83・魔物狩りよりやっかいな戦い
ユリアンの相手と城内の見回りを終え、庭園でミアは一人考え込んでいた。思うところあって騎士服のままだ。帯剣もしている。
一人と言っても、護衛とも見張りともつかない衛兵数人に、離れたところから見られているのだが。王子の護衛に抜擢されたとはいえ、ミア自身が危険な能力の持ち主であることに変わりはない。
(お城はやっぱり息苦しいな)
今なら少し、家出したディートハルトの気持ちがわかる。ゲートルドから逃げ出した母モニカの気持ちも、王都を出奔した父ローレンツの気持ちも。
(アンネリーゼお姉様も……)
国一番の聖女で第一王子の婚約者というのはどんな気持ちだろう。晴れがましさばかりではないと思う。国の従属物みたいなものだから。
気晴らしに騒々しい夜会へ繰り出す程度なら、村にいた不良娘の貴族版みたいなものだ。もしアンネリーゼがその程度のかわいい不良娘だったら、ディーが第一王子だと気付くこともなく、気付いたとしても思い出の箱に入れて蓋をして、ミアは聖女覚醒を拒みキュプカ村へ帰っていたのかもしれない。
(――お粗末な魔法陣が、シシィとヘッダの部屋の前と、ワスが滞在する予定の部屋の前に一つずつ)
今日の見回りの結果だ。
もちろんすぐに封じた。
城の守衛は、貴人や貴人の護衛の行動範囲は厳しく警戒していたようだが、それ以外の使用人や客人まわりはそれほど厳しくしていなかった。普通に考えたら、使用人や客人を連れ去る理由など誰にもないのだから当然だ。
(普通に考えたら、ね。普通じゃないあの人の考えることは大体わかってきたな)
アンネリーゼは知っているのだ。ミアが、ミア自身よりも、まわりの人々が傷つけられるのを恐れることを。
新たな魔法陣は、ジェッソが移動させられた魔法陣よりだいぶ拙い出来だそうだ。別の人物が描いたものであることは明白だとジェッソが言っていた。二、三日しか保たないであろうお粗末な魔法陣は、今回も貴族専用の馬車どまりに通じていた。
アンネリーゼは、大した手駒を持っていないのかもしれない。
ならばミアがこうして一人でいれば、本人が出てくることがあるかもしれない。
ミアはアンネリーゼと話がしたかった。
旅の間もずっと考えていた。
彼女の能力。大いなる聖女の力。特出した癒しの力――。
秋風に木々が揺れる。
ミアは魔力が読めるし、魔物の気配がわかる。
魔力など異能を持つ人間の気配もわかる。
魔物と魔法使いの気配が大して違わないのも、聖女になって知った。
大して違わないのに、どうして魔法使いは魔物にならないのだろう?
「ミア」
呼ばれてミアは顔をあげた。
強大な魔物の気配がしたから、大きな魔力を持つ誰かが近づいてきたのは気付いていた。王様でもディーでも父親でもなかったから、たぶん彼女だと思った。
「……アンネリーゼお姉様」
二番目の姉と目を見合わす。
カレンベルク家でも聖堂でも、姿だけは遠くから見ていたけれど、視線を交えるのは何年ぶりだろうとミアは思った。
「余計なことをしても無駄よ」
魔法陣を封じたことを言っているのだろうか。
「わたしにとっては無駄ではないので」
もうこれ以上、大事な誰かを傷つけられたくない。
「わたくしが無駄と言ったら無駄なの。妾の子はでしゃばるなと言ったわよね?」
「妾の子ではないですし、もう扇でひっぱたかれないですし、シシィとヘッダも、仲間もキュプカ村も、わたしの手で守れます。わたしと、仲間の手で」
ミアは剣の存在を示すように、柄に手を置いた。
「それに、あなたの力を封じることもできます」
ザアッと強く突風が吹く。
アンネリーゼは身じろぎもしなかった。自然の風など、魔物に近しい存在にとってはなんでもないのかもしれない。
魔法使いや聖女は、精霊のしもべというより、精霊に見張られている魔物なのかもしれない。アンネリーゼだけではなく、自分もまた。
「でもわたし、あなたの力を封じたくない。旅の間、何度も思ったんです。国境の魔物被害を見て……魔物に害された人たちを見て、ここにアンネリーゼお姉様がいたらなって。アンネリーゼお姉様なら、どんな酷い怪我でも一瞬で治してしまえるのにって。だから――」
「平民の怪我なんて治さないわ。こう言ったら、あなたはわたくしの力を封じるの?」
「……いいえ」
「できないわよね? だってわたくしの力は国から求められているのだもの。もし陛下がお倒れになったら? 大怪我をされたら? わたくしが治すのだもの。一瞬でね。王族や貴族だって病気になるし怪我をするわ。だから皆、わたくしを求めるのよ。病気や怪我がこの世からなくならない限り、皆がわたくしを大切にするのよ」
「……」
「皆、あなたよりわたくしを大切にするの。古代の聖女なんて、千年いなくたってどうってことなかったじゃない。いらないのよ、あなたなんか」
「アンネリーゼお姉様……」
「あなたなんかどっかにいっちゃえばいいのよ」
「わたしはどこにも行きません」
「なら一生怯えて暮らしなさい。あなたの仲間とやらはどれだけいるのかしら? ずっとずっと、全員守れたらいいわね。できるかどうかしらないけれど」
アンネリーゼは艶然と微笑んだ。
この人は。
この魔女は。
ミアは体が震えてくるのがわかった。恐れではない。
怒りだ。
「どっかにいっちゃえばいいだけよ。別に死ななくたっていいのよ。ディートハルトだってあなたにあげるわ。あんな男いらないもの。その代わり、二人でどこかへ消えて? できるでしょ。あの男、どこかへ消えたことがあったじゃない。同じように二人でお城から消えればいいのよ。外国がよくってよ。ゲートルドとか」
「ディートハルト殿下はハルツェンバイン国で必要とされています……!」
この人は何を言っているのだろう?
ディートハルトがやり遂げたことを一体何だと思っているのだろう?
自分にとって不必要ならば、殺すかどこか見えないところへ排除すればいいと思っているのか。
「あなたたちが手を取り合ってお城からいなくなれば、あなたの仲間は誰も傷つかないのよ。あなたたちがいなくなっちゃえばいいのよ。それで済むのよ。それだけよ」
不穏な空気を察したのか、ミアを見張っていた衛兵が近づいてきた。
「わたくし、やさしいでしょ?」
アンネリーゼは美しいほほえみを残し、ミアに背を向けた。
風がアンネリーゼの濃紺の髪を吹き上げる。
ミアはアンネリーゼの後ろ姿を立ちすくんで見送るしかできなかった。
「ミア!」
衛兵を追い越し、ディートハルトとジェッソが駆けつけて来る。
「今、アンネリーゼと……」
「話しました」
「何を話した?」
「ハルツェンバインから出ていけって言われました。殿下と二人で出ていけと。さもないと仲間を傷つけると。殿下、わたし……」
「ミア、真っ青だぞ」
「怒りに任せて聖女アンネリーゼを封じてしまいそうになりました」
ミアは両手を握り締めた。
自分をなだめるのに必死だった。
ここで感情に流されてアンネリーゼを封じてしまったら、彼女と同じになってしまう。国の宝である聖女の力を私憤で封じるなど、それは大地の精霊の意志に反してしまうのではないか。
そう思って、必死に耐えた。
「……ここでの戦いは、魔物狩りより余程やっかいだな」
ディートハルトはそう呟くと、重々しくそびえ立つ王城を見上げた。




