73・聖女の横顔
アジトの庭から聞こえる話し声で、ミアは目を覚ました。
あんな突然の求婚をされて眠れるわけがないと思ったのに、しっかり眠れた。長旅と魔虫襲撃で疲れていたのだろう。
(正妃って。正妃にするって。それってそれって)
「ひえええええええ」
昨晩のディートハルトの言葉を思い出し、ミアは両手で頭を抱えて毛布に突っ伏した。
ディートハルトはアジトではなく町の宿に泊まっている。きのう去り際に「さっきの話は本気だぞ。わかってるな?」とミアに念を押して行った。余韻もへったくれもないなと思ったが、変に甘ったるいことを言われたら悶え死んでしまうから、むしろ良かったと思う。
(五年前の自分に『ディーに求婚されるよ』って言ってあげたい)
ディーがアジトを去ったときは散々泣いたし、しばらく立ち直れなかったから。
問題は山積みなのだが、とにかく頑張ろう、とにかく片っ端から頑張ろうと意欲がわく。愛の力は偉大である。
(それはそうと、なに庭先で騒いでるんだろ)
窓から見下ろすと、特級魔獣の死骸のまわりにギルドの人たちが大勢集まってやいやい話している。
ミアは庭に出てみることにした。
「クソ領主がとっ捕まったのはいいけど、特級魔獣が買取禁止のままだと困るんだよ。俺らの収入的に」
前庭で、エリンが困り顔でミアに説明する。
「どこにも売れないの?」
「領内の業者には売れない。特級魔獣を買い取ったのがバレると業者が領主に処罰されるからな。今やその領主が捕らわれの身だけど、まだ公になってないから禁止も解けないし、いつ解けるかもわからないし。領外の業者か闇業者に持ってくしかないけど、どうする?って話し合ってたんだ」
「俺らが直売できればいいんだけど、販売許可証なしで販売業者以外に売ったら国から罰せられるからね」
クリンもため息をついている。
家族を抱える冒険者たちは全員悩ましげだ。領外に出るには日数がかかるし、闇業者は買取価格が安くて儲からないし、どっちにしろいいことがない。
しかし。
「……わたし持ってる。魔物素材の販売許可証」
「「「「あっ」」」」
みんなの顔が一瞬で輝く。
アウレールはミアが販売許可証をもらったとき、変なものを喜ぶと不思議がったが、ほれみろと思う。
権利は大事だ。ドレスや宝石なんかより、ずっと。
善は急げというわけで、さっそくギルドの事務所を急ごしらえの魔素材店舗にした。店長は許可証を持っているミアである。ギルドの面々が武器や防具の職人などに「凄い出物がありまっせ」と営業に行っている間、ミアはギルド長の椅子にどっかり座って店番をやっていた。
特級魔獣狩りに来たのになぜ魔素材屋をやっているのかよくわからないが、みんなの役に立ててよかったと思う。
(わたしの実力というよりお義兄様のおかげなんだけどさ)
アウレールも本業は武器屋(?)、特級魔獣の素材なら欲しいんじゃないかしら、まだまだ特級魔獣狩りの旅は続くのだし、営業かけてみようかしらなどと考えていたら、カランと鈴の音が鳴るとともに事務所のドアが開いた。
「いらっしゃいませ~……は?」
「少々伺いたいことが……なっ」
来訪者と顔を合わせてお互い絶句する。
「お義兄様、どうして!?」
「なんでミアがここに!?」
「事情があってここで魔素材屋を始めまして。お義兄様のおかげです」
「待って。どこから何を訊いたらいいかわからない」
「あっそうだ。こちらがただいま扱っております素材のリストになります。お義兄様もいかがですか。滅多に入荷しない貴重な品多数ですよ」
「えっ、これは凄いな……。いや待てそれどころじゃない。ミア、お義父さんが行方不明なんだ。北領に向かう馬車に乗っていたって目撃情報があったんだけど――」
「お父様ならガウのアジトにいますよ。ていうか、お父様また家出だったんですか?」
いい歳して性懲りもなく、また?
「アンネリーゼを止めるって書き置きだけあって。ドロテアが追いかけるって言うから、一緒に来たんだ」
「ドロテアお姉様もご一緒?」
「今、馬車の中で待ってる」
ミアはバン!と机に手をついて勢いよく立ち上がった。
「ちょうどよかった。助かります!」
冒険者ガウの質素なアジトの一室で、公爵の父と公爵令嬢の姉が顔を合わせているこの不思議。
ミアは夢を見ているような気持ちで、アウレールとともに親子の邂逅を見守っていた。
「酷いお怪我を……」
父親の包帯をとったドロテアが、痛ましげに怪我を見る。
「すまない、ドロテア。治療を頼むよ」
「従者もつけずに赴くからです。わたくしが、どれほど心配したとお思いですか」
「すまなかった」
「わたくしはもう子供ではないのですよ。心配ごとがおありなら相談してくださったらよろしいのに。アンネリーゼは家族ですよ。わたくしだってあの子の行動には責任があります。一人で思い悩まないでくださいませ」
「あの子をあんなふうにしたのは私の責任だ。ドロテアは何も悪くない」
「悪いのは誰だというお話ではありません。あの子を救い導くのは誰だというお話です」
「ドロテア……」
「お口を閉じてくださいませ。気が散ります」
ドロテアは父親の頭に手を当てた。部屋に静けさが満ちる。
ミアは一番目の姉の落ち着いた横顔をそっと眺めた。
もしミアに絵心があって、癒しの聖女の絵を描くとしたら。アンネリーゼでもコルドゥアでもなく、ドロテアの物静かな横顔を描くだろうと思った。
どれほどの時間が経っただろう。
父親が、ぽつりと言った。
「ドロテアの手はあたたかいね」
「そうですか」
そっけなく、姉が応える。
「聖女の手はあたたかいんだな」
大聖女を妻とし、第一位の聖女を娘に持つ男が、今はじめて知ったかのようにそう呟いた。




