1. 忘れるな
ハローワールド、こんにちは。晩秋の候、いかがお過ごしでしょうか。
こちら西園寺静馬改めアルベルト・シュタイナー。言葉がうまく話せないから空に念じている。近況報告ってやつだ。
残念なことに異世界転生というのは本当みたいだ。なぜ異世界転生だと決めつけるかって?それはまた後で話すよ。
出生から数か月の間はずいぶん混乱したが、最終的にはアルベルト・シュタイナーの名を受け入れることにした。生まれた直後は大変だった。発語は覚束ない。身体は思った通りに動かない。思考はあっちこっち飛び回る。肛門も膀胱もコントロールできないから垂れ流しで気持ち悪い。混乱したり不快感に襲われたりするとすぐに涙腺が緩み叫び声が漏れ出してしまう。
34歳でションベン垂れて泣きわめく恥ずかしさがわかるか?男の尊厳もへったくれもあったもんじゃない。
現在1244年秋、俺は2歳と3か月になった。まだケツと息子はコントロールできないが、どうにか歩行や発語、思考は安定してきた。
よたよたとベッドを抜け出し鏡の前に立つ。そこには金髪にたれ目、赤い瞳をした男の子が佇んでいた。このかわいさは母似だろう、自分で言うのはなんだが本当に顔は整っている。メイクとかしたら超イケメンでモテまくりなのではないだろうか。
自分のハンサムさに見惚れながら息を吸い込み声帯を震わせる。鏡で口の動きを見つつ日課の発声練習だ。
「あー、あー。本日はおいがらもよく……。」
……うーむ。御覧の通りまだ完全ではない。舌の制御って難しいんだな。
ただ普通はコミュニケーションできるようになるのは4-5歳くらいじゃなかったっけ。2歳と数か月で文章を用いて会話できるポテンシャルはいわゆるチートに該当するのだろうか。言葉を扱うのが少々早いくらいじゃチートとは呼べないか。
現代知識無双系のラノベならこのまま科学知識で革命起こして王侯貴族なんかに絡まれて騒がしくも楽しい青春を送るのだろう。ま、俺は文系学部出身で一般企業の人事部勤めだったもんで専門的知識なんて持ってない。つまりはそんなイージールートは望めないのだ。
歩行と発語が安定してからはこの屋敷を探索した。そしてひとつの確信を得た。
この家は非常に裕福である。父は騎士、母は商人。衣食住に困っている様子は見られない。それどころか家は7を超える部屋数と、おまけに庭付きと来た。壁や家具には繊細な装飾が施されほこりひとつ見られない。お手伝いさんも雇っているからだろうな。どれもわが家は金銭的に余裕があることを示している。
裕福とはいったがそれはこの世界においてという話だ。文明レベルは地球に劣る点も多々見られる。灯りはオイルランプだしスマホやパソコンなどもってのほか。電気を使う文化は一切存在しない。見てくれは基本的に地球の中世ヨーロッパと似たようなものだろう。中世ヨーロッパの知識など詳しくはないので、ラノベやゲームから得たものなのは言わずもがなだ。
——ガチャッ。
「あら?アルベルト?起きてたのね。カーテン開けちゃいましょっか」
部屋の扉が開き、ロリ巨乳が現れる。俺の母、リーニャ・シュタイナーとは彼女のことである。当人曰く23歳とのことだが俺には中学生か高校生くらいに見える。
「おかあさん、おあようございます。」
「おはようアルベルト。今日も私に似てかわいいわね~」
俺の舌っ足らずの挨拶を受け、母はこちらへにっこりと明るい笑顔を返す。母は俺の容姿を褒める時いつも「私に似て」という。確かに俺の母は間違いなくかわいい。けれど母としてその自己愛的なふるまい方はちょっと恥ずかしいので控えてほしい。だってこの人町中でもこんな調子なんですよ。町の人は生暖かい目で見てるし、一緒にいる俺がたまったもんじゃない。
