44・覚醒の予兆再び
あの自称古代の聖女がおかしなことを言うから。
ミアはユリアンの部屋から自室に戻ると、長椅子にへなへなと倒れ込んでしまった。
(愛がほしい?って。あ、愛って……)
ミアは美しい彫像のようなディーの顔を思い浮かべた。少年だった十五の頃よりずっと精悍な、大人の男の顔になっていた。質感が石っぽいから直視できるが、人間の肌のままだったら、まっすぐ見られないかもしれない……。
とか考えたら、心臓が無駄にドコドコ暴れ出す。
なんということだ。胸が苦しい。
「あ、愛とかじゃなくて、わたしはディーの志を、志が、志に感銘を受けて――」
声に出して言ってみる。決して嘘ではないのに、自分の言葉に偽りを感じる。
まずいまずいまずい。
このかんじはまずい。愛とか恋とかはとにかくまずい。
止まれ! ときめき!
ミアがほてった自分の頬をぴしゃぴしゃと叩いていると、ノックの音がした。
夕食前のこの時間に訪ねて来るのは、大概アウレールだ。
あの怪しい自称聖女のことをアウレールに尋ねなければと思い、ミアは気を取り直した。ときめいたり赤面したりしている場合ではない。
「お義兄様、今日いた看護婦なんですけど――あれっ、お父様も」
ドアを開けると義兄と共に父がいた。父ローレンツも宮廷に出仕しているから部屋に来ることはあるが、二人一緒はめずらしい。
「どうしたんですか、二人揃って」
「いやもう……なにがなんだか状況が」
アウレールは疲労と困惑が重なったような顔をしていた。
「お義兄様、お疲れですか? どうぞ中に」
父と兄とでティーテーブルを囲む。メイドを呼んでお茶を出してもらおうかと思ったが、二人の雰囲気が深刻だったので、ミアがお茶を淹れた。
「お義父さんと大僧正が、君の血統について僕と情報共有してくれて――」
「あー……」
ミアが封印・解除の聖女の血を引いていることは、アウレールとドロテアとフローラには内緒だったのだ。アンネリーゼにはクソ領主のヴァッサー伯爵経由でとっくにバレていたが。
「……ずっと黙っててごめんなさい」
「いや、それはいいよ。ブランケン領を壊滅させた異能の聖女の娘だなんて、やすやすと公言していいことじゃないし。でも、ミアがそんな重荷に耐えていたなんて」
アウレールに哀憫の目で見つめられ、ミアは肩をすくめた。
「わたしはきっと覚醒しないって思ってたから。さほど気にしてなかったんですよ」
ミアはちらりと父親を見た。
カレンベルク家へ来たばかりのころは、父親に自分を狙うクソ領主から守ってもらって、そのついでに淑女教育されるのだとしか考えなかった。
子供だったから仕方がないとは言え、何もかも受け身だった。カレンベルク家は上流貴族なのだから、任せていれば都合よく守られ、教育してもらえるだろうと。
そして与えられるものをもらえるだけもらったら、元の気楽な生活に戻ろうとしていた。身に馴染んだ冒険者の生活に。
自分が王都の安全なお屋敷で、お茶を飲みお菓子を食べ最上級の教育を受けている間、ディーはどうしていた? わずかばかりの供を連れ、危険な魔物が出る地方を回って、地方の窮状を調べ上げていた。この国の隅々に暮らす、民の未来のために。
ミアは膝の上でぎゅっと拳を握った。
ディーはキュプカ村にいたときだって、冒険者のために強欲な商人と戦ってくれた。あのとき、ディーはまだ十五歳だった。今のミアと同い年――。
馬鹿王子だなんてとんでもない。
ディーは、人々の上に立つべき人だ。
(厄介ごとから逃げることしか考えてなかった、わたしと違って……)
「お父様」
ミアは父に向き直った。父親が何を考えているか、宮廷でどういう立場なのか、ミアはこの五年間いまひとつわからないままだった。大聖女と呼ばれた妻を亡くしてすぐに、なぜ三人の娘を放り出して冒険者になろうとしたのか。火属性の強大な魔力があるらしいが、まったく使わずに宮廷で官職に就いているのはなぜか。
「わたし自身は、もう母のことを……母がブランケン領を潰した封印・解除の聖女だったことを、隠してもらわなくていいと思ってます」
「ミア。それはまだ危険だよ。ゲートルド国を刺激して、狙われる恐れがある」
「政治上の判断はわたしにはできないから、黙っておくべきならそうしますけど……。でもわたし、もう自分の都合で古代の聖女から逃げたくなくて。与えられた立場なら、引き受けたいなって。もちろん、覚醒しないで十六歳になる可能性のほうが高いでしょうけど」
「それなんだが、ミア」
ローレンツがアウレールと目を見合わす。二人とも何か言いたそうな顔をしている。
「なんですか? まだなにかわたしが知らないことが……。あ、そうだ! 今日ディーの病室にいた看護婦――」
