第56話 敢えての馬車移動
ミアとの会談で発覚した不思議な若者達の問題はともかく、イリアは今日も女王としての仕事をしている。
本日は交流も兼ねて招待を受けた国へと向かってい。今回はアニス王国の南側、モーラン自治領の更に南にある国が目的地だ。
その国は海洋国家ルウィーネと呼ばれる国であり、巨大な港を持つ漁業が盛んな国である。
意外にもルウィーネはイリアと現在のアニス王国に対して、友好的な姿勢を最初から見せていた国だ。
その理由としてはアニス王国と同様に、若き女王が治めている国である事。そしてイリア同様に、実力主義な所が一致しているからだ。
そして潮風の影響で作物が育てにくいルウィーネもまた、アニス王国と同様に厳しい土地柄である。
冬季も温かい代わりに、津波や台風などの災害もあるので油断ならない国なのだ。その上ルウィーネも魔族領と国境が隣接している。
その魔族領沿岸から移動して来た、強力な海の魔物が現れるという問題もある。アニス王国に負けず劣らず過酷な環境となっていた。
つまりアニス王国と似た様な理由で、ルウィーネに住まう国民もまた強くなければやっていけない国なのだ。
アニス王国は傭兵達が集まって出来た国だが、ルウィーネは海の男達が集まって出来た国である。故に国民の性質もアニス王国と類似していた。
「海ですか、私は見た事がないのですよね」
「ふむ、ならば船に揺られてみるのも良いかもしれないな」
「アルと一緒というなら、楽しみですわ」
他国への移動など、アルベールの力を使えば一瞬である。しかし今回は敢えて馬車に2人で乗っていた。
特に急ぐ理由もなく、周辺国の情勢もこれと言って怪しいものはない。それならばと、2人の想い出作りに仲良く馬車で旅をするのも良いだろう。
そんな私的な理由から決定した旅路である。最も護衛の騎士達が随伴するので、完全に2人きりではないのだが。
ちなみに騎士団長のカイルが同行するとまた主張したが、ミルド公爵から君まで出て行かれたら困ると却下されていた。どうにもタイミングが悪い男であった。
そんな悲しみを背負った男の話はともかく、今現在2人きりの馬車内に居るイリアとアルベールは、久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。
普通未婚の女性が男性と2人きりというのは問題になるが、御者を務めるリーシェはもちろん随伴の騎士達も2人の関係を良く分かっている者達だ。その点について問題視するものは1人も居ない。
「男女でボートとやらに乗るのでしたか?」
「それはどちらかと言えば湖だ」
「海ではまた違うのですか?」
「波があるから小さなボートでは危険だ。もう少し大きな船の方が良い」
普通の令嬢として生きる事が出来なかったイリアは、そう言った事には疎い。ごく普通の男女が、どの様にして共に時間を過ごすのか。
2人の想い出として、どんなモノを残すのか。女王になってから、それらを知らないイリアはたまに空いた時間で調べたりしている。
過酷な人生を送ったとは言え、イリアとて女性である事に変わりはない。アルベールとの時間は楽しいと感じている。
それにどれだけ想い続けてくれているかを知っているだけに、その分の恩返しもしたいとイリアは思っている。
だから女王の仕事としての行動であっても、出来るだけ記憶に残る様にしているのだ。この先永い時を生きる事になった時、そんな事もあったなと思い出せる様に。
「釣りも海でしたか?」
「それは海でも出来るね」
「ルウィーネに着くのが少し楽しみになりましたわ」
ただの仕事のつもりだったが、思っていたよりも楽しめそうだとイリアは微笑む。いつか必ず来るサフィラとの対立。それまではまだ暫くの猶予がある。
その間に出来る事は、全てやっておこうとイリアは心に決めていた。欲しい物は貪欲に求めねば手には入らないと知っているから。
与えられるのを待っていても、そんな日は来ないのだと実感したから。その為ならば政治も国の運営も、イリアは全て利用する。
全てはアルベールとの日々の為。決して国民の為ではないというのがまたイリアらしい考え方ではある。
自分達の幸せの為に取った行動から、恩恵を受けたければ従えというだけ。実にシンプルであり、余計な野心や政治心情が絡まない分普通の国よりも単純だ。
どこまでもイリアは人間を駒としか見て居ない。そして駒としての役割を果たせられる人間ならば、その庇護が受けられる。
果たしてそうでは無い国とアニス王国とでは、どちらが幸せと言えるのだろうか。それは結局、住んでいる者達がどう思うか次第なのだろう。
『イリア様、そろそろ宿泊する予定の街に着きます』
「ええ、分かったわ」
「それにしても、君とこんな旅をする日が来るとはね」
「ふふ、まだまだこれからですわよ」
御者席と馬車内は、魔道具による音声のやり取りが可能だ。その魔道具を通してリーシェから最初の宿泊地への到着予定が告げられた。
イリアの言う通り、まだまだルウィーネには到着しない。これからも数回に渡って途中で街に立ち寄る予定だ。
そこでしか食べられない名物や、見た事がない風景が2人を待っている。1万年前には実現しなかった2人の特別な時間は、まだまだ始まったばかりだ。