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49・石の王子の夢の中


 王領の森に放り出された夜、ディートハルトは朝日が登るまで特級魔獣バシリスクから逃げ回っていた。特級魔獣の攻撃対象となったため他の魔物は出現せず、ひょっとして幸運だったのではと思いかけたが、バシリスクは見逃してくれなかった。


 しまった、と思ったとき、森の出口は目前だった。

 朝日を背にした、鶏冠のある鳥のようなシルエットを見た。

 逆光の影の中に光る一対の赤い瞳。

 瞼を閉じたが間に合わず、魔獣と一瞬目が合ってしまった。


 古き魔物がディートハルトにかけた魔法は、毒ではなく石化だった。


 石になっていく感覚はなかった。

 夢を見ている自覚だけがあった。

 夢の中でディートハルトは大きな暗い穴の底にいて、足場はなく登れなかった。


 穴は塞がれていたが、どこからか細い明かりが一筋だけ入ってきて、岩肌に生える苔やシダを暗闇に浮かび上がらせた。

 暗闇でも一筋の明かりがあるだけで、気持ちがずいぶん安らいだ。

 光に手をかざすとあたたかい。

 一筋の光が照らすわずかな岩肌だけが、夢の中でディートハルトが知覚できる全てだった。


 穴の中は時間の感覚も肉体の感覚も曖昧だった。

 腹は減らないし眠くもならない。

 音も聞こえない。

 しかし退屈に倦むわけでもない。何もしていないのに時間があっという間に過ぎる。


 夢なんだからそんなもんだろうと思っていたら、あるときを境に音声が聞こえはじめた。とはいえ、必死に耳をすませてもザワザワしているだけで意味がとれない。


 これは穴の外の音声だろうか?


 一筋の光は少しずつ太くなり、苔むした岩肌の様子をおぼろに照らしている。


 ごくまれに、すぐそばにいるかのようにすっと聞こえてくる声があった。

 例えば、父親が「生きてくれ。ディートハルト……」と絞り出すように言う声。

 意外だな、人の親らしいこと言えるなら普段から言えよと思ったが、これは夢だ。王に父親らしいことを言ってもらいたい自分の願望かもしれない。


 母親が「彫像になるにはまだまだと思うぞ」と平坦に言う声。

 母らしいというか、夢なのにいつも通りだなと思った。いつも通りで安心する。たしかに、自分は彫像になるような偉業は成していない。石化してる場合じゃない。


 フェリクスは基本、精霊に祈ってる。直接話しかけてくれていいんだけどな。


 ユリアンは、皆より遠くでぎゃーぎゃー騒いでいる。元気だなと思っていたら、ユリアンが懐かしい名を呼び、懐かしい声がそれに応えた。


(ミアじゃないか?)


 なんでミアの声が聞こえるんだ。


 ……夢だからか。


 夢だから、出会うはずのないユリアンとミアがじゃれ合う声が聞こえる。どっちも子猿みたいなものだから、一緒に遊んだらそりゃ楽しいだろう。いっそ自分も十歳に戻ってまざりたい。自分も子供のころはじゅうぶん子猿だったから、絶対に楽しい。


 子供に戻って、ユリアンとミアと三人で野山を駆け回れたらどんなにしあわせだろう。

 ミアはきっと、輝くように笑うだろう。

 俺が守りたかったミアの笑顔だ。

 俺がずっと守るはずだった地方の子供たちの――。



(待て。俺、夢なんか見てる場合じゃないのでは?)



 魔物にやられる直前のことを次々思い出す。

 動かない上級魔獣ペルーダ。神話に出てくる従魔術師に似た、手首の紋様を持つ男。伝説級の特級魔獣バシリスク。


 危険すぎる。

 謎が多すぎる。

 倒れるなら危険を排除してからだとバシリスクに一太刀浴びせはしたが、致命傷になってはいない。


(はやく王立魔物討伐隊に知らせないと)


 しかし、焦るばかりで声が出ない。

 ディートハルトは夢に閉じ込められたまま、どうすることもできなかった。




 穴に入る光の筋は、少しずつ太く明るくなっていった。

 夢の中のこの光は、希望の象徴に思えた。

 最初はわずかしか見えなかった岩肌の一角が広く照らし出され、よじ登れそうな凹凸が出来ている。岩肌を登り光が差し込む箇所までたどり着いたら――夢から醒めるのではないか。


 なにも根拠はないが、この夢の中の風景は、現在の状況を比喩的に現している気がした。

 ならば、時折聞こえてくる声は?


「実は、義妹(いもうと)がユリアン殿下の侍女になったのですが」

「ミア様ですね」


(もしかして、現実の声?)


 聞こえて来たのはミアの話。以前より聴覚の精度が上がっている。

 しかし、ミアがユリアンの侍女? やはり夢の世界の会話だろうか?

 現実であってほしかった。ディートハルトは耳をすませた。


「ご存知で」

「有名ですよ。ミア様はユリアン殿下を捕まえるのが大変お上手ですから」

「お役に立てているのならよかった。初日にミアが木に登っているのが見えて、肝が冷えたのです。まさか王宮で木登りとは」


(ものすごくあのミアっぽいな……)


 ディートハルトの中のミアは十歳で止まっていたが、現実のミアは十五歳のはずだ。身分はともかく、年齢的にはユリアンの侍女になってもおかしくはない。


 ミアを義妹と言っているこの男は誰だろう。声はよく聞く気がする。会話がはっきり聞こえるようになったばかりだから、いまひとつ人間関係がつかめない。


 ミアの話を続けてくれと頼みたかったが、どうしても声が出なかった。

 もどかしい。




 声は出せなかったが、ディートハルトの耳が聞こえることを外界の者は気付いたらしい。

 

