52・モニカの王宮大脱走
アウレールは驚きと感嘆の入り混じる心持ちだった。
休憩のためディートハルトの病室を出て、廊下の窓から庭園を眺める。もう夕方の光になっていた。今夜もカレンベルクの屋敷には帰れないだろう。
(石化から戻って数分で事の中心になった。なんという方だ)
石化状態でも回復が進んでからは、はっきり意識があったとディートハルトは言っていた。しかし、並みの人間ならまず己の身を案じて、元に戻れるかどうかの不安の中で過ごすだろう。
なのにディートハルトは不安にとらわれるよりも、目覚めた後の行動を思案していた節がある。自覚はなさそうだが、おそろしく前向きだ。
今なら分かる。王都派がディートハルトを亡き者にしようとした理由が。
活力に満ちた前向きな人物に、人々は惹かれる。この若き第一王子が政治の前面に出てきたら、きっと多くの者が追随する。それに気づいた反対陣営は、社交界で馬鹿王子と言われている間にディートハルトを始末しておきたくなったはずだ。
(でも王都派は手遅れかもしれないな)
アウレールは、モニカと共にカレンベルク家へやってきた大衆作家のワスを思い出した。
ワスは犬に噛まれた怪我の治療が済むまで、カレンベルク家に滞在していた。作品について尋ねたら、次回作のモデルは第一王子ディートハルト殿下だと勢い込んで語り出した。
なんでも、地方民の間で、ディートハルト殿下の人気が上昇中だという。
危険な魔物が出て困っている村にふらりと現れ、魔物を始末して去っていく。救っても見合わないと領主が見捨てた寒村でも、王立魔物討伐隊がしぶって来ない僻地でも、第一王子はやってきて、自ら魔剣を振るう。
王都では公務を放って趣味の魔物狩りに行くと呆れられているのに対し、地方でのディートハルトは救世主であり、英雄なのだ。
おそらく何作も第一王子がモデルの大衆小説が世に出るだろうが、ワスはその中で一番おもしろい作品を書くと意気込み、取材にいそしんでいるそうだ。カレンベルク家に縁ができたのも、運命が後押ししているからに違いないと興奮している。アウレールもワスの質問攻撃に遭った。
ディートハルトは、大衆作家が目をつけるような物語をすでに背負っている。
民からの人気。
そこに宮廷の王都派は気付いているだろうか?
(カレンベルク家は、どう振る舞うのが正解なんだ)
アウレールは頭を抱えたくなった。
モニカが暴いた、二つの転移魔法陣。一つは転移先不明だったが、ディートハルトの話だと荷箱の中が転移先だったと思われる。箱は証拠隠滅のため燃やされたようだが、馬車で箱が運ばれた先は、密猟者が使う届け出のない魔法陣であることが分かった。ディートハルトが道中わめき散らしていたため、聞き込みで場所の目星がついたのだ。
問題は、ジェッソが飛ばされたであろうもう一つの魔法陣だ。
転移魔法陣は城の結界を越えられない。転移先は、城の敷地内にある貴賓用の馬車どまりだった。
ジェッソが倒れた時間前後に馬車どまりを利用していた貴族は、バルチュ伯爵だ。
(予想はしてたけど、アンネリーゼが近ごろ懇意にしている家だ)
アウレールは深くため息をついた。
アンネリーゼは、言い逃れができないほど深い関与はしていないだろう。しかし見過ごす気にはなれない。
カレンベルク家の安泰のためにすべて見て見ぬふりをして、暗殺に手を貸した義妹をディートハルトに嫁がせることが、正解だとは思わない。
穏便にアンネリーゼの婚約を破棄させたい。
しかし、カレンベルク家は今、本家の力が強くない。現当主ローレンツが他家からの入り婿であるし、次期当主のドロテアもまだ若い。王家や有力貴族と縁戚になっている元カレンベルク家の者のほうが、宮廷で声が大きいのだ。彼らはアンネリーゼが王妃の座に就くことを強く望んでいる。
(そんなの誰もしあわせにならないじゃないか)
暮れゆく庭園を眺めながら、アウレールは再び重いため息をつく。
ドロテアも今ごろ思い悩んでいるだろう。
すぐにでも屋敷に戻り愛しい妻を抱きしめて、「僕がついてる。安心して」と告げてやりたい。そうしたらきっとドロテアは、まっすぐ自分を見てほほえんで、「うれしいです」と言うのだ。
(アンネリーゼにドロテアの十分の一でも慈愛の心があったら)
カレンベルク家の跡取りとしてのドロテアは厳しいが、聖女ドロテアは優しい。
彼女が王都大聖堂ではなく下町の聖堂につとめるのは、下町の聖堂は常に聖女の手が足りないからだ。ほとんどの聖女は貴族なので、格の高い聖堂につとめたがる。公爵家令嬢が下町の聖堂に入ったら奇異の目で見られるものだが、アンネリーゼとの差を見せつけられたくないからだと嘲笑まじりに納得されるのを隠れ蓑にして、聖女の癒しを求める者が最も多い聖堂を選んだ。
ドロテアはそういう女性だ。
(癒しの力が大きい女性が良い聖女とは限らない)
いつの世からか聖女は権力の付随物になり、ハルツェンバインの聖女の在り方は歪んでしまった。
そんなことを、アウレールは思った。
*****
ミアが目を覚ますと、そこは自室のベッドだった。
(あれ……?)
