伸ばした。


「月、綺麗だね。まんまるで」

「そうだね。いつもより綺麗に見える」


 驚いて遠弥の顔を見たが、彼は無視してただ月を眺めている。目ざとい彼が気付いていないはずないのに。

 普段、遠弥と話しているときは、背筋が伸びる感じがするのだが、今日はなんだか少し違う、と思った。何が違うかは、うまく説明できないけれど。

 それからも、しばらく二人で並んで、綺麗な満月を眺めた。

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