あの人何者ですかと勢い込んでアウレールに問おうとしたそのとき、ミアは急に眩暈を感じた。
手が痺れ、ティースプーンをソーサーに取り落とす。
カチャンと金属と陶器がぶつかる音。
「あっ……。どうしたんだろ、手が」
ミアは小刻みに震える自分の手を見つめた。
腕全体がだるくなり、呼吸が早くなる。
動悸が激しくなり、頭の芯に靄がかかったようなかんじになって――。
「ミア!」
父親が立ち上がって肩を掴んでくれたおかげで、ミアはテーブルに突っ伏さずに済んだ。
ミアはかすむ目で父親を見上げた。
この状態には覚えがある。十歳のころ、何度もなった。
悪徳商人ヤン・アルホフに捕まったときを最後に、一度も感じなくなっていたけれど。
(――予兆)
魔力の。聖なる力の。異能発動の。
封印・解除の聖女の力の――。
(よかった。ときめきじゃなかった。恋なんかじゃなかった。十歳のときも、最初は恋わずらいだと思ったっけ。ちがうって、村のおねえさんたちに心配されたっけ……)
これが聖女として覚醒する予兆ならば。
ディーを助けることができる。
暴れる鼓動と重くなる手足を感じながら浅い呼吸を繰り返し、ミアはついにその場で気を失った。
*****
「ミアが昏倒? まあ、なるでしょうねえ」
あいかわらず王城に足止めされているモニカである。小食堂で夕食をとっていたら、アウレールが「ミアが倒れた」と息せき切って告げに来た。
倒れるくらい予想のうちだ。
「僕は魔力覚醒のとき、あんなに激しくなかった」
「あんたみたいな小器用な雑魚魔術師と伝説の聖女を一緒にしないでほしいわ」
モニカの能力は、王からアウレールとジェッソにも内密に明かされた。
そして王の意向で、モニカは二人と組まされることになった。
モニカは魔法理論などなにもわからないが、力の特性上、魔力の道筋が「視える」。アウレールとジェッソが施した魔法処理が目的に沿って「いける」か「いけない」か、瞬時に判断できるのだ。
横から術式の良し悪しを言うならさっさと殿下を治してくれとアウレールは言うのだが、その役はミアに譲るつもりだ。
「術式から生じた魔力が絡まり合って、すぐには解除できそうにない」と適当な嘘を言ったら、二人は納得した。本当は、ちまちました術式ごとき障害になんてならないのだが。
とはいえ、第一王子治療団の二人はとんでもないことをやっているとモニカは思った。
アウレールもジェッソも、生まれ持つ魔力は防御魔法だ。魔法を防ぐ力はあるが、かかった魔法を解除する力はない。持たない魔法を理論の力で編み出すなんて、驚くべきことだ。
いつの日かどんな魔法も、ハルツェンバインの魔法理論家が操る日が来るかもしれない。
(ゲートルド人はこんな細かいこと絶対向いてないからね)
ろくでもない魔法理論を思いつくのはいつでもゲートルド人だが、使い物にするのはハルツェンバイン人だと相場が決まっている。また一つの国に戻って仲良くすれば、一気に発展するだろうに。
「婿養子、今日は家に帰らないの?」
普段ならアウレールはカレンベルク家へ戻っている時間だった。
「ミアが心配なので」
「あら、いいお兄ちゃんなのね」
「家族ですからね。ミアのことはドロテアだって心配でしょうし。フローラも」
「……ミアって、いい家庭の子になれたのね」
モニカは安心とさみしさが入り混じった気持ちになった。
(あたしが育てなくても、ミアはまったく大丈夫だったのね……)
「ごちそうさま。ちょっとおっぱい搾ってくる」
「おっ……」
赤面するアウレールを横目に、モニカは食卓を立った。
「搾るとまた出るから我慢したほうがいいって王宮医師が言うんだけど、痛くて無理なのよ~。もったいないし、いっそ乳母やりたい。王宮に赤ちゃんいない?」
「……女官長に訊いておきます」
「よろしく~」
「そうだモニカさん、後で病室隣の控えの間に来てもらえますか。相談したいことがあります」
「相談?」
「『魔力の道筋が視える』モニカさんに、是非とも協力していただきたいことがあるのです」
「どんな?」
「……転移魔法陣についてです」
アウレールは声をひそめた。
モニカが小食堂を出ると、あいかわらず見張りの騎士がずらりといた。魔術師はいない。モニカに魔術師は無駄だと王様は学んだのだろう。
あてがわれた部屋に向かうと、騎士もぞろぞろついて来た。うっとうしいったらない。しかも、部屋のドアの前にあまり会いたくない人物がいる。
ローだ。
見張りがこんなにいなかったら回れ右して逃げたのにと、げんなりする。
「なんか用?」
