第41話 女王様の掌の上④
イリアの暗殺を試みたサーランド王国の差し向けた暗殺者。4人居た暗殺者の最後の1人、始末屋のデニスは変装の名人だ。
男性だけでなく、女性にまで変装が出来る多彩な男であった。元々中性的な見た目をしていた為に、実現出来たデニスの強みである。
変装を見破られた事は今までに一度も無かった。その能力に絶対の自信を持つデニスは、メイドに変装してイリアの寝室を目指していた。
ごく普通の水差しを手に、女王の寝室へと近付いていく。そんなデニスに待ったの声が掛かる。
「そこの貴女、止まりなさい」
「えっと、私ですか?」
「ええ、貴女の事ですよ。何をしているのです?」
メイドに変装したデニスを呼び止めたのは、イリアの専属侍女で暗殺者のリーシェであった。デニスは急に呼び止められた理由が分からなかった。
十分な下調べを行い、様々な変装をして観察して来た。どうやら失敗したらしい3人の事など興味は無かった。
デニスはしっかりと準備をするタイプだ。何度も変装して潜入し、対象について調べてから行動に移す。
今回も完璧だった筈なのに、呼び止められた事でデニスは嫌な予感を覚えた。何か致命的な間違いをしている様な、そんな感覚をデニスは感じ始めていた。
「水差しの交換に参りました」
「それで? 寝室に今から向かうのですか?」
「ええ、そうですけど何か問題が?」
デニスはこの問いの意味が分からなかった。メイドが主の水差しを交換するなど、何もおかしな事ではない。
そんな事をいちいち確認する必要性がどこにあると言うのか。だがそれがそもそもの間違いなのだ。
デニスは全く理解していなかった。既にリーシェの策に腰まで浸かってしまっている事に。
若くして暗殺者の最高峰、その領域に到達していたリーシェは全て把握している。暗殺者がどんな手段を用いるかを。
そしてリーシェは、その全てを駆使してなお勝てなかったイリアに心酔した。暗殺者として高みに辿り着いた者ですら、イリアに膝をついた事などデニスは知りもしなかった。
「っ!?」
「どうやら三流ではないようですね」
「何故分かった」
一瞬にして短刀で斬り掛かったリーシェの一撃を何とかデニスは凌いだ。彼にはバレた理由が分からなかった。
自分の動きは完璧だった筈だと自負していた。逃走する隙を伺いながら、気付かれた理由をリーシェに問い掛けた。
その問いを受けて、リーシェは笑みを深めた。主の期待に応えられるだけの働きが出来たと。
完膚なきまでに敗北した、最高の主に相応しい働きが出来たのだと確信して。これ程までに思い通りに、事態が進んだ事にリーシェは歓喜した。
「ここから先に進む許可を得ているのは、私だけなのですよ」
「なっ!? バカな!? そんな筈は!?」
「ええそうでしょう。貴方は観察したのでしょう? 私が変装していたとも知らずに」
リーシェにすれば、デニスの様な暗殺者は存在していて当然と言う認識だ。だから罠を仕掛けたのだ、毎回別人に変装してイリアの寝室へ通っていた。
まるでメイドであれば、誰でも寝室に入れる様に見せかけた。元々アニス王国の王城に勤務する者なら、女王の寝室に入る許可を得ているのがリーシェしか居ない事を知っている。
その事をいちいち話題にする者は、今更アニス王国の王城には居ない。だからこそ、暗殺者に対する最大のトラップになるのだ。
もしイリアの寝室に近付くリーシェ以外の人間が居れば、イコール不審者だとリーシェが断定出来るのだから。
「クソッ!」
「逃がすと思いますか? この私が」
「何なんだお前は!?」
「イリア様の忠実なる下僕ですよ」
普段から無口なデニスが、饒舌になねばならない程に追い詰められていた。どれだけ牽制しても、全く揺さぶられない謎の侍女。
ただの女に見えるのに、一切の隙がない。そんな彼女に翻弄されたデニスは身動きが取れない。それこそリーシェの思う壺だ。
エルロード辺境伯の様に、数少ない自ら魔の森での鍛錬に参加した人物。イリアの為に全てを捧げる覚悟を決めた信奉者。
ハルワート大陸に存在する暗殺者の中で、最強を名乗れるだけの実力を誇るリーシェから見ればデニスなど容易い相手だ。
「これで終わりです」
「カハッ!?」
「イリア様に仇なす者は、私が全て排除します」
かつてはイリアの暗殺に挑んだ者。その最初の1人であったリーシェは知っている。イリアと言うこの世界の覇者を。
強いなどと言う言葉では足りない。そんな言葉では言い表せない。どんな賛辞を並べ立てようとも、リーシェは納得出来ない。
自らの主を表現するには言葉が足りないと。最凶にして最高、このハルワート大陸を支配するに相応しい存在。
それがイリアだとリーシェは心から思っていた。大陸の統一が出来てしまう程の、素晴らしい可能性を秘めた最高の女王。
リーシェにとってイリアは、それだけの期待を持てる存在だった。だからこそリーシェは、全てを掛けてイリアの為に働く。
そんなリーシェから見れば、サーランド王国など唾棄すべき存在でしか無かった。イリアの価値を理解出来ない者が国王を務めている国が、どんな末路を迎えようと知った事では無かった。