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メンヘラ令嬢、いざ、王宮へ

 前世の私には、小学生の頃からずっと好きだった一人の作家がいた。

 少女小説レーベルで活躍する人気のベテラン作家だ。

 若い女の子向けの作風ではあるが、ドキドキするような中高生が主人公の恋愛小説から、胸躍る壮大な冒険ファンタジー、時には社会情勢を反映したダークな純文寄りのものまで、様々な物語を紡ぐ作家だった。


 初めてその人の作品に出会ってから、私はお小遣いを貯めては既刊を買い集め、新刊が出れば発売日に本屋に走っていの一番手に入れて読み耽った。

 中学生になり、高校生になり、新しい趣味ができたり交友関係が変化したり、社会人になって生活ががらりと変わっても、その習慣だけはずっと続いていた。

 パワハラで心を病んでも、だ。


 5年ぶりに発売された新刊を、閉店間際の書店で受け取って、私は家に着くなり、これまでのように早速開いた。待ちに待った先生の新作だ。陰鬱な気分も、これで慰められ、明日から頑張れるだろう、と思ったのだ。


 だが、病んで疲れ切っていた私の脳は、活字を追うのも一苦労なほどに機能低下していた。文字を目にしても理解するのに過剰な時間がかかり、ようやく意味がわかっても、描かれた想像の世界に没入することが難しい。

 その事実は私を打ちのめした。


 人生の半分以上を共に過ごしてきた、大事な存在だった先生の作品にすら、まともに触れることができないなんて。すべての希望を失った気分だった。


 それでもなんとか、話の大筋だけは最後まで追うことはできた。


 ヒロインのラーリアは、平民の身分に生まれ、幼い頃に孤児となった少女だ。小さな孤児院で過酷な生活に翻弄されながらも気丈に、天真爛漫に育ち、17歳になったある日、100年に1度神からもたらされる恩寵、「聖力」を発現させたことをきっかけに、王宮へと招かれる。ろくな教育を受けずに育ったラーリアは、王宮で通用する教養やマナーを教わることになった。その教師役として登場するのが、ファドナ・ダレンシア伯爵令嬢だ。


 私がラーリアに出会ったのは半年前のことだ。あの日の衝撃は忘れられない。


「はじめまして! ラーリアです! よろしくね!」


 屈託のない、しかし礼儀のれの字もない挨拶をかまされて、私は腰を抜かしそうになった。


 ラーリアは物怖じせず、底抜けに明るく、エネルギッシュで、これまで貴族社会に揉まれてきた私が出会ったことのないタイプの人間だった。粗野で不作法で品のない口調や振る舞いに毎日めまいを覚えながらも、同時に、憎めない愛しさも感じていた。


 だが、私に任ぜられたのはあくまで彼女を一人前の淑女に育てることだ。とてつもない難題だった。必然的に厳しく接することもあった。根をあげて逃亡する彼女を追いかけ回したこともある。我慢ばかりもしていられず、思わず声を荒らげてしまったこともあった。そういう姿を間が悪くカリオス殿下を始めとする男性陣に目撃されることが度々あったせいで、一部の人間には私が立場を利用してラーリアをいびっていると思われていた。


 それはわかっていたし、気にするまいと思っていた。宮廷女官として命じられた任務さえ達成できれば、周囲になんと思われようと、ラーリアに嫌われようと、構わない。

 ラーリアが私のことをどう思っているのか、私はずっとわからないまま、考えないようにしていた。


 神に選ばれた聖女として王宮にやってきた平民出身のラーリアは、よく言えばめげない性格。悪く言えば、図太かった。


「文字を書くの、難しいよー!」


 読み書きと縁遠い17年を送ってきた彼女は、色々教える中で、「書」が一番苦手だった。ペンの持ち方すらいつまでも危うい。机に突っ伏して駄々をこねるラーリアに、私は冷静な口調で言い放った。


「聖女として王宮で暮らす身分になれば、公的な書類を書いたり手紙のやりとりをする機会がとても多くなります。一刻も早く綺麗な字を書けるよう、毎日練習してください」

「やだー! 腕が疲れたー!」

「せめてご自分のお名前をあと30回は写してください」


 頬を膨らませながら身体を起こして、少し考える仕草をした後、ラーリアは唐突に言った。


「ファドナは?」

「はい?」

「ファドナ、はどう書くの?」

「私の名前の書き方を聞いてどうするのです」

「だって、手紙を書くために文字の練習するなら、私の名前じゃなくて、他の人の名前の書き方を覚えた方が良いんじゃないの?」

「仮にそうだとしても、私の名前を覚える必要はないと思いますが――」


 あのときは呆れたようにそう返したが、前世の、この物語を思い出した今なら、わかる。

 ラーリアが生まれて初めて書いた手紙の相手は、私だ。


 すさまじい悪筆「ふぁどな じょう へ」の後――本文は、もはや字が汚すぎて読めやしない。

 でも、だいたいの内容は、物語を思い出したことによって、わかった。


 自分があのパーティーに遅れて到着したせいで、私が誤解され王子殿下に糾弾され王宮を追い出されたと聞き、ラーリアは、心配して必死に手紙を書いてくれたのだ。


 私は小さく笑いながら、その便箋を胸にきゅっと抱きしめた。


 そのとき、突然、ニーナの悲鳴が私の思考に割って入った。


「お、お嬢様……!」


 離れた場所にいた護衛の者たちもざわついている。


 私はゆっくりと振り返って、そこに起こった出来事を目視すると、呆気にとられた後、気の抜けたため息をついた。


「あー……なるほど、本文に書いてない部分で、こういうことが起きていたわけか……」

「お嬢様、早く逃げないと……」

「大丈夫、ニーナ、下がっていて」


 獄卒二人組が破壊していった石の塔たちが、偶然にも魔法陣の形を作っており、人智を越えた邪悪な力の流れを発していた。


 傷つき心を病んでしまった悪役令嬢のファドナは、闇の力に呪われてモンスターと化し、王宮に攻め入る。ラーリアの聖なる力との戦いは物語のクライマックスだ。


「ニーナ、私、ちょっと王宮に行ってくるわ。心配しないでと、お父様お母様に伝えてちょうだい」

「お嬢様!? どういうことですか、やめてください!」


 しがみつこうとする愛しいメイドを振り払うと、私は禍々しい光を放つ魔法陣の中へ飛び込んだ。


「うっ……」


 身体が、頭が、しびれるような衝撃に襲われる。


 でも、大丈夫だ。私は、この先の展開を全部知っている。


 知っていて、理屈は理解していて、でも心からとけ込めなかったこの世界と、物語に、今、私は、確実に生きている。


 そして、それは、私を今度こそ確実に、救ってくれるのだ。

おわりです!

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