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第12話 女王様の華麗なるお散歩⑤

 その日も男は、モーラン共和国の諜報員としての活動を続けていた。アニス王国の国内情勢や巷で流れている噂まで、様々な情報を収集していた。

 特に軍部が作戦行動中のアニス王国南部について、王都ではどれだけ把握されているかの確認を最重要視していた。

 事がバレてアニス王国騎士団が大規模に押し寄せると、モーラン共和国軍では少々苦戦を強いられる。

 ただでさえ最近増員された、騎士達の警戒は厳しい。そろそろ潮時ではないかと思われていた。予定よりも随分早い撤退となるが、こればかりは仕方ない。


 数年前までは腰抜け揃いと揶揄されていたアニス王国騎士団は、見違えるほど精強で行動も迅速だった。

 たった数年でこれ程までに変化したのであれば、噂は本当なのではないかと言う思考が男の脳裏に浮かぶ。

 当時たった18歳の小娘が、たった1人で1万の軍勢を倒したと言う件だ。もしそれが真実であるなら、モーランは大きなミスを犯したのではないかと。


(いやまさか、そんな筈があるか)


 思わず浮かんだ思考を、自らの意思で否定する。幾ら騎士団が見違える程に強くなったからと、そんな馬鹿げた話まで真に受ける必要はない。

 そんな有り得ない話を信じる馬鹿が何処に居ると言うのか。男はそうして、自分に言い聞かせる。

 常識で考えたら有り得ないと、首元を伝う冷たい汗を拭う。だが王都に住むアニス王国の国民達は、その話を全く疑っていない。

 どれだけ調べても、真実だと言う回答しか出て来ない。ではもしそんな化物みたいな女が実在するなら、自分の存在などとっくにバレているのではないかと嫌な予感が男の精神を蝕んで行く。


(落ち着け、ただのモーランから来た商人にしか見えない筈だ)


 モーラン共和国内では、馬鹿げた話だと笑い話にされていた。その筈だったのに、王都である中央都市ファニスの発展具合を見れば全てが嘘とは思えない。

 たった数年でこれ程の発展があり得るのかと、男の冷静な部分が警鐘を鳴らす。前国王の治めていた頃とは大違いなのは間違いない。

 最早大陸一の都市になろうとしているのでは無いのかとさえ男には感じられた。たった18歳の小娘が、4年でここまで発展させた?

