71・寒村の片隅で愛を叫ぶ
宵の口の魔虫騒ぎなどなかったかのような、アジトでの静かな夜。
傷を清めて包帯を替えたのちも、ミアは父親の傍らについていた。ローレンツは気を失ったままベッドに横たわっている。
ミアはしげしげと実の父の顔を眺めた。何人もの人に「似ている」と言われたことがあるが、自分ではぴんとこない。こんなにおとなしそうな顔はしていないと思う。
(こんなにおとなしそうなのにあの魔力……)
空に浮かんだ巨大な火の球を思い出す。あの力は王族を越えそうだ。
王家と縁続きのカレンベルク公爵家へ婿入りするくらいだから、父の生家の侯爵家もどこかで王族の血が混ざっているのだろう。
そう考えれば不思議はないのだが、あの魔力にはびっくりした。
強大な破壊力が父ローレンツのイメージにそぐわないので……。
「ミア、交代しましょ。ごはん食べたら?」
母モニカが入ってきて、ミアの隣に座る。
モニカは赤ん坊を抱いていた。キュプカ村でも乳母をやっているらしい。
「だいじょうぶ? 生きてる? 死んだ?」
「生きてるよ。不吉なこと言わないで。元恋人でしょ」
「こいつにとっちゃ十何年も前に捨てた恋人だけど、あたしは一年しか経ってないのよ。たまに死ねって思うわ」
「より戻せば?」
「嫌ぁよ。こんな全方位的にめんどくさいやつ。なんなのよあのクソデカ魔法」
モニカは元恋人に向けて、おもいっきり眉間にしわを寄せた。
「しらなかったの?」
「きいてない。魔力量大きいなとは思ってたけど。まあその点はお互い様ね」
父と母は恋人時代、お互いの強大な力を知らなかったというわけだ。
「あたしたち二人とも、お互いが持つ力からなんとなく目を背けてたってことかしら」
「……」
「なんかごめんね。こんな両親で」
モニカはぐずり出した赤ん坊をあやしながら言った。
「別にうらんでないよ。ガウがよくしてくれたし」
「うん。ほんとガウありがとうだわ。ガウにはいっぱい長生きしてほしい」
「うん。――その子、お母さんどうしたの?」
「魔物の被害にあってね。命に別状はないけど、療養中で大変だから、たまにあずかってる。あんたにあげるはずだったおっぱい、役に立ってるわよ」
「そりゃよかった」
「あんたも村の誰かに貰い乳してたはずだしね。おっぱいは天下の回り物だわ。はいはーい、今あげまちゅよー」
モニカが赤ん坊に乳をふくませる。一心不乱にお乳を飲む赤ん坊を見ていると、何に対しても怒る気が失せてくる。それはモニカも同じようで、
「ローはムカつくけど、この子救ってくれたから良しとするわ」
と言った。
「うん。お父様……お父さん……父さん……なんて呼んだらいいかわかんないな……。ともかく、元気になってほしいよ。癒しの聖女じゃなくて今ちょっともどかしい」
「癒しの聖女ならこいつの娘に凄腕がいるでしょ。難ありだけど。呼びつけたら?」
「うん……」
「冗談よ。いくら凄腕でも、あんなやつ来てほしくないわ」
「……」
凄腕の癒しの聖女、アンネリーゼ。
ミアは父との不穏な会話を反芻せずにはいられなかった。
「伯爵を止めるんだ。アンネリーゼが」「アンネリーゼに村人を殺させたくない」。
あれはどういうことだろう?
姉が魔虫の襲撃を望んだというのか。
キュプカ村を壊滅させようとしたというのか。
そうだとしたら、なぜ?
(わたしを……苦しめるため?)
その可能性にたどり着くと、ひゅうっと息が苦しくなる。けれど何度も考えてしまう。
(アンネリーゼがわたしを苦しめたいなら、それはなぜ?)
