57・王様vs第一王子
一仕事終えた三人は、程よい疲れとともに王城へ向かう馬車に揺られていた。パウレが「民間の馬車でお帰りいただくなどとんでもない!」と怒るので、王立魔物討伐隊の馬車だ。
「こういうこと言ったら不謹慎かもしれないけど……楽しかった」
王領の森での討伐を振り返り、ミアはしみじみと言った。
「わかる。俺も。ひさしぶりに体動かしたし。ミアと組むのは五年ぶりだけど、呼吸って覚えてるもんだな」
「ね。ほんと」
不思議なことに、ガウのパーティーで一緒に魔物狩りをしていたときの感覚が、きのうのことのように蘇ったのだ。ディーもそれを感じていたのだと思うと、ミアはとてもうれしかった。
「ディーが王子様だなんて信じられないなあ……」
「俺も信じられない」
「なに言ってんの。二十年ずっと王子やってるのに」
「キュプカ村にいたときは王子じゃなかった」
「……そうだね」
「あのころの自分だけが本当の自分のような気がするな。――って、青臭いこと言っちまった」
「あはは」
ミアは力なく笑った。胸の奥がぎゅっとせつなくなった。
「こんなふうにディーに気軽な口きけるのも今だけなんだねえ」
「どういうこと?」
「お城に戻ったら敬語ですよ。ディートハルト殿下」
「まだ城じゃないよ。あー戻りたくないな……」
ディーはずり落ちるように馬車の座席に背をもたせかけると、窓の外を見た。
夕日が野原と街はずれのまばらな家屋を染めている。
「いっそこのままミアと逃げたい」
「……えっ」
ミアは言葉を繋げなくなった。冗談だと分かっているのに、心臓が大きく跳ねる。
「あ、あ、あの……」
ディーの隣でずっと石のように押し黙っていたジェッソが、主人のなげやりな体勢とは逆にしゅっと背筋を伸ばして、何か言いかけた。
「なんだ? ジェッソ」
「そ、そ、そのようなご要望とあらば手をお貸しします!」
後半ほとんど聞き取れないほどの早口で、ジェッソは言った。
「ジェッソさん、ディーは冗談で……」
「いや。冗談でもないんだよね」
「は? ディー、何言ってんの」
「いつか頼むかもしれない。でもまだ逃げない。やることがあるから」
ディーは窓の外に向けていた顔を戻し、ジェッソを見て、ミアを見て、笑った。
とっぷりと日が暮れたころ、一行は城へ戻った。ミアは言いつけを守らず外で遊び惚けてきた子供の気持ちだった。
王立魔物討伐隊の馬車に第一王子とミアが乗っているのを確認した門番は、泡を食って王の元へ報告に走った。
間違いなく怒られる……。しかも、王様から。
ミアも、ディートハルトも、ジェッソも、緊張で背筋がぴんと伸びていた。
最初に怒鳴り込んでくるのは誰だろう。まさか王様や王妃様は門まで来ないだろう。宰相か大臣か女官長かなと思っていたミアだったが、馬車の窓から見えたのはドレスをひるがえして突進してくる王妃様だった。
「げっ、母上!?」
ディートハルトが青ざめるのと同時に、馬車の戸が勢いよく開く。
「このバカ息子がーーーーーっ!」
ガコンッ!