自然と口調がこわばってしまう。ローレンツも困ったようにモニカを見た。困るのはこっちだとモニカは思った。モニカにとっては別れて一年しか経っていないのに、あっちにとっては十六年近く経っている。
(老けちゃってさ)
勝手に老けてるし。自分との思い出なんてどうせ色褪せてるだろうし。
やってられない。
「ミアのことで……」
「入りなさいよ」
モニカは部屋にローレンツを入れた。もう男女の関係はないと示すかのように、ドアは最大限まで開けておいた。
「ちょっとおっぱい搾ってくるから待ってなさい」
ガウのパーティーでお頭だったころの口調で、ローに告げる。
用をなしてモニカが戻ると、ローは身じろぎもせずに椅子に座って待っていた。付き合っていたころから思っていたが、この男はちょっと犬っぽい。とびっきり血統のいい犬だが。
(なんであたしって血統のいい男に弱いのかしら……)
聖女ってそういうものなのだろうか。どこの国の聖女も、王族と貴族が大好きだ。強い魔力の匂いにでも惹かれるのだろうか。
ミアだって王子様に叶わぬ恋をしている。もはや呪われた血なんじゃないかと思う。
「ミアの体調はひと月もすれば安定するわよ。力ならもっと前に使えるわ。王子の魔障解除はミアに任せる」
「そうですか……。ミアの身の振り方は、以前から大僧正にご相談申し上げておりまして、陛下とも今後のことを話し合っているところです。今日はそのことをお伝えに」
「ミアはどうなるの?」
「王城に留まることになるかと」
「この先ずっと?」
「ゲートルドの出方にもよりますが。おそらく」
バン!
モニカは音を立ててテーブルに両手をついた。
ドアの外で騎士がざわめいたが、気にしなかった。
「ミアの自由は?」
「モニカさん……」
「ミアがお城にいたくないって言ったら? キュプカ村に戻りたいって言ったら? ガウのところに帰りたいって言ったら?」
「それは……」
「許されないんでしょ。ミアはお城に縛り付けられて、高価な兵器みたいに扱われるんでしょ」
ブランケン領を壊滅させた後の、ゲートルド城での自分のように。
「あのね、あたしがなんでゲートルドから逃げてきたか分かる? ――兵器扱いされたくなかったからよ!」
ローは悲しそうな顔で、瞳を泳がせるだけだった。
「お城で宝物みたいに大事にされるより、『お頭』って呼ばれて先頭に立たされて、やばい魔物ばんばん狩る暮らしのほうがずっと楽しかったわ。ミアがそうしたいって言ったら、あんたどうする?」
ローレンツはなにも答えなかった。
本当に自分は男を見る目がないとモニカは思った。
モニカは束の間、ローとの出会いに思いを馳せた。
この無駄に魔力のある不器用な男、ゲートルドだったらブランケン領主みたいなあくどい権力者に利用されるだけ利用されて不幸になりそうだと思って、不憫に思ったのが始まりだった……。
「でもね、ミアは王子のために力が欲しいってはっきり言ったの。だから封印は解いたわ。ミア、変わり種の聖女の役割を引き受けようとしてるの。ミアは石になった王子様が好きなのよ。彼の役に立ちたいんですって。けなげよね。王子様には婚約者がいるのに」
「……アンネリーゼですね」
「婚約者、アンネリーゼっていうの? なんかどっかできいた名前ね」
「まさか、ご存知なかったのですか?」
ローは、信じられないというように目を見開いていた。
「え?」
「アンネリーゼは、私の二番目の娘です」
「え? え? え?」
犬に噛まれたワスを完全無視して通り過ぎて行った、あのいけすかない聖女?
そう言えばたしかに、王族の嫁に選ばれそうな強大な力は感じた――。
「最初に言いなさいよ! じゃあ何? ミアは愛する王子様の婚約者とは姉妹で、五年間同じ家に暮らしてたわけ? なにこの修羅場! かわいそうすぎる! うそやだ、なんとかなんないの!? なんとかして!」
「モ、モニカさん」
気付くとモニカは立ち上がって、ローの襟首を掴んでぐらぐら揺すっていた。
さすがに騎士が踏み込んできて止めに入る。
騎士に羽交い絞めにされた状態で、モニカはなおも言った。
「ミアに、愛する王子様とお姉さんが夫婦になって暮らすお城に、一生留まれって言うの?」
「そのことなんです、モニカさん。話には続きがあって」
「なによ。はやく言いなさいよ」
ローは踏み込んできた騎士たちを見回すと、視線だけで退出を命じた。こういうところが上位貴族らしくてしゃらくさい。
騎士が全員出て行くと、ローはモニカの耳に口元を寄せ、静かに言った。
「第二王子には、まだ婚約者がいないのです」
「え。それって――」
「陛下は、第二王子とミアの婚姻を考えておられます」
目をまん丸くして、モニカはローの顔を凝視した。
「だめ――――――っ!!!!」
モニカは絶叫した。




