0. 誕生
「その願い、この輪廻人が承った」
「生とは苦しいものだ。けれどこれは君が望んだこと、恨んでくれるなよ。」
「餞別に私の身体に刻まれた魔法を君に教えよう。祝福とでも思ってくれ。見ていて、そして忘れないように。」
「崩壊を以て貫通を為す。都市を壊せし神の槍、その真名を示せ。——屠殺者」
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ハローワールド、こんにちは。
俺の名前は西園寺静馬。32歳、独身。IT企業の人事部に勤めているなんてことない会社員さ。
誰か俺の声が聞こえるやつはいないか?今結構ピンチでさ、出来たら助けてほしいんだ。
昨日、会社の忘年会でしこたま飲んで意識失ったっぽくてね。気が付いたら眩む目玉で知らない天井を見上げてたってわけよ。で、起き上がって状況を確認しようと思ったら手足がうまく動かない。全く動かないわけじゃないんだけど思い通りに動かないって言えばいいのかな。立とうと決意して身体を動かしても手足じたばたしちゃうんだ。目は見えるけどなんか眩しいし。もしかして俺の脳みそなんか壊れた?綱手様の術でも食らって神経めちゃくちゃになっちまったか?
だからこうやって助けを求めてるわけ。お願いします誰か助けて。
ここまで喋ってみて、さらに重大な異変に気が付いた。
「あーー、うーーー」
声がうまく出ていない。舌も思うように動かず、発していたはずの言葉も言葉になっていない。もしかしたら自分の体はどうにかなってしまったのではないかという不安を必死にかき消す。酒を飲みすぎだと定期健診でも注意されていたがずっと無視してきた。そのつけが今回ってきてるんじゃないか?……いやきっと間違いだ。アルコールでこんな症状はきっと出ないはず……。
——バンッ!!
「リーニャ!!」
眩しさに目を細めたまま首をひねり音のした方を見る。俺が寝ているベッドの脇に立つメイド服の女のその先、西洋風の広々とした部屋の入口に人間らしきものが立っているのが見えた。どうやらあの男がドアを蹴破り入ってきたらしい。あれは……プレートメイル?プレートメイルを身に着けた金髪の男がこちらへ駆けてくる。
宮殿の一室のような装飾華美なこの部屋も、メイド服で静かに佇んでいる女も、騎士風の男も、すべてが俺の不安を掻き立てる。しかし不思議なことにこんな光景は現代ではありえないとわかっているはずなのに、どれも夢のような違和感はなくおさまりが良い。シャンデリアに照らされ部屋に落ちる影は、どれもまるで現実であるかのような重みがあるのだ。
「……ルーカス。私に似て整った顔立ちの子が生まれたわよ」
すぐ近くから女性の声が聞こえ、驚きながらそちらへ首をひねる。
——すると目の前におっぱいが見えた。
「あえ!?う、……」
変な声と共に体が硬直する。艶めく長い黒髪に小さな顔、大きなたれ目。半裸の女性の腕に抱かれぷるっぷるのおっぱいが目の前に鎮座していた。え?どういう状況?なんで俺はこの女に抱かれてる?
「ふふ、どうしたのかしら。もう私の美貌に見とれてるの?」
そう口にするとリーニャと呼ばれた女は額に汗を浮かべたまま気だるげに上体を起こす。俺に向かって目を細め柔らかに微笑み、気づけば彼女の手が俺の頭を包み込む。……その手の温かさを感じるとひとつの違和感が俺を襲う。……手、でかくね?
「ああ、この子が……」
ルーカスとやらが俺を抱き上げる。彼の堀の深い顔が眼前まで迫り、揺れる金の長髪が頭皮に触れる。背に触れた男の手のひらは岩のように固いタコで覆われ、俺を抱きかかえる腕は筋肉でカチカチだった。……?抱き上げる?
男は震える目頭から一筋の雫が流れると同時に口を開く。
「よく生まれてくれた、我が息子よ。きっといつか民を導く気高き光となりますように。お前の名は——。」
——アルベルト・シュタイナー。
俺に向かって涙ぐんだコワモテのおっさんが告げる。こいつは何を言っているんだ?アルベルト・シュタイナー?民を導く気高き光?初めまして俺は西園寺静馬で……。
必死に確信をかき消すように身を捩る。その過程で不意に鏡に映るルーカスが目に入る。もしあれが本当に鏡ならば、俺を抱きかかえるルーカスが写るはずだ……。そう、32歳を抱きかかえるムキムキ長髪おじさん。BL本の表紙みたいな姿が写っていなければおかしい!!
ルーカスの腕の中にいたのはちっちゃいつるっぱげ。丸々と太った顔にちぎりパンみたいなおてて。
——またの名を赤ん坊。
「おえ、ああんおーいあーえう!?」
回らない舌と制御のできない声帯で力いっぱい叫ぶと両の瞳から涙が噴出した。父と母がのちに「遅すぎて変な産声」と笑う悲鳴を上げ、俺は誕生した。
そして、同時にお調子者で酒浸りの人事の俺は異世界とやらに転生してしまったらしい。転生モノでは死んだら転生が定番だろ。俺まだ死んでないって。……もしかして俺、急性アルコール中毒で死んだ?待て待て、そもそも転生ってフィクションだろ。なんで俺がこんな状況になってるんだ。薬でも盛られてラリってると考える方が現実的じゃないか?いや待てそんな状況も現実的じゃない。俺はただの会社員で飲み会で調子乗っただけで——。
「わ、り、リーニャ。私はどうすればいい?」
父は俺が泣くのを見て動揺し、それを見た母が俺を抱く。母の胸に抱かれるとその柔らかさと温かさで俺の混乱は煙のように溶けていく。やがて頭にかかった霧が晴れ、母の顔を認識したところで強烈な眠気に襲われた。
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1242年7月
ルーカス・シュタイナー及びリーニャ・シュタイナーの生存を確認。ステータスレポートを更新。
アルベルト・シュタイナーの出生を確認。以下を新たにアルベルト・シュタイナーのステータスレポートとして添付する。
ステータス
名前:アルベルト・シュタイナー
俗称:なし
生得魔法:不明
一般魔術:適性あり・詳細不明
技能:不明
耐性:不明
R:不明
備考:
1242年 出生直後、産声を上げず探索的な行動あり。Rと確定するには情報が不足。
かわいかった。子どもの出生に初めて立ち会いましたが感動的なものですね。