ディーのそばに、自分がいるからだろうか。
ディーはアンネリーゼの婚約者なのだから。
「ミア、顔が青いわよ。疲れてるんじゃない?」
モニカが顔をのぞきこんでくる。
ミアはぎこちない笑顔を返した。
「ごはん食べてらっしゃいよ。カレンたちがおいしーの作ってくれたからさ」
「うん」
心配するモニカから逃げるように、ミアは席を立って部屋をあとにした。
食事のあと、ミアはランプを持ってアジトの裏庭に出てみた。
前庭は魔物の死骸があって、食後の気分転換には適さない。裏庭は、毎日花を供えていたモニカの墓石――石化したモニカ自身だったわけだが――がなくなっていて、変な気がした。
(母さんのお墓の前ではじめてディーに会って、お別れの日はお墓の前で抱きついて泣いたっけ)
あれからの日々が目まぐるしすぎて、五年どころではない大昔に感じる。
(わたし出会った日からずっと、ディーのことが好きだなあ……)
「……好き。大好き」
「なにが?」
「ぎゃっ!」
誰にも聞こえない小声でつぶやいたつもりなのに、返事があって心臓が止まりそうになった。
しかも返事をしたのはディー本人である。悪い冗談みたいだ。
「ななななんでディーがいるの! さっきまで居間にいたのに!」
「なつかしいから、あれこれ見て回ってたんだよ。あんまり変わってなくてうれしい。お頭のお墓はないけど」
ディーは墓があった場所に立って、なくなった墓標のあった場所を見ていた。
「ここではじめてミアに会った」
ディーが振り返って笑う。
「……うん」
「ミアに花を分けてもらって供えたんだ」
「よく覚えてるね」
「あの半年間のことは何でも鮮明に覚えてる。なんていうか、はじめて生きてるって思えたから」
「……」
「思い切って城を飛び出してよかったなって、今でも思ってる。大勢に迷惑かけたけど。それはこれから償ってくってことで」
「ふふ」
「ミアにも出会えたしな。君に会えてよかった」
「うん。わたしも。ディーに会えてよかった」
ディーに会えてよかった。
ここでたくさんのことをディーから教わった。
読み書き、算術、各国の歴史と神話。剣術の基本の型と、二人組で戦う呼吸。とっておきの日に、かわいらしく装うことの喜び。
「わたし、ディーにもらった妖精のドレス、今も持ってるんだ」
「えっ。まじ?」
「今でも一番のお気に入りなの。ちっちゃくてもう着られないけどね。たまにクローゼットから出して、体にあてて鏡で見てみるの。わたし妖精さんみたいだなあって」
「ミア……」
「王都に行っていっぱいドレス着たけど、あの妖精さんのドレスが一番わたしに似合ってたと思う。ありがとうね、ディー。一生大事にす……」
ミアは言葉を続けられなくなった。
ディーの胸にかき抱かれたからだ。
ディーの体温がミアの体を包んで、ディーの吐息がミアの首筋に触れる。大好きなディーの腕の中で、ミアは息をすることも忘れた。
いつだったかユリアンの部屋で、子供のように泣きじゃくって抱きついたときとは違う、ディーからの衝動的で力強い抱擁。ミアをつかまえてもう離すまいとするかのような――。
本当は、わかっていた。
ディーがやさしい手でミアの涙を拭ってくれたときから。
甘いまなざしで綺麗になったと言ってくれたときから。
(ディーが好き。ディーだって、きっと……)
抱擁に応えるように、ミアも力強く抱きしめ返す。
それにまた応えるように、ディーの腕にさらに力が入る。
伝わってしまった。
きっと、自分の気持ちもディーに伝わってしまった。
ディーが好き。大好き。
――でも駄目だ。駄目なのだ。
アンネリーゼのぞっとするような嘲笑が蘇る。
あの姉が、何をするかわからない。
ガウに。エリンとクリンとその家族に。キュプカ村に。フローラに。ドロテアとアウレールに。父に。シシィとヘッダに。ヤスミンに。カレンベルク家の騎士団のみんなに。
――――ディーにだって。
「だめっ」
ミアは力いっぱいディーを押しのけた。
押しのけたくなんかなかった。
ずっと抱きしめていてほしかった。
ディーの腕の中で、ディーの目を見て、ディーに好きだと伝えたかった。
でも――アンネリーゼが怖い。
「ごめんミア、俺――。あっ、待ってくれミア!」
駆け出したミアの手首をディーが掴む。
「離して」
「悪かった」
「離してよ」
「嫌だ」
「離してってば」
「絶対離さない」
「どうして!」
「ミアが好きだからに決まってるだろうが!!」
「わたしだってディーが好きだもん!!」
まるで売り言葉に買い言葉のような勢いで、叫ぶように告白してしまった。




