第85話 突然の別れ
分身体に頼って研究に時間を割いた分の仕事をこなす為、イリアは魔族領から戻ってからも数日間は公務に従事していた。
流石に長期に渡って分身体に仕事を任せていただけあり、その情報量を全て受け取った時には軽い眩暈を覚えた程だ。
幾らイリアが人類を超えつつあるとは言っても、脳が情報を整理するには少々の時間を要した。
玉座を空けていた期間にも色々とあったのは理解出来た。相変わらずサフィラは転生者騒動に追われているらしい。
もう少しだけ猶予は有りそうだと、イリアは考えていたのだが。そんな考えが吹き飛ぶ事件が起こった。
「イリア様! 大変です!」
「騎士団長、どうかしたのですか?」
「重症の彼が、王城までやって来たのです!」
金髪の美丈夫である騎士団長のカイルが、慌てて玉座の間に部下を数人連れて駆け込んで来た。
彼の部下が浮遊魔法で運んで来たのは重症を負ったミアの護衛、イリアとは何度も顔を合わせた事のあるバートだった。
治療に長けた騎士達が回復魔法をかけているが、どう見ても効果が出ていない。余程の深い傷なのか、彼の服はどんどん血で赤黒く染まっていく。
このままでは死んでしまうのも時間の問題だろう。何があったのか分からないが、知らぬ顔ではないし親友の護衛だ。アルベールの力で回復を頼もうとイリアは声を掛ける。
「アル、彼の治療を」
「い、いいえ、必要ありません」
「そのままでは死んでしまうでしょう」
「主を守れなかった私が……生きる資格など、ありません」
その言葉を聞いた時、イリアは意味が分からなかった。それはつまり、ミアが死んでしまったという事になる。
しかしミアはこの世界で唯一、イリアとほぼ対等に戦える程の力を持っている。聖女としてサフィラに選ばれたのは伊達ではない。
そんな簡単に殺す事は出来ないし、真っ向から戦って彼女を殺せる相手はイリアぐらいしか居ない。
そのイリア本人が何もしていないのだから、ミアが殺される筈がないのだ。例え対峙するとしても命まで奪う気はない。
当然ながらアルベールも同じく何もしておらず、サフィラにはイリア以上にミアを殺す理由がない。だと言うのに誰がこの世界でミアを殺せるというのか。
「な、何を言っておりますの? あの子が簡単に死ぬわけが」
「見た事のない、女が、民衆を、操って……それで、ミア様は……」
「何ですの……その女というのは……」
どこの誰だその女はと、イリアは静かに怒りを燃やす。民衆を操る、恐らく転生者関係だろうとイリアは当たりをつける。
心優しいミアの事だ、民衆を利用されたら間違いなく手を出せない。それぐらいイリアにも分かる。
だがそれでミアを殺す意味が分からない。そんな事をして一体何になるというのか。
わざわざ民衆を操ってまでそんな事をする理由がどこにあるのか、それが何よりもの謎である。
ミアは特に恨みを買う様な人間ではない。怨恨という可能性は先ず有り得なさそうである。
「イリア、様、私の記憶を、転写して下さい」
「それはっ、しかし……」
「お願い、します!」
これまでに自分が見て来た全てを、イリアに見せる為。瀕死の重傷を負いながらも、それだけを求めてバートはイリアへ最後の願いを伝えて来る。
親友の護衛にそんな事をするのは、幾らイリアでも躊躇われる。そんなイリアを気遣って、アルベールが魔道具を取り出してバートに近づく。
主人を守れず終わってしまった騎士としての後悔。そしてイリアに情報を伝える為に、身を差し出そうとする最後の献身。
彼の意思を同じ男性として汲み取ったアルベールは、魔道具を起動する。察してくれたらしいアルベールに、バートはありがとうとだけ感謝を述べて目を閉じた。
そして記憶の転写が終わった魔道具を使って、アルベールはバートの記憶を壁に映した。
『偽物の聖女だ! 嘘つきめ!』
『魔女の手下を捕まえろ!』
それはミアに向けられた民衆達の声。今バート達はミアと共にどこかに隠れているらしい。
偽物も何もミアは正真正銘の聖女である。操られたとバートは言っていたが、これがその結果なのだろうか。
バートが小さな手鏡を利用して、通りを歩く民衆達の姿を確認している。大勢の人々が大通りをぞろぞろと行進していた。
もう少し映像を進めると、またしても何処かの隠れ家の様だった。薄暗い地下室の様な場所で、経った数名の護衛しか居ない様だった。
先程よりも護衛の数が減っている様だが何か理由があるのか。それは次の会話で判明した。
『もう良いのです、家族を人質に取られているのでしょう?』
『それでもです! 貴女を差し出す訳にはいきません!』
『俺にはもう家族は居ませんから!』
どうやら相手はバート達の家族を人質にしているらしい。ミアを差し出さなければ殺すと脅している。
不測の事態故にサフィラに助けを求めたが、サフィラも何者かと戦っているらしく動く余裕がないらしい。
更に時間を進めると、バート達は人質を殺されてしまっていた。それでもミア達が見つけられず、今度は民衆までその命を奪い始めた。
耐えかねたミアは、自ら捕まりに行ってしまう。止めようとしたバート達も捕まってしまい、街の中心に設置された断頭台に彼らは運ばれた。
まるで見せしめの様にしてまでミアを殺そうとする理由はなんなのか。ここまで見てもやはりハッキリとはしない。
そんな中で、断頭台に向かうミアはバートのすぐ側で倒れ込む演技をした。
『これをに魔力を込めて下さい。そうすればアニス王国の王城前まで転移出来ます』
『そんなものがあるなら貴女が!』
『イリア様にこの状況を伝えて下さい、頼みましたよ』
断頭台に連れて行かれるミアにこそ、密かに手渡された魔道具を使わせようとバートは強引にミアの下へ向かおうとする。
だがバートは止めに入った騎士達から、複数の攻撃を受けて大けがを負ってしまう。
結局ミアの所には辿り着けず、バートの視線の先ではミアの最後の瞬間が訪れる。その時その視界には、イリアの知っている女の姿が一瞬だが目に入った。
その次にはもうアニス王国の王城前に映像は変わっていた。映っていたのは少しだけだったが、あの顔は見間違えようがない。
バートの視界の隅に映されていたのは、別世界の神エヴァの姿だった。
「だから言ったではないですか……それではいつか、貴女が死ぬと……」
天を見上げたイリアの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。この世界で唯一、全てを分かり合えた親友の死。
その悲しみは次の瞬間には怒りへと変わっていた。魔の森で生活していた頃よりも、激しい怒りと憎しみがイリアの心を支配していた。