ディートハルトの石化を解いて、彼がすぐに行動しだしたのを驚きつつ眺めていたら、急に意識が遠のいて――そこから先を覚えていない。
「お目覚めになられましたか」
すっかり馴染みになった王宮医師が、ベッドについていてくれた。
「わたし、倒れちゃいましたか」
「ええ。周囲の方が支えてくださり、転倒は免れたようです。よかったですね」
「はい」
目の前が真っ暗になったとき、すぐ耳元で「ミアどうした」とディーの声を聞いたような気がする。
(支えてくれたのはまさか……。いや、ディーはベッドに座ってたしね)
支えてくれたのはきっとアウレールだ。
「先生、ありがとうございます。もう大丈夫です」
「そうですか? では後は看護婦に任せましょう。そうそう、先ほどアウレール様がお手紙を届けにいらっしゃいましたよ」
医師が小卓から手紙をとって手渡してくれる。
毎日アウレールに託されるフローラからの手紙と、もう一通。
(あっ、ガウからだ)
「ではのちほど」
医師が出て行った後、ミアはガウからの手紙をまず開いた。ディーに再会したと書き送ったから、その返事だろう。
(おどろいてるだろうなあ)
しかし一枚目を読み、顎が外れそうに驚いたのはミアのほうだった。
母さんが蘇った???
なんじゃそら!
手紙の内容はざっとこうだ。
モニカの墓石がなくなった。新入りメンバーもいなくなっていて、置手紙があった。
『モニカが蘇ってミアを探しに行くと言ってきかないので、一緒に王都へ行く』という内容だった。あの墓石は、実は石化したモニカだったのだ。本来ならすぐにモニカと新入りを追いかけるところだが、問題が起こっていて追えなかった。近辺の森に魔力持ちの魔物が出た。一頭ではない。異常事態だ。
(魔力持ちの魔物――)
便箋をめくり、二枚目を読む。
村里の近くにまで魔力持ちの上位魔獣が出る危険な状態だ。おそらくゲートルドで何かあり、魔物が移動している。モニカが本当に蘇ったのなら幸いだ。細かいことはいい。もし会ったら、すぐにキュプカ村に来させてほしい。モニカが宮廷や聖堂に見つかる前に。
――宮廷や聖堂に見つかる前に。
もしかして、もう遅いんじゃ?
