第59話 異なる世界から来た魂
それはイリア達が海洋国家ルウィーネに行っている頃。アニス王国の南部、農村が点在する地域でとある変化が起きていた。
カリスを名付けられた15歳の少年が、農作業中に頭部を強打して気を失った。そして彼が目覚めた時に、カリスは全てを思い出した。
自分が地球と呼ばれる惑星の、日本という国で暮らしていた前世の記憶を。ブラック労働で疲労困憊になっていた帰り道で、赤信号に気付かず車道に出てしまった。
その結果交通事故に遭い死んでしまった、ごく普通のサラリーマンだった過去を思い出した。
その後女神を名乗る女性が転生をさせてくれると言うから、これは幸いだとその話に乗ったのだ。
「ほ、本当に異世界にいるのか!?」
日本におけるサブカルチャー、その一つにある異世界転生というジャンル。アニメやライトノベルを中心に流行したその作品群を、カリスはサラリーマン時代に楽しんでいた。
まさか本当に女神が居て、本当に異世界への転生が自分の身に起きるなんて。その喜びは大きかった。
それからカリスは行動を起こす。異世界転生が題材の作品では、現代日本の知識を利用して成り上がったり、最強の冒険者になったり。
そんな内容で溢れていたので、彼も当然その道を目指す事にした。女神に貰ったチートスキルがちゃんと備わっている事も確認済み。ならばもう、やる事は一つしかない。
「おいカリス! 何サボってんだよ」
「そうだぞカリスの癖に生意気な!」
カリスの下にやって来たのは、この農村で一番の権力を持つ村長の息子とその友人だ。彼らはその権力を利用して、農村では威張り散らしていた。
分かり易いガキ大将タイプであり、好き放題に振る舞って来た。そしてこの国では力こそ全てだ。
そんな相手に泣き寝入りをすれば、負け組コースは確定する。前世の記憶を思い出だす前のカリスは、まさにその負け組の1人だった。
使いっぱしりにされたり、嫌がらせをされたり。その程度は日常茶飯事で、酷い時は暴力を振るわれる事もあった。
そんな人生を歩んでいたカリスだが、もう今はそんな負け組とは違う。
「僕に従え」
「あ、ああ……」
「分かった」
「ふ、ははははは! やったぞ!」
神様から貰ったスキルが発動したのを見て、カリスは大いに喜んだ。これで自分は新たな人生をやり直せるのだと。
ブラック労働を強いる会社で働く人生から、大逆転が出来たのだと。それからのカリスは様々な行動に出た。
先ずは農村で日本の知識を利用して、農具の改革を行った。魔法の知識も学び始め、多少なら使える事が分かった。
剣技の類も学ぼうとしたが、この世界には冒険者ギルドが存在しなかった。ならばと冒険者として生きるのは諦めて、異世界ハーレムライフを目指す事に決めたカリス。
その為には先ずこの世界を知らねばならない。旅商人から聞き出した情報や、大人達から聞いた話からとある可能性に思い至る。
「この世界って、ティアファンじゃね?」
カリスが元居た世界で流行っていたファンタジーRPG。その中にティアリングファンタジーというゲーム作品があった。
そのシリーズを好んでプレイしていた頃の記憶が、カリスの脳内にハッキリと思い出す事が出来た。
知り得た幾つか国の名前が、間違いなくゲームに出て来た国名と合致する。ただ不思議なのは、何故か冒険者ギルドが存在しない事だ。
ゲーム内には確かに存在していたのに、この世界にはそれがない。もしかしたらゲーム開始時よりも前なのかと、カリスは予想した。
もしこれから冒険者ギルドが出来るのであれば、そちらの道を候補に戻すのも良いのではないかと考えを改める。
そして何より、カリスの記憶を刺激したのはとある人物の存在だ。
「おおおおおお!? 悪役令嬢イリアが居る!?」
それはカリスが日本で生活していた頃、大好きだったキャラクター。悪役令嬢イリア・ハーミット。
それはアニス王国の王立学園編で登場する、有名なキャラクターの1人だ。しかし何故ゲーム開始時より前の筈なのに、何故既に大人になっているのか。
そもそも悪役令嬢ではなく女王になっているので、カリスの記憶とは辻褄が色々と合わない。
しかしそれもチートスキルを持って転生した事で、どうでも良いかとカリスは疑問を投げ捨てた。
何故ならそのスキルさえあれば、自分はイリアを自由に出来る。その事に歓喜したカリスは、黒い欲望を滾らせる。
聞けばイリアは未婚の女王だと言う。ならばイリアを手に入れれば自分は王になれると。
これで自分は好きな様にこの世界で生きられるとカリスは気を大きくしていく。
「アハハ! 楽しみだなぁ」
異世界に転生した事、女神からチートスキルを得た事。そして実際にスキルがチートであった事により、カリスは油断していた。
いや、考えが甘かったという方が正しいかも知れない。何故自分の記憶と、この世界に齟齬があるのか。その事についてもっと冷静になって考えていれば。
そうすれば彼の人生は、全く違う未来へと向かっただろう。しかしそうはならなかった。全能感に酔いしれる彼は、大切な事に気付かないまま欲望に身を任せ続けた。