王妃のゲンコツが第一王子の頭に見舞われた。
「いでーーーーーっ!」
「貴様、どれだけ勝手したら気が済む? 生きた心地がせんわ!」
「無事に帰ってきたじゃないか」
「無地に帰ってこなかったら何人もの首が飛ぶわ!」
「父上はそんなことしないだろ。俺が死にかけても全員お咎めなしだったじゃないか」
「へらず口を叩くなーーーーーっ!」
再度ゲンコツが炸裂する。
ミアは怯えて固まっていた。これはやってるほうも相当痛いと思う。
「フェリクスは礼拝堂に閉じこもったしユリアンは泣いている。大臣たちは右往左往しているし護衛は打ちひしがれている」
「それは悪かったと思う。本当に」
「さらにだ! お前がミアに手をつけたと噂されているんだが?」
「あっ、それは想定内……」
「想定内ぃ!?」
「ミアの純潔は保証する。二人っきりにはなってないよ」
「釈明は城内で陛下とともに聞こう。そもそもお前、城を抜け出てどこへ行っていたのだ」
ディートハルトは帰りの馬車で御者をやってくれた討伐隊員を見た。一緒に王領の森でバシリスク狩りをした仲間だ。
「……証言してくれる?」
第一王子の哀れみを帯びた懇願に、討伐隊員は笑いをこらえた顔でうなずき、王妃に今日の出来事を語った。
ディートハルト、ミア、ジェッソは、王妃の後に続いてホールを通り、謁見の間に向かった。
王城の玄関大ホールでは誰もが足を止めてディートハルトを見て、次いでミアを見た。
そりゃ注目するだろうとミアは思った。
魔物の魔法にやられて寝たきりのはずの第一王子はぴんぴんしており、魔物狩り用の装備を身に着けている。護衛と噂の侍女を連れているが、なぜか侍女も狩りの装備だ。一体どういうことだと思われているだろう。
謁見の間では、王が玉座の肘掛けをイライラと指ではじきながら待っていた。美丈夫の王様の不機嫌な顔は威圧感が半端ない。
「目覚めたら目覚めたで問題のある人間だな、お前は」
王の眼光の鋭さにミアは震えあがったが、ディートハルトはへっちゃらな様子だ。ヤギかヒツジほどの大きさの麻袋を抱えている。ジェッソが持とうとするのを断り、ディートハルトが自らの手で馬車から運んできた。
「申し訳ありません、陛下」
ディートハルトは「父上」ではなく「陛下」と呼ぶのかと、ミアは思った。王家の私的な場ではなく謁見の間だからだろうか。それとも距離を置きたいからだろうか。
「つい先ほど、王立魔物討伐隊二番隊隊長から知らせが届いた」
「なんと。早かったですね。あの隊長が気を回してくれるとは思いませんでした。私は恨まれているはずですし」
「恨まれている自覚はあるのだな」
「それはもう。これ以上彼に恨まれたくないので申し上げますが、今回の討伐は私の命令です。完全なる無理強いです。総隊長命令に背く意志は、二番隊隊長以下隊員全員にありませんでした。討伐隊員のみならず、こちらのミアとジェッソも同様です。ミアとジェッソの討伐参加も私の命令であり無理強いです。咎は私一人が負います」
「――もういい。お前の処分は追って伝える。で、その手に抱えているものは?」
王は額に手を当て、ため息まじりで訊いてきた。
「私を酷い目に遭わせた敵の死骸ですが」
「見せろ」
「今ここでご覧になります? もう見ても魔法にかかる恐れはないですが、絨毯が汚れますよ」
「構わん」
「構わなくないです。誰が掃除するとお思いで? 陛下じゃございませんでしょう」
「……」
ディートハルトの言葉に、王様の額に青筋が立った。
王と王子のピリピリした雰囲気にミアは怯えた。ディートハルトのわざとらしくかしこまった言葉づかいも怖い。相手が王妃様のときとえらい違いだ。
衛兵の手によって敷物が敷かれ、その上にディートハルトは袋からバシリスクの死骸を出した。
王も衛兵も息を呑んで、グロテスクな鶏冠を持つ大きな鶏のような魔物を見た。特級魔獣の中でバシリスクは小型だ。獰猛さよりも魔力に特化した、伝説級の魔物である。
「これが……かの魔物か」