手紙を読み終えミアが茫然としていると、ノックの音があった。
返事をする前にドアが開く。
「ミア様~っ。おかげんいかが?」
おどけた調子で、看護婦の制服を着たオレンジの髪の女が入ってくる。
ゲートルドの自称「封印・解除の聖女」の後ろから、本物の看護婦が「困ります! 勝手に入られては」とわめいている。自称聖女は本物の鼻先でドアを閉め、鍵をかけた。
外からドンドン叩かれるドアを無視して、自称聖女がくるりとこちらに向き直る。
にやりと悪そうな笑顔を浮かべて。
ミアは無理やり部屋に入って来たこの女を、頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
ミアが自分自身にかけたという封印をあっさり解いてしまった古代の聖女。
そうか。これがモニカか。
自分の母親。
「大僧正がなかなか会わせてくれないから、見張りの騎士まいて勝手に来ちゃった」
女が近づいてきて、ミアのベッドの端に座る。
ミアをしげしげと見つめてきて、ちょっとせつなそうな顔をした。
「……」
「何か言ってよ」
「母さん」
自称聖女が目を見開く。
ミアはみじろぎもせずに、「モニカ」を見つめた。
「母さんなんでしょ?」
「――うん。うん、そう。そうなの! 誰から聞いたの? 王妃様?」
「ガウから」
「ガウ?」
「読んで」
ミアは読み終えたばかりの手紙をモニカに差し出した。
モニカは手紙を受け取り、文面を見て困った顔をした。
「ごめん。あたし、ハルツェンバインの文字少ししか読めないの。ゲートルド生まれだから」
「そっか。じゃあ読むね」
ミアが手紙を読み上げると、モニカはじっと聞いていた。そして「宮廷や聖堂に見つかる前に、か」と、ミアと同じところに反応した。
「見つかっちゃったじゃない。どうするの?」
「あら舐めないでほしいわね」
モニカは不敵に笑う。
「抜け出すの?」
「あたしは要塞みたいなゲートルド城から抜け出した女よ。こんな平和ボケした城。ははっ」
「母さん」
「……感激。もう一回呼んで」
「ふざけないで母さん。わたしも連れてって」
「ダメ」
「どうして! キュプカ村が危ないのに、お城で黙って待ってろっていうの?」
「足手まといだもん」
「そんなことない。わたし戦えるもん」
「すぐ倒れるでしょ。今のミアは」
思いのほか冷静な顔で、モニカは言った。
「……う」
「覚醒して五年も封じてた力を一気に取り戻したのよ。しばらく体が慣れないに決まってるじゃない。聖女の力だってまだ不安定でしょ」
「でも」
「あんたが故郷を想う気持ちはわかるわよ。でもキュプカ村はあたしに任せなさい。安心して。あたしだってミアに負けず劣らずキュプカ村を愛してるんだから。守るわよ。あたしに人間らしい普通の暮らしを教えてくれた場所だもの」
モニカは手を伸ばし、ミアの頭をくしゃくしゃなでた。
「普通の暮らしから、ミアはいなくなっちゃったけど」
「母さん……」
「ミアは王子様と一緒に、この国全部守るんでしょ? キュプカ村だけじゃない、この国の隅々まで全部。だったら、今はほかにやるべきことがあるんじゃない?」
「やるべきこと……。わたし、どうしたら」
「わからない? じゃあ、あたしが教えてあげる」
モニカは抱きしめるようにミアの体を引き寄せた。
母乳の甘いかおりがした。
(お母さんのにおい)
記憶の底に眠ったなつかしいにおいに胸がせつなくなる。
そんなミアの耳元へ口を寄せ、モニカはささやくように言った。
「ミアがお城でやるべきことはね…………王子様をモノにすることよ」
「はあ!?」
(ちょっと待て。なに言ってんだこいつ)
一瞬でせつなさがどこかへふっとんだ。
「王妃になれば一番てっとりばやい。アンネリーゼ、あの女はダメでしょ。自分のことしか考えてないし。奪いなさい。手を貸すわ」
「~~~~~~~!」
「なに絶句してんのよ。当然じゃない。どーん!と婚約破棄させて後釜に座りなさい。こんなのゲートルドじゃよくあることよ」
「ここはハルツェンバインだから!」
「そうね、慣例と因習に縛られた自由なきハルツェンバインだったわね。ぶっ壊せ慣例! そもそもねえ、ハルツェンバインじゃやたら高く見積もられてる聖女だけど、ゲートルドじゃ単に異能の一種だからね。回復の聖女なんて災害か疫病か戦争で輝いてなんぼなのに、なに大事に聖堂で囲ってるんだか。バカみたい」
「~~~~~~~!」
「いい? あたしはひとっ走りキュプカ村に戻って魔物片付けてくるけど、その間に第一王子のハートをがっちり掴んでおくのよ」
「そそそそんなのどうやったら……」
「わかんないわ。あたしは失恋女王だもん!」
なぜか胸を張ってモニカは言った。
モニカが王城から抜け出したのはその夜のうちだった。
数百年前に封じられた移動魔法陣の封印を解除し、そこから逃げたのだ。古い記録に辛うじて残っているだけの封じられた魔法陣など誰も知らなかったし、普通ならば結界に阻まれて城外には通じない。
魔力の痕跡が読めて、封印や結界を解く力を持つ古代の聖女だけがなせる技だった。




