天女
颯が、同僚達四人と昼食に行くため城下を歩いていると、いくつか出店があった。細工祭前から、ずいぶんと気合を入れている。
女性向けの細工物がずらりと並べられているのに、颯はなんとはなしに目をやる。
色とりどりの櫛、繊細な細工の髪飾り、指輪、根付、帯飾り、他に何の用途か分からないものまで圧巻の様子で並べられている。
そういえば、何色が好きかも知らないな、とふと思う。
「珍しいな、何か買うのか」
いや、とだけ答えると、横から一修がどれかを指して口を挟む。
「最近はその櫛とか流行ってるらしいぞ。姉が言ってた」
「へー、櫛ね」
「興味あるフリくらいしろよ」
実際興味がないのだからしかたない。目をやったのもなんとなくだ。あれだけ隙間なく並べられていたら、興味がなくても目を惹かれるだろう。
二人の会話を聞いていた、他の同僚が口を挟む。
「もうすぐ年末だし、妹への土産になんか買ってこうかな。俺、祭行けないし」
「いいな、それ。うちは土産はこれって指定されてるからなー」
「絶対そっち方がいいって。選ぶの結構めんどくさいぞ」
同僚らがわいわいと眺めているのを、颯は少し距離を取って待っていた。すると、ちょっと、と店員の老婆に手招きされる。
「あんた、貴族さん達に混ざって大変だね。大丈夫かい?」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「なんかあったら言いなよ」
ね、と念押され、また礼を言う。颯だけ髪が短いから、一人だけ庶民だと思われたのだろう。
「あ、この辺に甘いものを売ってる店はありますか?」
「え? お前そういうの好きだっけ」
店員に尋ねると、聞こえていたのか同僚が目を丸くした。
「たまにはね」
またぞろぞろと移動する、その最後尾で、颯はぼんやり考える。
別に、小さな消耗品くらいなら買っていってもいいだろう。普段の家事の礼だ。以前も買っていったことはある。あの時は、彼女には伝えなかったが、看病してもらった借りを返すためでもあった。
つらつらとそんなことを考えたところで、なんか言い訳みたいだな、と颯は思う。
(……言い訳?)
誰に。何を。……。
黙りこくって歩いていると、前を歩いていた同僚らの背中が止まったので、足を止める。
彼らの視線を追うと、そこには一人の男が立っていた。大きな身振りと大きな声で、町を行く人々に自分の主張をひたすらに訴えかけている。しかし、彼のために足を止めようとする者は一人もいない。それでも、彼は切々と訴えかけるのを止めようとはしない。
「共に楽園へ行きましょう! 流境の客人の故郷へ!」
流境信仰には、二つの主だった主張がある。
一つが、流境が政治をすべきだという正統性の主張。これは流境がこの国を建国したという伝説(与太話)に基づいている。
そしてもう一つが、流境の世界である楽園への憧憬。皆で共にそこへ回帰することこそが幸福なのだと主張している。
今は後者の主張をしているらしい。男は叫ぶ。
「我々はいついかなる時でも貴方のそばにいます! 貴方がどんな立場であろうと、我々がそばに居ます!」
「どうする? 通報する?」
「折角の休憩時間に? 誰かがしてるだろ」
「あ、連れていかれた」
問答無用で引っ立てられ、乱雑に引きずられながらも、男は主張するのをやめない。大した精神力だ。
「最近余計に取り締まりが厳しくなったよな」
「ふーん。颯、なんで?」
「知らないよ」
「なんか聞いてないの?」
「お気に入りだろ、主上の」
「知らない。あの人は誰も信じてないだろ」
その言葉に、周囲は納得したらしい。
こういうところを目撃する度、仕えている主人の人間性を実感させられる。悪い意味で。
「しかし誰も止まらなかったな。田舎なら何人かは面白半分で聞くもんだが」
「野次とか飛ばしてな」
「そりゃ楽園なんて憧れるの、現状に満足できてないやつだけだからだろ。この城下の、明るく豊かな商店街で演説してもねえ」
颯は自嘲するように呟く。
「この世に楽園なんてあるわけないのに」
(別に、楽園だと思ってたわけじゃないけど)
この世界って、思ってたより厳しいのかも。
風呂に水を汲むポンプを押す手を止め、私は独り溜息をついた。
遠弥の話を聞いてから、ずっと、考えていることがある。
――誰も信用できないという遠弥の言葉を、なんとかして、否定できないか、と。
遠弥は良い人だ。親切で、冷静で、よく気がついて、優しい。遠弥のような人の力になりたい人は、大勢いるだろう。
貴族の立場とか、考えとか、色々あるだろうけど、人が動くのって、それだけじゃないはずだ。
遠弥は、他人よりもずっと合理的な性質だから、それ以外には考えられないのかもしれない。自分自身がそうだからと、周りもそのように捉えてしまっているのだ。
(絶対世の中ってそれだけじゃないけどなー!)
でも理屈や理論だけじゃ済まないことって、たくさんあると思う。遠弥がそんなこと知らないわけじゃないと思うんだけど。
成長してきた過程が昨日聞いたとおりなのであれば、そうならざるを得なかったのは分かる。分かるが。
……家族のため、敵陣で独り働く、幼い遠弥のことを考えると、物悲しくなる。
彼の仕事への熱心でひたむきな姿勢も、その場で自分の有用性を主張するための、必死さの表れだったとしたら。
「早く大人になりたかった」
と、遠弥は以前言っていた。私は無知でどうしようもないから、遠弥は小さい頃から優秀ですごい、というようなことを言った。それから、私も小さい頃は早く大人になりたかったよ、と軽率に同意したけれど。
同じ重さで考えていいことじゃなかった。
遠弥が優秀なのは命懸けでそうであらねばならなかったからだし、大人になりたかったのは無力な自分を嫌悪していたからだ。
自分が恥ずかしい、と思う。無知が言い訳にならないくらい、彼にとっては図々しく映ったのではないだろうか。
「……」
浴槽に蓋をする。あとは時間になったら、火をおこして沸かすだけだ。
なんとなく戸口まで来たが、家に入る気もせず、壁を背中にしてもたれかかる。日向ぼっこがてら、膝を抱えてぼんやりする。日光が暖かい。日焼けするだろうか。心地よいし、少しくらいはいいだろう。
膝に額をあて、俯いてじっとしていると、ふと、影が落ちたのを感じた。太陽が雲に隠れたのだろうか。
不思議に思って顔を上げると、
「え?」
「……」
天女が、舞い降りたのかと思った。
見覚えのない、とても美しい女の人が、足音もなく、佇んでいたから。
彼女は私を見つめて、それから、柔らかく微笑んだ。美しく長い髪がそよ風に靡いて、まるで時間が止まったのかと思った。
「わたくしを楽園へと誘ってくださいな」