「お逃げになっても無駄ですわ~!」

 遠くから、またミアの声が聞こえた。口調が変だったが、不思議なことにミアの声はすぐにわかる。距離があってもディートハルトの耳にすっと届く。


「捕まえましたわ~」

「ミア、おまえ化け物だろ!」

 ユリアンのわめき声も聞こえる。元気な二人だ。ほほえましい。


「……あ」

 短く声を発したのはジェッソだ。


 耳が聞こえるようになって、ジェッソが無事だったことを知った。

 自分の状態と、ジェッソが石化魔法を押しとどめようと、寝る間も惜しんで奮闘してくれていることを知った。

 忠義を信じてやりもしなかった主人のために、なぜここまでしてくれるのだろうと思った。名前すらろくに呼んでやらなかったのに。


 本当に、なぜ。


「どうしました?」

「また……殿下の表情が」

「動きました?」

「はい」

「夢でもご覧になっているのかな。臓器が生きているのだから、脳も動いているでしょう」


 ジェッソと話しているのは、カレンベルク家に婿養子として入ったアウレールだ。彼が自分の治療団の一員だということも知った。

 アンネリーゼの義兄であるため警戒心を持ってしまうが、敵ではなさそうだった。


「夢……。そうですね……」

(夢じゃないぞ! おまえらの話を聞いてるぞ)

 こちらの意志が伝わらないのがじれったい。


「殿下の意識が戻られるのを待っているのですか?」

「はい……」

(戻ってる! 意識なら戻ってるぞ)


「前からお聞きしたかったのですが、ジェッソ殿はどうしてこれほどまでにディートハルト殿下をお救いしたいのでしょうか。殿下がお一人で魔物狩りに出掛けたという大方の見方に反対して、捜索を急いだのもあなただと聞きました」


(そうなのか?)


 ジェッソが王領の森で死にかけてる自分を捜してくれたのか?

 周囲に反対して?

 想像できなかった。ジェッソは、王の命令に唯々諾々と従っているだけに見えたから。


「ディートハルト殿下は、私の故郷の村を救ってくださったので……」

(なんだその話は。初耳だぞ)


「故郷の村を?」

「私の故郷は西域の最果てで……。危険な魔物が出ても討伐隊が来ることはまずありません。でも……ディートハルト殿下が」

「趣味の魔物狩りでやってきたと?」

「違います。……殿下は遊戯としての魔物狩りはなさいません。側近になってから知ったことですが」

「趣味ではないと?」

「地方の調査の際、住民が殿下を頼るのです。危険な魔物が跋扈して大勢死んでいるが、領主や王都の大臣に訴えても討伐隊を寄越してくれないからと。民間魔物討伐隊も危険な仕事は請け負わないからと。だから殿下は仕方なく……」


(西の果ての村に調査に行ったのは、ジェッソと出会う前のことだ。魔物被害が大きかったのに、領主がクソな上に宮廷の大物だから、王立魔物討伐隊を動かすのを止めやがって)


 ラングヤール侯爵。てめぇの権勢しか考えないあのクソが。

 ラングヤールは自領地の魔物被害の惨状を世間にはっきり知られるのを厭って、知られるくらいなら村ごと消滅してしまえと思ってるクソ貴族だ。


 王に意見してもラングヤールが邪魔して王立討伐隊を動かさないから、ディートハルト自らが当地のギルドで冒険者を集めて魔物討伐に出た。

 死ぬかと思ったが、なんとか犠牲者を出さずにヤバい魔物は片付けた。

 村人にも一緒に戦った冒険者たちにも身分を明かさなかったはずだが、どこでバレてジェッソに伝わったのだろう? 


 ……まあいいか。済んだことだ。


「愚か者を演じるために魔物狩りに行っていたという噂は」

「それは、結果的にそういう噂になっただけです。殿下は何も計算しておられません」

(計算してたら何度も死地をくぐったりしないよな。全部なりゆきだ)


「なるほど……。よくわかりました。僕もディートハルト殿下を誤解していたかもしれないな」

(めんどうだから誤解しててくれていいんだけどな。アンネリーゼの身内ならとくに)


「あなたのことも誤解していました。ジェッソ殿」

(俺もジェッソを誤解してた……)


 危険な魔物討伐に何度も付き合わせておいて、信用もしなかった。

 どうせ王に言われて嫌々付き従っているのだろうと。

 従うのは地位が欲しいからだろうと。

 王よりいい条件をちらつかされたら、簡単に裏切るのだろうと。


(すまない、ジェッソ。ほんとうにすまない)


 ジェッソが生きていてくれてよかった。

 謝る機会があってよかった。


 今すぐに起き上がってジェッソの手をとって、ありがとうと言いたい。

 石化なんかしてる場合じゃないのに。


 ああでも俺は、ジェッソに謝るためにもジェッソの手を借りなければならない。命を救ってくれたのも、石化魔法を解除してくれているのも、ジェッソなのだから。


 まったく、何から何までジェッソに頼って。


(俺、一人じゃ何やっても駄目だから)


 だからはやく目を覚まして、今までのことを詫びて。それから請おう。

 俺にはお前が必要だから、どうかこれからも協力してくれと。


(ジェッソ、お願いだ。どうか)


 

 俺と一緒に。



 一瞬、声を出せたような気がした。

 穴に降り注ぐ光が目に見えて大きくなった。


「殿下……!」


 ジェッソが駆け寄ってくる気配があった。

 もしかして声を出せたのだろうか。

 自分の声が、ジェッソに届いたのだろうか。


 ジェッソがぐすぐす泣いている。大の男が嗚咽をこらえて。



(お前って泣くんだ。俺のために)



 知らなかった。


 ごめんな。今まで、何も知らなくて。




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