母はそんな俺の懸念をよそに、艶やかな黒髪をたなびかせてカーテンへ向き直ると、手を空にかざし右に左に。そして——。
「——■■■■■■。」
耳馴染みのない言葉を口にする。その瞬間夏のそよ風に吹かれたようにカーテンがふわっと浮かび上がる。カーテンはそのままひとりでに窓のふちまで移動し、留め具にくるりと巻かれて収まった。
そう。俺がこの世界は異世界だと確信した理由。文明レベルの低さを見てくれは、と述べた理由。
——この世界には魔術が在る。
魔の術。マジカルアーツ。そんなものあるはずないって?じゃあ君はこの目の前で起きている現象をどう説明する?カーテンがひとりでに浮き、自ら留め具に包まる。調べてみても構わない。まさに種も仕掛けもございません。
カーテンだけではない。時折この世界の人間は明らかに物理法則を無視している。うちの給仕担当はガスやマッチなど使わず突然手のひらから炎を噴出させる。母は物体を浮かせて運搬していたと思えば、何もない空から1mほどもある杖を取り出したりなんかもする。……父はこの前拳で石を粉砕していた。あれも魔術なのだろうか。それともこの世界の人間は鍛えると石を粉砕するほどの怪力を得るのだろうか。
筋力特化の可能性が疑わしい父はともかく、母とお手伝いさんの振る舞いは魔術の存在を確信させるに足るものだ。
あんな魅力的な術を見せられてしまったら前世では何をやっても駄目だった俺でも、この世界ならあるいは、なんて一縷の望みに縋ってしまう。
「んー?アルベルトは魔術に興味があるの?」
「うん!!まゆつ知りたい!!」
元気よく返事をしたところで我に返る。ガラにもなく熱くなってしまっていたようだ。こんな胸の高鳴りは久しく感じていなかったなぁ。この幼い体のせいで感情表現が豊かになっているのかもしれない。
「そっかぁ魔術が好きなのね。10年後には立派な魔術師になってるかもね~」
母は俺の頭に手を置くと愛おしそうに髪を撫でた。身体が温まりちょっとむず痒いが気持ちいい。温泉につかっているかのようだ。
「でもまだアルベルトには早いかな。魔術を使うには神様から力を賜る必要があるのよ」
「かみさま?」
神?それが魔術を使えるようにしてくれてるってのか?無神論者だからわからないけどこの世界では神様とやらが実在するのか?
「そ、神様に魔術使わせて―ってお願いするの。」
本当にお願いすれば使わせてくれるのか、はたまた子ども相手にわかりやすい言葉を使っているだけなのか。神様はそんなに気前がいいものなのか?そもそも魔術ってなんだ?あのカーテンの動作はどういう原理で?そもそも魔術に原理なんてないのか?
……情報が足りない。ならば行動あるのみだ。
「ふーん、じゃあ早く神様のところ行きたい!!」
「焦らない。みんな三歳になったら神様にご挨拶に行く決まりよ。アルベルトも来年ね」
「……はーい」
「……てっきり駄々をこねられると思ったけどアルベルトは本当に大人っぽいわね」
本当は今すぐにでもその神様とやらにご挨拶申し上げて魔術の特訓に励みたかった。魔術がどんなものかは皆目見当もつかない。しかしそれがどんなものであれ人間の扱う術であるのなら何とかなるはずだ。……前世で小さなころからの英才教育が意味あると聞いたことがあるし多分そう。せっかく得た二度目の人生、全力で駆け抜けなければならない。
——ッ!!