「ミアがいなかったら狩りは命がけだったでしょう。実際、私は一度やられていますし」
王のまなざしがミアに注がれる。ミアは唇を引き結んだ。
ディートハルトが話を続ける。
「陛下。今朝までに各地から届いた文書によると、バシリスクのような魔力の強い魔物による被害が、ゲートルドとの国境付近を中心に増加しています」
「報告は私にも届いている。調査隊を向かわせている」
「調査隊の帰りを待ってからでは遅いのです。特級魔獣が一体でも森に入ると、他の魔物に影響を及ぼすのはご存知でしょう。強力な魔物は魔物を集めます。在来の魔物の魔力を高めもします。早急に討伐に向かうべきです」
「お前が、か?」
「俺だけ行ったって仕方がない」
王の冷ややかな物言いに、ディートハルトの口調が一時戻る。
「魔物被害の現場は北部から西部の広範囲に渡っています。国から討伐隊を派遣してください。二番隊以下全部隊が出てもいいくらいだ」
「特級魔獣の実態も掴めないうちに派遣するなど――」
「危険な特級は私が先行して討伐します。私とジェッソと――ミアが」
ディートハルトがミアのほうを見た。
懇願するような目だ。助けてくれ、手伝ってくれと。
俺のやるべきことに協力してくれと。
ミアはディートハルトの視線を受けて、しっかりとうなずいた。
「何を勝手なことを。ミアは――」
「聖女精察の儀の結果はもう届いたはずです。聖女ミアの存在は明日には公にされるのでしょう? 陛下はミアをどうなさるおつもりだったのですか? とっておきの『兵器』として大事に城に保管しておこうとでも? ……ローレンツ・カレンベルク公爵のように」
――ローレンツ・カレンベルク?
(なぜ、お父様の名前が)
疑問が顔に出たのか、王が一瞬気まずい表情でミアを見た。
「あの大人しいカレンベルク公爵ですら、押さえつけられるのに耐えかねて出奔したのですよ。このミアが、持てる力も使わずに城に安住するわけがない。能力は、使わなかったら持ち主を苦しめます。ミアをそんな目にあわせたくない」
「お前、公爵やミアにかこつけて自分のことを言っているのではないか? いつまでも十五の子供のままだな」
「十五の子供が地方の惨状を文書にまとめて議会に提出しますか? 陛下の許可がなくとも私は動きますけどね。十五の子供のときと違って、貴族の賛同者も多少いるので」
「勝手なことは許さん!」
「ですから、許可を求めます。私としても陛下の賛同があったほうがやりやすいのです。なぜ特級魔獣が増えたのか、理由を調べることだって私の手には余る。私が今すぐできることで、今すぐやるべきことは危険な特級魔獣を駆逐することです。そしてそれは、聖女ミアの協力があってこそ可能なことです。今日、王領の森でバシリスクの討伐をしてみて、そう確信しました。ミアの力は魔物駆除に素晴らしく役に立つ」
「……お前は第一王子だぞ。魔物討伐隊員ではない」
「私が死んだらフェリクスが第一王子です」
「滅多なことを言うな!」
「では言い直します。第一王子の替えは足りていますが、上位魔獣を狩れる討伐隊員は足りません。全く足りません。民間に協力を仰いでもまだ足りないかもしれない。さらに王立、民間双方の討伐隊に指示を出せる人材となると……」
ディートハルトが厳しい目で、煽るように王を見た。
「私以外いますか?」
向かい立つ息子を父親が玉座から睨み返す。
謁見の間はしばし静まり返っていたが、王妃の声が沈黙を破った。
「図に乗るな。青二才が」
「母上――」
「お前はこれを敵と言ったが」王妃はバシリスクの死骸を顎の先で指し示し、「お前を殺そうと目論んだ奴は人間だろうが」と言った。
「そうだけど、今はそれどころじゃ」
「あほたれ。何のためにお前がまだ寝たきりということにしておいたと思っているのだ。魔物と対決する前に殺されたらお前だって浮かばれんだろうが」
「そりゃそうだけど」
「少し待て。追い詰めるから」
「追い詰めるって、誰を」
「お前が今、頭に思い浮かべた狸だ。我々だって遊んでるわけじゃない」
王妃は薄く笑った。