 噂の方はともかくとしても、かなり頭の切れる人物なのではないかと評価を改めざるを得ない。

 諜報員としての勘が、なるべく早くこの地を離れるべきだと訴えている。臆病風に吹かれたと笑われようとも、まだやり残した仕事があろうとも。

 今からでもこのまま闇夜に紛れて撤退をすべきだと男は判断した。しかし残念な事に、その判断は少し遅かったようだ。


「ご機嫌よう、モーランのネズミさん?」


「っ!? な、何ですか貴方は? 一体何の話か……」


 王都ファニスの裏通り、殆ど誰も通らない様な薄暗い場所。そんな所に現れたのは、町娘にしては随分と美しい2人組。

 全く日に焼けた痕跡がない真っ白な肌の女性と、異国風の浅黒い肌の女性。どちらもかなり美しい女性だが、こんな所に居るのは不自然だ。

 何よりも明らかに男に目的があって話し掛けて来ている。撤退しようとしていた男の鼓動は一気に跳ね上がる。

 騎士団の女性騎士か、はたまたアニス王国の諜報員か。この状況であの言い方、先ず間違いなく正体がバレていると男は確信した。

 危険な空気を感じた男はどうにか2人を振り切って、素早く逃走する道を選ぶ。いや、選ぼうとした。


「逃げれば貴方に攻撃された事にして、明日にでもモーランに戦争を仕掛けます」


「は? な、何を馬鹿な事を…………」


「ああ。これでお分かりかしら?」


 白い肌の女性が、自らに掛けた魔法を解除する。闇夜を照らす僅かな月の光が、その漆黒の髪と真紅の瞳を照らし出す。

 王城の警備が厳重な為、直接男はその人物を目にした事が無かった。しかし王都で売られている広報誌や、魔道具の映像等でその顔だけは知っていた。

 わずか18歳で前国王を排除し、自ら女王となったこの国の絶対王者。魔女と呼ばれ、魔族すら警戒していると言われている暴君。

 服装は質素でも、持ち前の美しい肢体と最上級の美貌は隠しきれていない。放つオーラは場馴れしている諜報員の男ですら、全身に震えを覚える圧力があった。


「イ……イリア……アニス……ハーミット」


「えぇ、(わたくし)がこの国の女王ですわ」


「な、何故こんな所に……」


 男には理解出来なかった。わざわざ自分の様なただの諜報員を相手に、最高権力者が自ら問い詰めに来るなど普通はやらない。

 事実男はアニス王国の諜報員や騎士だと考えた。追手を差し向けるのならばまだ分かる、それが普通の対応だ。どこの国もそうするだろう。

 だが国のトップ自らが出向く国などどこにある。頭がおかしいとしか男には思えなかった。

 薄暗い裏通りの片隅で、獰猛な猛獣に睨まれた小動物の様に身動きが取れない男は呼吸も忘れてイリアを見る。

 そんな男の様子を楽しそうに微笑みを浮かべながら、イリアは怯え震える男の問いに答えた。


「どんなネズミなのか、見てみたかっただけですわ」


「そ、それだけで……」


「ところで貴方、ご家族はいらして? もし戦争となると、大変ですわね?」


 突如イリアから吹き上がった覇気に、男はゴクリと喉を鳴らした。忘れていた呼吸を思い出し、息を吸えども全く足りない。

 先程目の前の女は何と言ったか? まるで大した事でもないかの様に、簡単に戦争を起こすと言った。家族が居るかとわざわざ聞いたのは何故だ。

 男の目には、イリアが理解出来ない存在に見えた。お前が何も話さないのであれば、戦争を起こしてしまえば良いだけだ。そんな風に男は言われた気がした。


 長い諜報員としての勘が告げている、この女は普通ではないと。自分が何も話さないのであれば、それはそれで構わないと言う態度だ。

 明らかに狂人の思考、こんな奴が女王をやっている国がまともである筈がないと心から男は思った。

 男は観念して、全てを話す事にした。小競り合い程度で済むなら兎も角、この女は間違いなく侵略して来る。そうイリアの紅い瞳が告げていた。


「ま、待ってくれ! 話す! 全て話す!」


「私はどちらでも構わないのですが?」


「ち、違う! 話します! 聞いて欲しい!」


 モーランに居る家族の為、例え裏切り者と罵られても構わない。国を守る為なら全てを話す方が良い。

 まだ幼い娘の顔が、男の脳裏に浮かんでは消える。帰ったら誕生日を祝う約束をしたのだ。何とかこの場で留めて戦争だけは回避しなければならない。

 そんな使命感から男は必死だった。今のモーラン共和国では、間違いなくアニス王国に勝てない。確実に敗北すると言う確信が男にはある。


(何がお飾りの女王だ! とんでもない化物じゃないか!)


 無事モーランに帰れたら、小娘のままごとだと笑っていた部隊長を全力で殴ろうと男は心に誓った。

 これほど強烈な覇気を纏い、痛い程に肌を刺す狂気を振り撒く女のどこがお飾りなのか。如何に自国の認識が甘かったのか男は痛感していた。

 上層部の思惑は知らずとも、大体の事情を男は把握している。知る限りの事を洗いざらい話した男はイリアの顔色を伺う。


「なるほど、大体は分かりました」


「じゃ、じゃあ」


「えぇ、もちろん()()()()()()は叩き潰しませんとね?」


「………………は?」


 当たり前だと言う様に告げられた言葉に、男の思考は一時的に麻痺した。この女は何を言っているのだと、男はイリアの顔を見る。

 妖艶な笑みを浮かべながら嗤うその顔に、男は怒りを滾らせる。全て話したではないかと。

 にも関わらず叩き潰すと言ったか? 故郷の人々を盗賊扱いされ、ふざけるなと男は激情に任せて懐に隠して持っていた短剣を抜いた。


「貴様ぁ!!」


「リーシェ」


「はっ!」


 駆け寄ろうとした男の首元に、リーシェが投擲した投げナイフが突き刺さる。致命傷を負った男は、ガクリと地面に膝を突き短剣が掌からこぼれ落ちる。

 金属音が裏通りに小さく響き、瀕死の男は地面に倒れた。消え行く僅かな命を振り絞り、諜報員の男はイリアを見る。

 薄暗い裏通りに降り注ぐ月光の下で、煌々と紅く輝くイリアの双眸が瀕死の男を射抜く。


「話せば何もしないなんて、私は一言も申しておりませんわよ?」


「ぁ……ぃ……」


「それに私、家族愛って理解出来ませんの」


 ニコリと嗤ったイリアに向けて、残された僅かな時間を目一杯使い男は呪い続けた。

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