前世に想いを馳せ決意を新たにしたところでつんざくような頭痛に襲われる。
——■■を以て■■を為す。
まただ。生まれてからこの2年と少しの間たびたび頭の中に響く男性の声。まるで古傷が疼くかのように俺に訴えてくる。忘れるな、と。その声にはもやがかかっていて完全に聞き取ることはできない。
俺が今日魔術に飛びつかなかった理由。この言葉について確かめたいことがあるのだ。
「駄々こねたら神様に合わせてくれる?」
「ざんねーん。それはできませーん」
「ケチ」
「だめなものはだめなのよーだ」
舌を出し幼い息子を煽る母。毎度思うがなんて自由な人なんだ。
ともあれ「三歳になったら神に挨拶」というのは何か儀礼的な意味も持つのだろう。日本でいうなら成人式のようなものなのではないだろうか。もちろんこちらには魔術が使えるようになるという実益が伴うのだから成人式よりも大きな意味があるのは自明なのだが。これ以上ゴネてもきっとその儀礼の時期が早まることはないのだろう。
「そろそろお母さんはお店の準備に行かなくちゃ。アルベルトが本当に魔術に興味あるなら今度お店に連れて行ってあげる。お母さんのお店には魔道具がいっぱいあるから勉強になると思うわよ」
「今日行くのは?」
「魔術は神様にご挨拶してから。今日はジルが来てくれるからいい子にしてるのよ」
母は立ち上がると手をひらひらさせて部屋を後にする。母が家を出た後は家を探索する時間だ。
ジルというのは我が家に勤める家事手伝いのひとり。多忙な両親に代わって俺の面倒を見てくれる白髪のおじいちゃん。礼儀正しいすらっとした立ち姿とそれに似合わない柔和な笑顔がトレードマークだ。俺の両親も一目置いているようで、家族で話すときはジルのように礼儀正しい紳士になりなさいと再三言われた。無論、俺も慕っている。
いつも通りならばもう30分もすればジルが来る。それまでにかの警句について少し試してみよう。
……とは言ってみたもののどうすればいいのかわからない。何か魔術的な意味があるのか、あの言葉そのものに意味があるのか。俺の知ってる魔術と言えばMPや魔力を使うだとか10万3000冊の魔導書だとかそんなものだ。どれも創作物に出てくるおとぎ話で手がかりになるようなものではない。
「うーむ」
足を投げ出し地べたに手をついて唸る。魔術という方面から攻めるのは明らかに知識不足。3歳になるまで待つべきだろうな。
であれば後者から攻めるべきか。言葉そのものに意味があるという可能性についてだ。
「崩壊を以て貫通を為す、か」
——ッ!!
口にしたその瞬間ズキンという頭痛と共に視覚的イメージが眼球を跳ね回る。俺は頭を抱えてベッドの上をのたうち回る。
「アアアアアアアアアアア!!!!!」
都市が焼けている。
単なる火事ではなく戦火でもない。
ただ、都市が焼け爛れている。
その中央に聳え立つ城の最上階、玉座に座るは王。
かの王の心臓に突き立てられたのはたった一本の槍。炎に照らされ黒く輝いている。
城壁にはぽっかりと開いた穿穴。さらに槍の直線上にあるすべての物体に穿穴が続いている。
かの槍は投擲されたその直後からその放物線上の全ての物体を貫通し王の心臓を貫いた。
その距離約800m。何物にも阻まれぬ貫通の槍。
放たれたが最後、一切の情なく標的を殺す屠殺者。
そして最後に目に入るのは穿穴の連続の先、この槍を放った屠殺者がいるはずの場所。
——そこには俺の姿があった。
「——ッ!!ハァ……ハァ……」
映像の奔流と共に頭痛も終わる。どういうことだ。姿かたちは青年になっていたがあれは間違いなく俺だ。だとすればあれは俺の記憶?……そんなはずはない。前世の俺は生粋の日本人で黒目黒髪だったのだから。
逆に俺の記憶であるはずもない。今現在俺は3歳にも満たない赤子だ。青年の姿で、しかもあんな凄惨な戦場に立った経験などないはずだ。
だとするなら……あの映像は何だ?
まさか。
推測の域を出ない。
妄想の域とさえ思える。
しかし異世界転生した身だ。可能性がないなんて言いきれない。
「——あれは俺の未来?」
そこでやっと全身から力が抜けていることに気づく。
俺は重力に従って床に打ち付けられ、意識を失った。
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1244年10月
ルーカス・シュタイナー、リーニャ・シュタイナー及びアルベルト・シュタイナーの生存を確認。ステータスレポートを更新。
ステータス
名前:アルベルト・シュタイナー
俗称:なし
生得魔法:適性あり・詳細不明
一般魔術:適性あり・詳細不明
技能:不明
耐性:不明
R:不明
備考:
1244年 自室にて悲鳴を上げのたうち回った直後に意識を失う。
身体の脱力が見られたため、体内魔力枯渇によるものと推定。
なんらかの生得魔法の暴発と考えられる。